呼び声は黄泉声

うなぎ358

呼び声は黄泉声。



 同僚の送別会を三次会まで付き合ってから、深夜の薄暗い道路を足元を、ふらつかせながら家路を急ぐ。しこたまビールを飲んでいた俺は、セミの鳴き声に合わせ鼻歌を歌いながら上機嫌だ。




 あと少しで自宅に着くと言う所で、ふと視線を感じて立ち止まる。




 自宅とは反対方向なので、いつもなら素通りをする右手側の裏路地。街灯の無い細い道は、真っ暗で何も見えないし居ないように思う。




 なのに”誰か”が、俺を見ている。




 普段なら気にしないはず。けど今日は妙に気になってしまう。足が自然に闇色の裏路地に向かい歩きだす。




 足は止まらない。


 


 真っ暗なのに、なぜだか物にぶつからない。




 それどころかいつの間にか、セミの声も聞こえなくなっていた。




 無音の闇。




 背筋に冷たい汗が流れる。




 更には天地さえ分からなくなりそうな感覚に陥る。




 ヤバイかも? と、思ったその時。




 目の前にボンヤリと、不自然な青白い光を帯びた日本家屋が突然現れた。しかも廃墟と言ってもいい程の大きなオンボロ屋敷なのだ。屋根の瓦は殆ど剥がれ落ち所々、穴が空いているのが分かる。雨が降ったりすれば屋根の役目を果たさないだろう。




『早く来て』




 家の中から、透明な鈴の音の様な声がした。




 誘蛾灯に誘われる虫のように、玄関のドアノブに手をかける。昔ながらの回すタイプのノブを力いっぱい引いて、ガタガタと音を立てて開けた。よく見るとドアの板は端が捲れ上がり鍵も壊れていた。




「これは酷いな……」




 室内は予想通り床板は雨漏りで朽ちて、壁板もポロポロ剥がれ落ち、屋外と変わらないくらい草木が生えて蔦が這いずり回っている。




「お邪魔します」




 確かに先ほどは声が聞こえてきた。けどこのような今にも崩れそうな家に、本当に誰か住んでいるのだろうか?




『……いらっしゃい』




 また聞こえた。しかも何となく聞き覚えがある気がする。




「行くしかないか」




 ギシリ、と、壊れてしまいそうな音と共に土足のまま屋内に入ると、今までに嗅いだ事が無い程の濃厚で甘い花のような香りが充満していた。




 この香りにも心当たりがある。




ギシッ……ギシッ……




 俺は、この家に来た事がある。




バキンッ!




 床板は脆く所々、踏み抜いてしまう。




 一番奥の部屋の襖を開ける。と、言うよりホロホロと崩れて木屑に変わる。




『ずっと貴方を待っていたわ』




 耳元で冷たい吐息混じりに囁いたのは、かつての恋人。




「やっぱり、ユウコお前なんだな?」




 そして俺が、殺して家ごと燃やした女性だった。




『嬉しい……覚えてくれてたのね』


「あぁ」




 忘れる訳が無い。俺の初恋で、恋愛に不慣れな俺を一途に愛してくれた優しい彼女。




『愛してる』




 毎日、おはようから始まって数分置きの連絡、そして夜まで続くメールはおやすみの後も一時間置きに届く。




『ずっとずっと一緒よ』




 会社にいても、家にいても、友人と外出しても、ユウコの影がチラつく。俺はそんな、一途過ぎる愛が怖くなって逃げた。




『もう二度と貴方を離さないわ』




 身体は凍ってしまったかのように動かない。




『愛してる愛してる愛してる』




 俺の口は魚のようにパクパク動くだけで、叫び声さえあげられない。




 ——もう、逃げられない——




 目を閉じて、全身の力を抜いた……。


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