第4話
「ああ、この映画前評判いいらしいな。公開されたら観に行こうぜ」
寒くなり始めたある日の訓練終わりに同僚と街を歩いていると、映画の告知ポスターを見かけた。どうやら同僚はこの映画に興味がある様で、一緒に行かないかとジェミヤンを誘う。ポスターにはプレミア試写会について「招待客のみで催行される」と書かれていた。
「プレミア試写会が一番近い日付だが、我々は招待されてないぞ。内容はどうせ一緒なのだ、一般公開されてから行こうか、ワーニャ」
たまには同僚に付き合うのも悪くない。普段上から女性を相手にしろとあてがわれるので、ジェミヤンにとっては食指が動かない女性との逢引は気疲れするものだが、同性の同僚なら遠慮も気兼ねも必要ないだろう。
ジェミヤンがワーニャと呼んだ同僚イワン・エルショフは、冷徹な人間ばかりのアルファ部隊では珍しく、一般人と同じ感覚を失ってない。本人はジェミヤンと同じく独身だが、仲の良い弟、そして弟の妻子とはよい関係を築いている。休憩時間、嬉しそうに甥について話すワーニャを羨ましく思う事も少なくない。
「お前が軍から転属してきた時、どえらい奴が来たもんだと思ったよ。一目で普通じゃないとわかった」
こう話してくるが、このワーニャもなかなかの手練れ。しかもロシア人には珍しい、素直で正直な人間と言える。
「嬉しい事を言ってくれるね。しかし君は私を買いかぶり過ぎてはいないかな。私はどこにでもいる、普通の人間さ」
普通の人が聞いたら嫌味に聞こえるかもしれない。しかしジェミヤン自身にとって、これは変えようがない事実なのだ。それを理解してくれた人には出会えたことが無い。ところがワーニャは
「そうだな、お前はメチャクチャ強くて目端が利く自分と、そうでもない周囲を比べて苦悩する、心を持った普通の人間さ」
そう言いながら肩を組み、自分より背の低いジェミヤンの頭をなでくり回した。
「おいおいやめてくれ、私は四十近いいいおじさんだぞ、子供じゃないんだ」
まるで少年の様にじゃれ合い、帰路につく。
翌週、いつも通り訓練に明け暮れていると、隊長の下に慌てて駆け寄ってくる職員を見た。隊長は職員に頷くと、すぐ訓練中の隊員がいる場所へ戻ってきた。
「貴様らよく聞け。先程市内で営業中の映画館で、人質をとって立てこもった集団がいる」
犯人達は政府に対し、収監されているメンバーの解放と、人質の身代金3億ルーブルを要求、そして政府の息がかかっていないネゴシエーターの準備を要求している。
「人質には女子供や老人もいる。犯人グループの制圧だけでなく、人質の奪還も要求されているぞ」
隊長の号令に従い武装し、訓練を中断し現場に向かった。
その頃現場の映画館では、ロビー横の事務室で犯人と交渉する者がいた。
「おい、政府からの回答はまだか!」
「……政府はあなた達の要望を飲むつもりはないそうよ……」
舌打ちし、交渉のテーブルから離れる犯人グループの一人。彼等との交渉役には、市内でも評判のいい女性の産婦人科医が選ばれた。
「せめて人質の無事の確認だけでもさせて! 中には子供や老人もいるのでしょう!?」
「怪我人や急病人は随時解放してやる。現状そういう奴はいなかった」
扉が閉められ、医師は保安局が用意した警護の者と一緒に部屋を出、作戦本部に戻る。ちょうどそこにアルファ部隊が到着し、医師と警護役が隊長に現状を報告する。
「わかりました。現状人質に事はない状態なのですね、先生」
「ええ……ただ問題がありましてね……人質の中に、連邦財務大臣のお嬢さんがいたのよ」
現場に緊張が走る。
「何故わかったのですか?」
「それはごめんなさい、守秘義務がありますので……」
警護役がすぐ連邦財務省へ連絡をすると、大臣が隊長と代わる様に要求してきた。
「娘は今、交際相手との子供を妊娠している。私の孫だ、必ず娘と孫は取り返せ、いいな! 貴様らの仕事だろう!」
「努力します」
隊長は被せ気味に返答すると、ヒステリックに叫ぶ大臣との電話を早々に切り、隊員に向き直る。
「まったく……娘のプライバシーを平気で他人に話すとはな。全員聞いていたな。犯人グループの制圧をすると共に、連邦財務大臣のご令嬢を安全に確保する」
隊長は用意してもらっていた館内の見取り図を広げ、突入の手順を説明すると、全員を配置につかせた。
一方犯人グループと同じ劇場に詰め込まれている人質は、武装した犯人グループに怯え身を寄せ合い、全員が大人しくしている。しかし犯人グループは子供が父母に「怖いよ……」と訴えるだけの声にも過敏に反応し、「黙れ!」と怒鳴りつける有様。その様子を見ていた大臣の娘は、一緒に来ていた交際相手のスヴャトスラフに身を寄せ、
「きっと警察か保安局がなんとかしてくれるわ、反抗せずに大人しくしていましょう」
と耳打ちした時、スヴャトスラフの手首を拘束していたロープが無くなっていた事に気づく。
「どういう事……?」
何かに気づいた様な目で、愛する男を見る。スヴャトスラフは突然立ち上がり、コートの下に隠し持っていたトカレフを抜き、娘を立たせ
「お前ら、人質の監視は当然の事、侵入者の監視も怠るなよ。サツか犬どもが嗅ぎ回ってるだろうが、見つけ次第撃て」
そう言い残し、娘を連れ映写室へ移動した。
隊長の指示通り配置についたアルファ部隊。すぐにでも突入できる状態になり、窓から侵入する隊員が、ミラー越しに中を確認しようと近づけた。
その時、乾いた軽い音が隊員全員の耳に届く。普段から聞き慣れたアサルトライフルの音。普段と違うのは、その音を立てて飛んできた凶弾が、一人の隊員の頭部を撃ち抜いた事だ。
「クソッ」
倒れた隊員は即死だった。苦しまなかった事だけが不幸中の幸いと言えるだろう。組んでいた隊員が彼を抱き上げ、壁に寄り添わせ十字を切る。隊長は殉職した隊員に「すまなかった」と一言呟き、ジェミヤンに無線で指示を出した。
「アベルチェフ、斥候を頼む。隊内でも貴様が最も隠密行動に優れている」
「了解」
ジェミヤンはアルファ部隊の中でも身長は一七八センチと最も小柄で、隠密行動に適している。
しかし彼を見た目で判断した同期達は、隊長も含め全員痛い目を見てきた。コサック武術やコサック馬術【ジギトフカ】で培われた驚異的な身体能力は、彼の身軽さをより高度な領域へ押し上げている。
四十歳に近い年齢であるにも関わらず、野生動物の様にするりと館内へ侵入していくジェミヤンを見て、「本当にこいつが敵でなくて良かった」と、改めて彼の脅威性を実感した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます