第2話 捨てて捨てられ三千里


 仲間に見捨てられ、魔族に騙され、人間不信になりかけている俺は足を止めることなく走り続けていた。

 俺って思っていた以上に足速いなとかなんとか思っているうちに、洞窟へと行く前に立ち寄った町へと帰還する。

『洞窟にいる魔族は、俺がなんとかしてきます!』とか言っときながら、手土産は『死に物狂いで逃げ帰ってきました』である。笑えない。町の皆様に顔合わせできない。穴があったら埋まりたい。

 しかしながら、プライドなんてもんは先ほど逃げる時にぶん投げてきた。どう思われようと俺の心は傷一つつかんぞ。


「た、助かった……」


 周りの人などお構いなしに、俺は荒く吐き出す呼吸を整えることなく道の真ん中に倒れ込む。両サイドに露店が立ち並ぶ人通りの多いエリア──視線がこれでもかと突き刺さっている。俺レベルになればこれくらいのこと、顔を伏せていたってわかるさ。

 次々と身体中に突き刺さる視線を気にすることなく、俺はその場から動かず体力回復に努める。プライドを捨てていなければ、今頃精神ダメージを受けに受け死んでいたことだろう。良い判断をしたよ、俺。


「ハ、ハルトさん……?」


 聞き覚えのある声が耳に届き、俺は顔だけ上げる。

 しゃがみ込み、俺のことを覗き込む一人の少女──ぱっちりと開かれた目は小動物を思わせる可愛さで、髪は肩付近で切り揃えられている。華奢な身体には似合わぬ大きな胸。なんでも買って上げたくなるような可愛らしい声。間違いない、俺を見捨てた女だ。


「やっぱりハルトさんですよね! 無事だったんですね! よかった……!」


 抱き抱えている茶色の紙袋にシワが付く。心配しているということに嘘はないのだろう。というかこいつ、俺見捨てて呑気に買い物してたのか? 許せん。


「お、お前……見捨てたくせによく『すごく心配してました!』顔で確認取れるな……!」

「すごく心配してましたもん! 怪我もしてなさそうですね。よかった……!」


 また一つ大きく息を吐き出すナツキ。俺を見捨てたこと自覚してないな、こいつ。


「……あれ? ハルトさん、洞窟行く前に比べて軽装じゃないですか? 私の気のせいですか?」

「気のせいじゃねぇよ! 捨ててきたんだよ! 逃げるのに邪魔になるものは全て捨ててきたんだよ!」

「あ、そ、そうだったんですね」

「ルージェイさんカンカンだったよ! 『ここまで来て三分ちょいで逃げんな! プライドないのか、プライド!』って! めちゃくちゃ言われたわ!」

「……すみません、ルージェイさんってどなたですか?」

「魔族の方だよ!」


 武器を捨て、防具を捨て、プライドも捨て……そんだけ捨てりゃ足が速くなるわけだわ。

 少しばかり気になっていた疑問が解決し、気持ちがスッキリした俺は上半身を起こし、ナツキから差し出されていたリンゴを手に取り一口齧る。

 『シャリっ』と気持ちのいい音と共に口いっぱいに広がる甘み。噛めば噛むほど果汁が乾燥しきった口内を潤してくれる。うん、うまい。やはり体力回復はリンゴにかぎる。


「ハルトさん、これからどうします?」


 ナツキが俺のリンゴに齧りつき、問いかけてくる。

 ここに来るまでに装備という装備を捨ててきた俺にできることは限られている。そして、我がハルトパーティに足りないものは明確だ。

 俺はリンゴを齧りながら身体を起こす。


「今から酒場に行く」

「酒場にですか? 真昼間からお酒だなんて、ハルトさん悪ですね!」

「仲間見捨てて一人呑気に買い物してるお前のが悪だわ」


 軽くナツキの頭を叩く。『あうっ』と可愛い反応をするナツキを気にすることなく、俺は言葉を続ける。


「酒場は酒飲むだけの場所じゃねぇの。酒場には人がたくさん集まるだろ? だから、雇って欲しい冒険者とかも結構集まってくるんだよ」

「へぇーそうなんですか」


 初めて聞きましたみたいな顔して、また俺のリンゴに齧り付く。


「あなた、仮にも魔法使いでしょ? 冒険者でしょ? なんでこんな初歩的なことも知らないの?」

「私、そういったことは全部お任せしてましたので。えへへ」


 でしょうね。あと『えへへ』じゃないわ。

 笑みを浮かべるナツキの頭をもう一度軽く叩く。


「ってことは、今から酒場に仲間集めに行くってことですか?」

「その通りです。よくできました。俺たち二人だと、ナツキが逃げ出した後に俺一人になるだろ? 俺もまぁ腕っぷしには自信あるけどさ、流石に一人で複数人相手とか、今回みたいに格上相手になると──」

