冷たい。
洸慈郎
冷たい。
とても冷えた夏の話です。
私が母の形見を忘れ、山に登り、その荒れた倒木の傍らで竜に出会った、あの朝が霧に紛れた日の話です。
足に負った打撲は癒えていないというのに、友人はその虫籠を天高く持ち上げて畦道を駆けていき、その背中を自転車で追ったのをよく覚えています。私の自転車は錆びつき、ペダルを踏んでもうまく前に進まず、少し無理をしました。私が友人に追いつける筈もなく、先にポツンとあるバス停のベンチに私は座り込みました。もう友人の姿はありません。
廃れたビニール傘、削れた道路の白線、田んぼの匂い、休む間に様々な夏を体験しました。ここで待っていれば友人は戻ってくるとだろうと思い、待ちました。案の定、友人は転んで膝を擦りむき、泣きべそをかきながらトボトボと戻ってきました。二人で歩いてお婆の待つ家に帰りました。この日の夕食は、魚の竜田揚げと焼きトウモロコシでした。
村の祭りも近いという話で、私と友人、そしてお婆の三人で村長の家に行きました。過疎化が進み、遊びにきた私を除くと十五を迎えていない子は村で八人だけだったそうです。そのため毎年祭りの屋台も少なくなり、今では村長が出す焼きそば屋以外に二つ、町から金魚を仕入れてきた金魚すくいと飴屋しかありません。私は村長の屋台の手伝いです。
村の広場、といっても神社の前にある境内のようなところでこじんまりとやる祭りです。居間で一連の説明を受けながら村長の奥さんが用意したスイカを頂きました。友人は村長から種の飛ばし方を伝授して貰っていましたが、うまく出来ていませんでした。
八月十七日、いよいよ祭りの前日となりました。事前に屋台の組み立て、焼きそばの材料の買い出しは済ませてありました。他の屋台を伺うと、飴屋を開くのは金物屋の店主でした。彼は村では若手で一度上京したのですが、三十路手前に今の奥さんと結婚して村に戻ってきたそうです。彼と少し当たり障りのない話をし、彼が煙草を一本吸い終えたところで村長の家に戻りました。明日のスケジュールの確認です。
年寄りも多く、小さい子もいるからと、祭りは三時から七時までの予定となりました。これは町内会のようなもので、互いに集まって近況を報告するのが例年です、何せ耄碌の楽しみは駄弁りですと、村長は話しました。
私は興味本位で祭りのルーツを尋ねました。今では形骸化した祭りで誰も覚えていないと思いますがと前置きし、村長は思い出すように眉間にシワを寄せました。ああ!と拳を手のひらに落とし、衣載松哩と書いていのりまつりと読む、村長が子供の頃にそう祖父から聞いたようです。
森にあるもっとも長い松に、村で松を覆い被せる程の長い布を織り、それを服のように松に着せるというものです。その起源は、昔川の氾濫によって村が流されてしまいそうになった時、森から竜が現れて自身の尾を噛み、環になって氾濫から守るよう村の周りを取り囲みました。村は助かったものの、竜は激流によって鱗を失い、夏のそよ風も寒く感じるようになってしまいました。村人は竜に感謝として服を織り、献上したところ竜は嬉々として空に登っていきました。それ以来村は竜のいた森の中で一番長い松を竜に見立て、織った服を着せ、天へ送るということで川の氾濫が起きないよう祭りをしていきたのです。
村長は茶色くて柔らかい、褪せた和紙の内容を指差しながら読みました。パタン、古い匂いがふいごのように舞いました。和紙を纏める背の紐がほつれているのを見ると、いかにこの地の伝承が古いものか実感した気がします。
夏の遅い日暮れも遠に辺りを暗くしました。お婆の家に戻ると、友人は扇風機の前に陣取って、アイスを食べながら湯冷めしていました。どうやら私が村長にご馳走になると思って食事を済ませてしまったようでした。仕方ないので素麺を茹で、きゅうりと一緒に食べました。友人は私の隣に座ると、村の子と少し遊んだということを話しました。危険かと思ったのですが、わざわざ止める必要もないだろうと私は思いました。
翌日は祭り当日ですが、準備もお昼頃からなので、竜が氾濫を防いだという川に友人と行ってみることにしました。それなりに深く、川辺には山から転がってきたのだろうと思える岩がたくさんありました。友人は浅瀬なら構わないのですが、胸まで浸かるほどの深さは苦手なので、いつもは騒がしいのに今回ばかりは恐る恐るという感じで遊びました。村とも距離が近いし、深さもあるので大雨が降れば容易に氾濫してしまうだろうと思いました。
流れ続ける川を指先で触れると冷たかったです。夏でも、川に浸り続けては風邪をひいてしまうでしょう。きっと竜に服を着せたのも、どこか神性からなのではなく、親心のような部分からだったのではないでしょうか。
自然を見渡した後、私たちは祭り会場に行きました。飴屋と並ぶようにして焼きそばの屋台はあります。村長は麺の炒め役で、私はプラスチック容器に焼きそばをよそうのと会計が主な仕事ですが、村長が疲れたら途中で私が炒め役に代わります。私を手伝いに呼んだのも体力の限界を感じたからだそうです。老いは恐ろしいと、口を揃えて言います。
境内にはすでに数人ですがいるので、客を待たせちゃ悪いとそれぞれ持ち場につきます。飴屋は手作りの金型に琥珀色にどろどろと溶けた砂糖を注ぎ、十円高いものにはイチゴやブルーベリーなどの果物を乗せ、爪楊枝を刺して敷いた氷の上で凍らせていきます。金魚すくいもポイや皿、持ち帰り用の袋に空気を入れるボンベの調子を整えます。私たちも同じように鉄板を温めて油を馴染ませ、良い感じのところで焼きそばを炒め、じゅわっとソースの匂いを蒸発させます。
これだけの閑散で、一気に祭りの雰囲気で出てきました。日傾き始めれば人もまばらですが集まってきて、そこそこの活気が湧きました。友人も地元の子に紛れて、お婆から渡された小遣いで金魚すくいに興じています。とりわけ友人は快活ですから、うまく馴染めていることに少し私は肩を撫で下ろします。
焼きそば三丁!と元気よく注文したのは、交番から自転車で見回りをしている警察の人でした。お酒を飲んで上機嫌なおじいさんに、困った様子で彼の肩を叩くおばあさんは昭和の亭主関白の夫婦のようでした。人懐っこい村の野良犬がトコトコとやってくると村長は焼きそばのエビを放ってあげましたが、実はその前に物陰で子供たちが焼きそばを頬張らせていました。玉ねぎが入っていなかったのは幸いです。
一息つき、屋台裏に置いた椅子に座って、一つ売り物の焼きそばを食べました。割り箸を割るのが下手なので、いつもささくれています。時間も経ち、もとより三つの屋台であるのだから老人の談笑が落ち着けば、祭りも次第に活気を失っていきました。しばらくして、友人が眠たそうに寄りかかってきました。それを見かねた村長が一本締めを行い、今年の祭りは終わりとなりました。私は友人をおぶって街頭のない夜道を懐中電灯で照らしながら戻りました。片付けは後日の運びとなりました。
祭りも終わって数日、私はお婆に頼まれて金魚すくいの屋台をしていた住民の家に預けてある荷物を受け取りに行きました。足の打撲はもう癒えたのですが、いかんせん村長の家に徒歩で向かうには遠いので自転車を行くことにしました。ついでに買い出し(私も欲しいものがありました)を頼まれました。
薄い素材のタンクトップで風を切ると、夏でも涼しい風を感じました。青々とした田んぼや麓から見える松の肌と濃い緑が一面にあり、代り映えのしない景色ですが、この曲がりくねった道や時折間違い探しのように立つ看板や家が新鮮味をいつまでも感じさせました。青白い快晴に、雲の揺らぎがゆっくりと風の連れ去られていきます。長いそこを行くとトンネルを山を突き抜けるよう口を開けて待っていました。肌寒さも感じる温度の変化、照り付ける太陽と暗いトンネルの変わり目に一瞬眩暈がするほどの暗さを感じました。絶壁に沿うようなトンネルは、その横っ腹から外が見えるようになっていました。柱の隙間から渓流が見えました。
