第6話

 ジェミヤンが5歳、妹のタチアナが生まれて少し経った頃の話。

 ジェミヤンは赤子の妹タチアナをおぶり、教会で催行される司祭の説教を聞きに向かっていた。祖父から「司祭様のお話を聞いて、少しでも教養を身に着けろ」と言われていた事もあり、子供に優しい司祭に会うのも楽しみにして、近所の青年ヴラスと一緒に歩いていた。もう少しで教会に到着するというところで、後ろから急にやって来た車がジェミヤンをかすめるかの様に、速度を上げて走り抜ける。


 幼いジェミヤンは車にあおられ転倒。ヴラスがすぐ駆け寄り抱き起こし、車の運転手に抗議した。この時、タチアナは火がついたかの様に大泣き。ジェミヤンは自分の傷も構わず、タチアナにケガがないか見ると、左脚が曲がっていた。

「おい降りろよ! 赤ん坊がケガしたんだぞ、ふざけやがって!」

 ヴラスが運転席側に回り込み、運転手が逃げられない様にしていると、教会から大声を聞きつけた人が出てきて、事故が教会側に発覚した。


 司祭が警察を呼び、運転手を逮捕してもらおうと慌ただしく動く大人達だが、警察の動きはどうにも鈍い。ヴラスをはじめ、司祭の説教を聴きに来ていた大人達が警察に抗議すると、その運転手は有力な地方議員の息子らしい事がわかる。警察が大人達から運転手を引き剝がそうとした時、運転手は抗議する大人達に暴言を浴びせかけてきた。

「はっ! これだから田舎の野蛮人どもは! たかがガキの一匹や二匹にぶつかったぐらいで大袈裟なんだよ!」

 さすがにこの暴言には、警察も途中で運転手の発言を遮り連行しようとした。がその時、ヴラスはキンジャールを抜き、警察の制止もふりきって猛然と運転手を切りつける。

 反応が遅れた警察は慌ててヴラスを羽交い絞めにしたが、コサックの戦士であるヴラスは身軽でスルリと抜ける為、警察はなかなか捕まえられない。


「お前も脚を折られた赤ん坊と同じ目に遭え!」

 そう詰め寄り、運転手の左脚を踏み折った。ジェミヤンはこの時、見習いの修道士に抱きかかえられ教会に入れられており、その現場を見ていない。修道士はこの件を幼いジェミヤンには教えず、タチアナの手当をして、泣くジェミヤンを一緒に病院へ連れて行った。




「……あの時私とタチアナを助けてくれたヴラスは、ボーリニツァではよくやったと称えられたが、裁判にかけられそうになった」

 議員が権力を使ってヴラスだけを有罪にしようとしたからだった。ジェミヤンのボーリニツァは有望な戦士を議員の自宅に派遣し、告訴を取り下げさせたのだ。この時ジェミヤンの祖父と父も同行しており、さすがに武装したコサックの戦士に取り囲まれた議員や呼ばれた警察も、彼らの襲撃に「不問」という形で屈した。


「貴殿のご子息が車でぶつけたのは、ワシの孫でな。特に生まれたばかりの孫娘は、赤子だというのに左脚を折られた……我らのボーリニツァでは、戦士になってない幼子を傷つけた者は、罰として同じケガを負わせる」

 祖父はヴラスを呼び、へたり込む議員と目線を合わせ二人でしゃがみ込み、低い声で


「このヴラスは若手の中でも一番の有望株でな、例え貴殿らが車で逃げても、馬で追い続け貴殿とご子息の首をちょうだいできる」


 と警告した。その後はボーリニツァで「よかったよかった」となったものだが、タチアナは脚に障害が残ってしまった。ジェミヤンが徴兵の為にモスクワへ出立したあの日も、不自由な脚を引きずってまで、ジェミヤンの馬【コーニ】を連れてきたのだ。




 妹に大きなハンデを負わせてしまった事を、ずっと引きずっていたジェミヤン。

 どんなに強くなっても、守らなければならない弱者を傷つけられることがある。それが故意になのか事故でなのかは状況によって変わるが、完全に防ぐことは不可能である。


 30年以上前妹に起きた悲劇を思い出しているうちに、市内の古びた集合住宅に到着した。ここには地方から出てきた者が多く住んでいる。スヴャトスラフが地方のシェルミツィで準優勝した後、師である伯父が一緒にモスクワに出てきて暮らしていた。彼らの住む部屋周辺には、兵役に行った者であれば「何に使うのかわかる」資材がいくつか置かれている。

「間違いなくスヴャトスラフがテロを画策していたと知っている」

 ジェミヤンは以前保安局から支給されていた、変声機が仕込まれているマスクで顔を隠してラーダから降り、スヴャトスラフと伯父が暮らす部屋に乗り込んでいった。


 部屋では還暦に近いであろう年齢の男性が、安物の一人掛けソファに腰掛け微睡んでいた。だがさすがにコサックの戦士だった事もあり、急に押し入ってきたジェミヤンに驚き、卓上にあった果物ナイフを掴む。

「何だ貴様は!?」

 ジェミヤンは答えず、男性の喉にキンジャールの塚尻を叩き込みまず声を奪い、両手脚の関節を外して反撃できない状態にした。


「貴様の甥が非武装の女子供や老人を人質に取り、映画館に立てこもっている。自分が妊娠させた連邦財務大臣の娘にすら銃をつきつけてな」

 マスクの下から発せられる機械的な音声を聞き、男性は苦しみながらも、驚きの表情を見せた。恐らくスヴャトスラフの計画を知ってはいたのだろうが、女性の好意までも利用していた事は知らなかった様子で、目を見開いた。何か言いたげに口を動かそうとするが、ジェミヤンはそれを無視して、台所に無造作に置かれている調理器具を準備し始める。


「貴様自身に罪はないが、甥がそれを実行するまで止めずに放置していた。コサックの戦士としてあるまじき恥だ。貴様の甥は勿論逮捕投獄し、政府の恐ろしさをじっくりかみしめてもらうが、貴様には甥をあの様に育てた罰を受けてもらおう」

 同じコサックの戦士同士。男性はこれから自分がどの様な地獄を味わうか悟り、必死にハンドサインを出そうとしたが、その手はジェミヤンに踏みつぶされた。

「言い訳は聞かぬ。弱い者を盾に強者に挑むな、と教えなかった貴様と理解しなかった甥が悪い。さようなら」

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