「……仲間?」


 ナツキは酒場へと歩き出していた足を急に止め、抱き抱えていた紙袋を落とす。茶色の紙袋からリンゴが次々に地面へと飛び出してくる。どんだけ買ってんだ、こいつ? リンゴ好きだけど、流石に三食りんごは嫌だぞ。


「……ず、ず、ずでないでくださいぃぃ……!」


 転がるリンゴを集める手を止め、ナツキへと視線を上げる。丸っとした可愛らしい瞳からボロボロと大粒の涙を溢し、俺を見つめるナツキ。

 何事かと慌てて立ち上がる俺の服の裾を力強く掴み、ナツキはさらに言葉を続ける。


「わ、私、いっぱいいっぱい頑張りますから……! だ、だから……だからぁぁぁ……!」

「ちょっ、え? なに? なんで泣いてんの? ねぇなんで?」


 俺の問いに答えることなく、ボロボロ涙を溢し続けるナツキ。訳がわからず困惑の表情を浮かべる俺に、収まりかけていた人々の視線がまたも突き刺さり始める。

 このままでは俺は『魔族倒すとか言ってたくせに逃げ帰ってきた哀れな剣士』+『可愛い女の子を泣かせるクズ剣士』という不名誉な称号を二つも手に入れてしまう。一刻も早くなんとかせねば……!


「ど、どうしたんだよ、ナツキ! と、とりあえず場所変えよう! 皆様の迷惑になるから! な!」


 それっぽいこと言って場所を変えようと動き出す俺。服の裾が、さらに強く掴まれる。


「やだぁぁぁぁ! 見捨てないでぐだざいぃぃ! うわぁぁぁん!」


 一体何がどうなって大泣きしてんだ、こいつは⁈ 女の子の気持ちはさっぱりわからんぞ!

 ナツキの声が大きくなるにつれ、俺への視線はさらに冷たくなっていく。俺の焦りも大きくなる。何をどうしたら泣き止んでくれるのだろうか。あ、やばい。俺も泣きそう。誰か助けて。


「おい」


 低めの女性の声が聞こえると共に、俺の肩に優しく手が置かれる。

 ついに俺にも助け舟か! 俺は安堵の笑みを浮かべ振り返る。


「ふんぬぅっ!」


 力強い声と共に、俺の頬に痛みが走る──勢いよく手のひらを叩き込まれた俺は三回半ほど身体を回転させ、勢いそのままに身体を地面に叩きつける。


「ちょっ、何事⁈ 何事ですか⁈」


 どうしてこうなったか、訳もわからず痛む頬に手を当てながら上半身を起こす。

 視線の先では、鬼のような表情を浮かべ、手の指をパキパキと鳴らす高身長の女性。軽装の物だが身体には灰色に光る防具が付けられており、一目で冒険者だとわかる。あと怒ってることも。


「あ、あの、お待ちを! お待ちください! たぶんあなたは勘違いしておられ──」


 俺の言葉に耳を傾けることなく、高身長女性冒険者は俺に飛びかかってくる。慌てて逃げようとする俺の髪を力任せに引っ張り、強引に身体を仰向けにされ、胸ぐらを掴まれ、右頬にもう一度平手打ちを叩き込まれる。


「お、お待ちを! お待ちくだ──」


 左頬に平手打ち。右頬に平手打ち。左頬に、右頬に、左、右、左、右──

 間違いなくこの人は誤解している。俺がナツキを泣かせた。いじめていると。いや、理由はわからないが泣かせたことは事実だが。

 なんとかして誤解を解きたいのだが、右左右左と高速で叩き込まれる平手打ちの雨から逃れることができない。縦に大きく空いた口を閉じることができない。『は』しか発音できない。せっかくりんごで回復した体力が一瞬で尽きてしまった。

 俺はもしもの時のために持っていた手のひらサイズの白旗をポケットから素早く取り出すと、左右に高速で激しく動く顔と連動するように大きく振り回した。


 俺、何も悪いことしてなくない?




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