トンネルを抜けても、次は木漏れ日を作る木々のトンネルが続きます。崖に沿うガードレールの向こう側には、吹き抜けた空と見下ろすように町並みがあります。遠い遠い声が木霊となって聞こえたように思えました。私がこの村に来て何週間経つのか、自然に飲まれて薄れた時間感覚が町の景色を見て思い出されます。
また少し行って、拓いたところにポツンとある空色のペンキを塗った小学校らしき校舎を横切り、二股の道を左に行くと目的の家があります。村人と軽い祭り振りの挨拶を済ませ、件の発泡スチロールの箱を受け取ります。中を見せてもらうと大量の鮎でした。鮎は秋の産卵期に備えて夏に脂を蓄えるそうで、旬を迎えてどれも大きいです。自転車の荷台に落とさないよう紐で箱を縛り付けます。頂いたことにお礼をしてその場を後にし、私はこの先にあるコンビニへ行きました。頼まれていた単三電池と肴の落花生、それから私的な雑誌、友人のためにお菓子とジュースを買いました。
あの二股の道に差し掛かった時、ぽつぽつとにわか雨が降り始めました。すぐに勢いは強くなり、私はあの校舎に避難することにしました。すぐに止むだろうとたかを括ってひさしで待つことにしましたが、なかなか激しさがおさまる様子はありませんでした。いつまで外では風で横なぎに吹く雨や跳ねる雨雫で汚れてしまうので、自転車を止めて校舎内に入れるか玄関の横扉に手をかけてみました。幸いなことに鍵はかかっておらず、不法侵入にうしろめたさを感じましたが、奥まで続く一本の廊下にどこか閑散として神秘に連れられて、踏み入ってしまいました。
雨を屋根を打つ音、すりガラス越しに差し曇り空の明かりがうす暗く廊下を照らし、埃っぽいような古めかしい匂いが立ちます。静かで、通ったこともない校舎なのに子供の笑い声や足音がしないことに違和感がありました。教室を覗くと、膝下ほどの高さの木の机が数個並んでいました。黒板のポケットには赤と白と黄色のチョーク、掃除ロッカーには三本のほうきとバケツにちり取り、扉側には雑巾が掛かっています。歩くと軋む床におっかなびっくりしました。天井を見上げると、むき出しな梁や木組みに恐怖を感じました。モダン建築は、大抵骨組みや中身を隠すように部屋を作ります。ですが日本の伝統的な建築は、そういった隔たり、例えば屋根と天井を区別せずに、屋根が天井でもあります。私は、それが内臓や肋骨をむき出しにして弱点を晒しているように見えて、怖いです。そういうのでいうと体育館もどこか崩れてしまいそうで天井を見上げるのは苦手でした。
三つ並ぶ教室、厠を挟んで細長い職員室がありました。ですが、あまり使われている雰囲気はなく、旧校舎のような薄汚さがあります。職員室の机にも棚にも書類が一切ないので少子化に伴って閉校したのでしょう。
私は突き当たりの窓辺に置かれた丸椅子に座りました。外のすぐそばには長く伸びた枝の葉々が屋根から滑り落ちる雨滝にうたれ、頷くようにたゆんでいるのが見えました。森へと吸い込まれそうな木々の奥行きは本当に静かです。道路と森の境界線をぼかすようにして草と玉石があります。
後ろを振り返って遠くにある入ってきた玄関を、廊下を雨音の中で見つめました。建物なのに自然の一部であるかのような切ない孤独感がありました。悲しいわけではないのですが、私一人が取り残されてしまったようで感傷に浸りました。
しばらくして雨がやみ、私は家に帰りました。濡れてしまったので少し早いですがお風呂に入りました。田舎だから古くさい洗面所、浴槽ということはありません。むしろ新しく改修したので洗面所は熱海の温泉のような綺麗な赤木の木造りで、浴槽もすぐに湯がはれるハイテクなものです。冷えた体を指先まで温め、湯上がりにグラス一杯の牛乳を飲みました。
