03-嘘アンドストーク・後




 T県U市は、T県の県庁所在地であり、北関東最大級の都市である。

平野が多く、殆どの地域は魔物を追い出し人の領域と化している。

餃子で有名な都市で、竜国から渡ってきた料理人が、当時ここに居を構えていた薬師寺家の十二代目当主に餃子を献上したのが流行りの切っ掛けだったとか。

それが由来で、地名で呼ばれる他、ここの餃子は薬師寺餃子、転じて大戦後は賢者餃子とも呼ばれている。


 その中央近く、僕とソウタは餃子弁当屋の長い行列に並んでいた。

女性陣はニンニク臭い餃子屋の行列に並ぶのを嫌がり、三人で他所の弁当屋に並んでいるのだという。


 さて、僕ら冒険者は、須らく消費カロリーが尋常ではない。

純後衛のミドリやコトコでさえ二人前は食事を取るので、前衛の姉さんやソウタ、中衛の僕もかなりの大ぐらいだ。

ミーシャには悪いが弁当だけでは流石に足りず、ソウタにコトコだけではなく、僕ら三人も追加の食事は確保が必要となる。

という事で僕とソウタは名物の餃子店のテイクアウトに並び続けている次第である。

それだけなら僕がソウタと一緒に並んでいる必要はないのだが、単独行動による戦力分散を防ぐという建前と、とにかくソウタと会話してこい、というコトコの無言の圧力があった。

よって僕らは朝から行列の出来ている名店餃子の入手のため、行列の一部になっているのであった。


「……あっ」


 高い声。

視線を向ける……よりも先に、糸の感知がそれを感じとる。

幼い子供。

躓いて、こけそう。

言語化より早く軽く指を動かし、僕は糸を具現化していた。

子供の両肩を後ろから一瞬支えてやり、バランスが取れたのを確認してから手放す。


「……あ、あれ?」


 転びそうになったのに、と言いたげな子供を一瞥だけして、僕は視線を前に戻した。

小さく、溜息。

溜息が重なり、思わず視線をやると、嫌そうな顔でソウタが溜息をついていた。


「……ユキオ」


 ソウタが呟いた。

弁当屋は街中の商店街近くにあり、その行列も自然、喧騒の中にある。

それでも呟くような声量は、僕の耳に明瞭に届き、誤解を許さなかった。


「ガキの頃……いつだっけ。小学生の、低学年ぐらい……。

 その頃に確か、同じようにコケそうになったコトコを、助けたよな」

「……あぁ、うん。確かにそんなことがあった、気がするな。

 今みたいにソウタと二人歩いていて……勝負して、僕が勝った帰りだっけか」

「いや俺が勝ったが?」

「いや僕だったけど……」


 ソウタが、苦虫を噛み潰したような顔で口をひん曲げた。

そんなに事実を言われるのが嫌かな?

