第5話


 大臣の娘を連れて映写室に閉じこもったスヴャトスラフは、娘の拘束は解いたものの、扉の前に陣取り、室外に出ないようにした。

「ねぇ! こんな事したって、捕まって刑務所に入れられるか、制圧されて弾圧されるだけなのよ! アルファ部隊が動いたら、きっと私達人質だって助からないわ!」

「知ってるさ、だからお前がいるんだ。お前の父親は連邦財務大臣だろ。溺愛してる一人娘のお前を見捨てる筈がない」

 スヴャトスラフはそれを見越して、娘に近づいてきた。彼に利用されていただけだと知った娘は泣き崩れる。

「こんな事やめて投降して……私、あなたの赤ちゃんを妊娠してるのよ! この子を犯罪者の子にするつもりなの!?」

「都合がいいじゃないか。猶更大臣は絶対にお前だけは救出しろと、サツや犬供に命令するだろうよ。お前に張り付いてれば、少なくとも俺は安全だ」


 スヴャトスラフは自分を愛していたのではない……利用する為に近づいてきた真実が受け入れられず、暫く言葉も出ずに慟哭する娘を、当のスヴャトスラフは無感情な顔で眺めていた。




 犯人グループが交代で見回りをする館内に侵入したジェミヤン。犯人グループの警備警戒がどんなものかと思っていたが、やはり国内一のプロであるアルファ部隊から見たら「ザル」と言わざるを得ない。武装しただけの素人集団だとわかった。

 問題は人質の存在であり、大臣の娘以外にも、舞台挨拶に来ていた人気俳優や映画監督、それから会社経営者等が招待客として来場している。そういった招待客が連れてきた子供も何人かおり、流石に全人質を犠牲にしてまで突入はできない。


「大臣のご令嬢が見当たらんな……」

 人質の中でも、人質としての価値が最も高いであろう大臣の娘がその場にいない事に気づいたジェミヤンは、劇場近くの別室で物音がする

場所を探すと、すくそばの鍵がかかる映写室の小窓から、人がいるのが見える。

 映写室の天井裏に到着し、そっと様子をうかがったその時、銃を持ったスヴャトスラフが着ているコートの下に、銃弾筒【ガズイリ】がはっきり見えた。恐らくこの男が首謀者だろう。

「まさか私と同じコサック出身者が首魁だとはな……」

 ジェミヤンは少し状況を整理し、音もなく対策本部へ引き返す。




 本部に戻り、スヴャトスラフが首謀者らしき人物であり、大臣の娘に張り付いている旨を報告するジェミヤン。

「……倒せるか?」

「奴がご令嬢から離れれば容易いですが、恐らくそうはしないでしょう。私はあの男に見覚えがあります。確か4年前中規模のシェルミツィで準優勝した、ウラル・コサックの者で、名は確か……スヴャトスラフ・ポポフだったかと」

 窓際で撃たれ殉職した隊員の為にも、確実に首謀者であるスヴャトスラフを討たねばならない。隊長は護衛役の職員にスヴャトスラフの身元照会をさせ、その間に作戦を練り直す事にした。


「もし何か意見があれば参考にする」

 完璧主義者の隊長が珍しく、他の隊員の意見を募る。すぐに制圧出来ると思っていたが、首謀者が思いの外実力者だった事は想定外だった。数名の隊員が案を出したが、スヴャトスラフの想定内だった様で対策が既になされているのを、各配置についていた隊員達が確認している。

 警護役が戻ってきて「大臣から娘だけでも奪還しろと怒鳴られた」と隊長に告げた。

 

「大臣のご令嬢にポポフが張り付いている以上、現状での人質奪還は困難を極めます。揺さぶりをかけましょう」

 ジェミヤンの提案は、他国であれば憚られる内容。しかしロシア等旧共産諸国や、所謂独裁国では割と用いられる手段であり、反対する者は特にいなかった。

「構わんが時間的に可能なのか」

「はい、以前テレビ番組で取材に答えていましたので、場所は把握しております」


 隊長はすぐには返答しなかった。少し考えて疑問を投げかける。

「……いいのか? 奴の伯父と言うことは、貴様と同じコサックだという事だぞ」

「愚問ですな。弱者を人質にとって強者に挑むなど、コサックのする事ではありません。……奴は我等コサック戦士の矜持をかなぐり捨てた。あの様な汚点は排斥すべきだ」

 普段感情を表に出さないジェミヤンが、激情を顕にするのを初めて見た隊員達は、かける言葉を持たなかった。




 人質を監視している犯人グループは、少量ながらも人質に食糧を出す。売店に残っていた既製品と、未調理の材料があった。

「おい女、これで何か作ってこい」

 女優と子連れの女性を立たせ、銃を構えた監視役が厨房に移動する。三十分程で戻って来て、人質と犯人グループに出す。配分に大きな差があったものの、緊張で精神疲労が大きい人質達は、少量の食糧を分け合って食べた。

「おい、次に食糧が到着するのは何時だ?」

 映画館職員が「毎朝七時に、指定の倉庫に届く」と答えると、誰が取りに行くか話し合い始める。




 現場となった映画館周辺を武装した警察官が封鎖し、隊長経由で連絡していたジェミヤン以外は通れない。身分証を見せると、若い警官はジェミヤンに敬礼しながら抜け道へ誘導する。

 警察の包囲網を抜けさせてもらうと、既にマスコミが集まってきており、スクープ映像を取ろうと警戒中の警官達と押し問答をしていた。


「下がれ! 犯人を刺激する気か!」

「人質には連邦財務大臣の令嬢がいるって話ですよ、本当ですか!」


 ジェミヤンは彼らのやりとりを横目で見ながら、そっと人だかりを抜けると、保安局が用意していたラーダに乗り、目的地へ向かう。

「スヴャトスラフをあの様に育ててしまった者に、責任をとらせんといかんな。コサック戦士の風上にも置けん」

 募る怒りで幼い頃に体験した、苦い記憶がジェミヤンの脳裏に蘇る。



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