田舎とは都会と全く違うもので、そうそう景色は変わりませんし、ふと晴れた日に空を見ると鳥に成りたいと思ってしまいます。お婆も村長の家も伝統的な平屋なのですが、使わない縁側にはタンスが並び、食器棚の中もグラスが詰まっています。田舎は貰い物が多いのですが、それを捨てるのはやはり億劫で、捨てるにしても近くに回収してくれる廃棄場もないので自然と物が溜まっていくのは都会と違います。言ってしまうと、田舎のご近所付き合いというのは数少ないお金の使いどころなのです。
他にも違うものは沢山あります。自然の量も違うでしょうし、時間の感覚も緩慢です。平日と週末もあまりなくて、私も曜日感覚を忘れてしまいました、夜も暗いです。家の明かりがなければ、日暮れと共に寝てしまえます。テレビのチャンネルも少ないですし、食事も漬物などの日保ちするものが多いです。虫も蚊も多いので蚊取り線香があまり効かない時は、蚊帳を下ろすことも未だにあります。
よく暇を持て余すと言いますが、それは少し勘違いしていると思います。確かになにもしないで家にいると暇になってしまいます。コンビニも視覚的な変化が乏しいので、目的もなくぶらぶらするのは私でも苦痛です。ですが、例えば何かに興味を持ってみるだとか、誰かと一緒にいるだとか、私を外に向けると暇な時間はなくなります。
きっと都会というのは哲学者の街なのです。孤独と戦い、心の底から光るものを拾い上げて、それをひたすらに磨いている。私は本心からそう思っています。田舎は鳥の里です。思い思いに飛び立ち、夜になると羽を休める家に帰り、また明日に飛び立つ。そうした違いに良し悪しをつけるのは私は嫌いです。
暑い日、友人が買ったアイスを縁側で食べながら言うのです。私の母の由縁の話でした。釈然としたものではないので、私は無意識にはぐらかしました。いつも首から下げる形見のネックレスは、私よりも雄弁でした。それだけの内容でもないので友人も言及することはありませんでしたが、私も友人に悪いことをしたと思いました。畢竟、私は何も語りませんでした。
友人が先行くのを私が追う、そういう夢を見ました。ですが、いつまでも手が届かないでいるのは、私も友人に何も語られていないということです。訊ねても友人は幼く笑い、風のように隙間から逃げてしまいます。
木に登り、遠くを眺める友人に私は帰路につくことを提案しました。もう夕方でした。友人はひょいひょいと降りてくると、私の手に引かれてどこか寂しそうに俯いていました。トンボが少なくなったと友人は溢しました。世界が私たちに冷たくなったからだと、私は相槌をうちました。
次の日、友人は朝から夜まで行方不明になりました。村人の体力ある人達で探し回りましたが、友人が自ら戻ってくるまで見つけることはできませんでした。騒然とした一大事でしたが、村人は安堵するばかりで私や友人を責めるということはしませんでした。私がそのあと友人にどこへ行っていたのか尋ねると、山に行っていたと泣きじゃくりました。私はとても困惑してしまったのを覚えています。友人の操る言葉が少しばかり譫言や預言のようで、全てを理解できませんでした。
私は翌日、友人が行ったという山にまだ太陽が出きっていない四時の早朝、何があったか調べにいきました。麓まで来たところで、私は昨日の捜索の中でネックレスの紐が切れて、そのまま家に忘れていたことを思い出したのです。ですが戻ってはわざわざ家を早く出た意味がありません。私は、とにかく村人に気づかれたくありませんでした。そのまま舗装された山道を行き、途中で道は途切れていましたが、行けそうな獣道があったのでそこからさらに行くことにしました。季節外れな朝露があるほど寒い、少し霧掛かる道でした。人の手が加わった様相が自然の中にちらほらと見え始めところに出ました。貼られたテープを潜り抜け、それでも先に行きます。何かに導かれている感覚がありました。荒れた山道を歩くのは体力を消費し、私は岩に手をつきました。
冷たい。その感覚が今も手のひらに残っています。
見上げると巨石の後ろに、風化した布切れをその幹に着る高木の一本松がそびえていました。枝先を天に伸ばし、抜きんでた高さと幹の太さはその樹齢の長さを物語っていました。倒木が辺りにあり、そのおかげでこの一本松が育つだけの環境ができたのでしょう。ならば、ここで一つの疑問が生まれます。どうして倒木が辺りにあるのか、その答えは目の前にあるのです。
冷たい巨石の表面は滑らかで、よく見るとその肌は仄かに青と緑の光沢ある鱗のようでした。ぐっと硬い表皮に覆われたそれは苔蒸し、土も積もっては露に濡れていました。二人分の両手を広げても届かない横幅に、離れなければ頂点までは見えず、曲線ある体積を仮に蛇とするならとぐろを巻いている状態なのだと思いました。この仮定は私もばかげていると思ったのですが、現実は現実以上の姿を見せることもあるようです。その、病的に冷たい肌も嘘を語ってはいなかったのです。
回り込むと、一本松にこうべを垂れるように、その頭が地に這うよう伸びていました。色褪せた雁首はナマズの髭とすすけた錦鯉のような紋様、流れる雲に似た眉、蛇と犬を合わせた長く伸びた平たい頭蓋、蔦の巻き付いた鹿の角、そうした数々の特徴は竜と言えました。私は腰を抜かしてしまいました。その開く瞳と目が合ってしまったからです。ですが、じっと怯えて、しかし魅入ってしまう内にその瞳が死んだ魚のように白く濁り、深く虚空を眺めていることに私は気づきました。
この病的に冷たい鱗と生気のない瞳に合点がいきました。
その竜は死骸でした。
私に竜の何を知っているかと言えば何も知りません。竜が何を食べ、どこで生き、どうやって産まれてくるのか、そうした生態は誰も知らないでしょう。さらに言えば、彼らに知性はあるか、理性はあるか、人と同じように宗教を信じるのか、そうした次元の話を竜に当てはめるのは馬鹿のすることなのかは私には分かりません。しかし、私はこの死んだ竜を見て、思ったのです。
この地で祈ったのではないでしょうか。かつて衣載松哩の対象として村人が信仰した、この一本松の前で。地上にて木を倒してとぐろを巻き、人と同じく松を見上げる身となって、死を悟り、天へと帰る儀式をしたということです。私は竜がここで死んでいたのは全く偶然だとは思えません。
人の尺度とは、常に脆いものでした。私ごときの感想が竜の全てを言い当てるなんてことは不可能です。だから間違いもあるでしょうし、意見も異なることがあるでしょう。私が大切にしたいのは、その脆い尺度の中で何を解釈したかという、まさに竜がしたことです。
おそらく竜は森に帰ったでしょう。分解され、その幻想は土地の栄養に還元されてしまったでしょう。魂を信じるわけではありませんが、せめて竜ならば魂だけでも天へ帰らせてあげたいと思いました。だから、私もその地で祈りました。
それ以上はありません。そのまま踵を返し、竜には触れず、下山しました。私はすでに当初の目的を忘れていましたが、忘れるべきことだったのかもしれません。竜、それを知るとは恐ろしいことです。幻想が手のひらに残り、その死への脱力感は私を常に呆けさせる悩みの種になりました。子供はよく嘘を言いますが、嘘じゃないもんと膨れる子供の気持ちが分かったような気がします。
私は朝を少し過ぎた頃に家に戻ることができました。お婆には竜のことを訊ねませんでしたが、友人には聞きました。昨日の話と関連があると思ったからです。ですが、聞くと友人はいつもの元気をなくし、その日は一日中山の方を見ていました。寝る直前、友人は私に一つのことを聞きました。
それは友人の名前でした。私は分からないと答えると、洸りました。
翌日、友人は畦道で死んでいるのが発見されました。
冷たい。 洸慈郎 @ko-ziro-
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