首をかしげていると、眉をひそめながらも続けて言う。


「まぁ、置いといてだ……。で、助けた後、コトコん家のおばさんに、めっちゃ怒鳴られただろ。

 ウチの娘に何をするんだ、って。

 おばさんにはユキオが糸で助けたんじゃあなくって、糸で躓かせてコケさせようと悪戯したように見えたらしくてさ」

「あぁうん、そうだったね」


 当時は、確か僕は9歳か10歳ぐらいだったか。

コトコの母は恰幅が良くて、幼く小柄だった僕には随分威圧感のある相手に感じられていた。

誰が相手でも突っかかるような気象の荒い人で、当時の僕は彼女の雷鳴のような怒声に酷く怯えたものだった。


「……あんな事があっても、お前、咄嗟に人を助けるもんなんだな、って思ってさ」

「今なら、もっと上手くやれるからな」


 この手の術式を用いた悪戯や悪意には、あとから遡って検知する技術がある。

当時はロクに知らなかったが、こうしてギルドの認定を受けた冒険者となった時点で、その手の知識は一通り覚えている。

勿論僕らが自分で検知したところで証明は難しいが、それぐらい第三者にやってもらえば済む話だ。

普通に警察署に行って頼めばそれぐらいはできると、今の僕は知っていた。


「あの時……お前の事は、誰も助けなかった」

「そうだっけ?」

「コトコは……おばさんの事を怖がって、何も言えないって感じで。

 おばさん、謝らせようってつもりで龍門さんに電話までさせて……。でも龍門さんは忙しいから来られない、って切っちゃって。

 結局家政婦の人が引き取りに来るまで、ずーっと怒鳴られっぱなしだったよな」

「……まぁ」

「俺も……何も言わなかった。お前、なんで俺を頼ろうとしなかったんだ?」

「さっき言ったろ」


 え、とソウタが目を瞬いた。

本気で解っていない様子のソウタに、溜息をつく。


「僕はお前と勝負して勝った帰りな訳で、さっき負かした相手に頼る訳がないだろ」

「いや俺が勝ったけど?」

「……万が一そうだったとして、だ。その場合僕は次こそ勝って思ってるわけで、次に勝ちたい相手に頼りたいなんて思わないだろ」


 事実を捏造するソウタに呆れつつ説明してやると、パチクリと目を瞬いた。

ソウタは、言動程頭が悪くはない。

コイツなりに空気を読んで馬鹿っぽい振りをしているだけで、頭の悪そうな発言の半分ぐらいは演技だろう。

ただ、空気を読むのが下手だから、空気を良くしようとして言った演技の言葉で、空気を悪くしているだけで。

その上で、今の反応は、素で解っていないようだった。

そりゃあないだろと思いつつ、溜息をつく。

本日の僕のため息は朝から出ずっぱりで、そろそろ胸の中のため息が出尽くしそうな勢いだった。


 暫くの間、僕らはなんとなく無言のまま行列の一部となっていた。

繁華街の喧騒の中、餃子のニンニク臭にお腹を空かせながら、ボンヤリとして。

妙にゆっくりと流れる時間に身に置いているうち、僕の頭の中にじんわりと餃子以外の事が押し流されていき。

そんな折に、ポツリ、とソウタがつぶやいた。


「106勝、103敗」

「……僕とお前の、戦績か」

「最後にやったの、何時だっけか」

「……春先、っていうよりはまだ冬か。二月の終わり」


 一瞬何のことか分からず、反応が遅くなってしまった。

餃子の事で頭がいっぱいになってたりしませんよ、という表情を作りながら、静かに感情をこめない声で返答を続ける。

頭の中から空腹と食欲を追い出して、僕はソウタに視線を戻した。

ソウタは、虚空を眺めていた。


「お前、最近俺と勝負してないよな」

「……まぁ、ね」


 僕は、前回の勝負を思い出す。

勝負と言っても、ほとんど喧嘩みたいなものだ。

相手を必殺するような技は封じ、学園の頃の模擬戦ルールから少し遠慮を無くした程度。

当時の僕の位階は51、ソウタは48。

相性が悪いとは言え、ほぼ同格ながら一応格下のソウタ相手に、惜敗してしまった一戦。

敗北の苦い記憶に、目を細める。


 しかし今の僕の位階は、86。

ソウタの位階はその後伸びて、50。

位階差が10もあれば、おおよそ2倍のスペックがあると言える。

位階差36であれば、スペック差はおよそ10倍以上だ。

負ける理由が殆どない、蹂躙と言って良いほどの格差。

僕は大好きな人を殺した事で得た力を、これまで互角だった腐れ縁の男を嬲る事に使う自分を思い描いた。

吐き気のする光景だ。


「お前が……何をどーして強くなったのかなんて、知らないし、聞かねーけどさ。

 それでもやっぱり、強くなったことは……羨ましいよ」


 僕は、キョトンと目を瞬いた。

なんというか、コイツは特に僕の前では、常に虚勢を張っているような所があって、決して弱みを見せないような所があった。

春の竜銀級の時もそうだった。

僕が先を行くと、決して負けを認めず、僕が間違っているのだと、お前が俺の前に居る事は間違いなのだと、兎角そういう言い方をする男だった。

対抗心。

或いは嫉妬心。

そういったものの表れを、覆い隠して殴りつけてくる感じ。


 今は、むき出しの感情が、僕にぶつけられていた。

怒りには淡々としていて、憎悪には弱弱しく、憧憬には毒々しく、嫉妬には乾いていて。

何者か分からない、名前の思いつかないような感情。


「羨ましいから……鼻にかけてほしい。

 俺が羨んで、欲しいって思ってるものを……そんなもの要らなかった、みてーな顔をされるのは、心底気分が悪いぜ。

 悪役ってーのは、もっと気分よく殴られるようにやるもんだ。

 俺はお前が嫌いだけど、最近もっと嫌いになってきた」

「お互い様だな。僕も君が嫌いだし、最近どんどん嫌いになってきてる」


 鼻で笑ってやると、ソウタは僕の事を、詰まらないモノを見るような目で見てくる。

視線が合い、互いの目を見やる。

乾いた、どこか疲れたような茶色い瞳。

赤茶けた髪の毛は逆立たせてセットされており、その瞳を覆うことなく、露わにしている。


 その乾きが伝染するように僕の内心も乾いていた。

怒りや憎悪ではなく、ただただ降り積もったかのような疲労が僕の中にあった。

そいつを絞りだし、口先に乗せて吐き出す。


「心底……思ってるよ。僕が要らなかった、欲しいなんて思ってないって思ってるものを、君が欲しがるたびに……。

 お前に何が分かる、何も知らないクセに、って」

「それこそ、悪役の台詞だな。お前は英雄になりたいんじゃなかったのか?」


 虚を突かれた。

僕はソウタに自分の夢を語ったことなんてなかった。

そんな僕を、ソウタは苛立ち混じりに鼻で笑う。


「なんだ、俺が気づいていないと思ってたのか? 隠せているとか思ってた訳か?」

「いや、君が僕に、そこまで興味がないと思っていただけさ。……興味がなくても分かるぐらいにバレバレだったかい?」

「……お前のこと、本当に嫌いだよ」


 吐き捨てて、ソウタは前に向いた。

僕もそれに倣って行列の一部として、ただただ前に進む事だけ意識することにする。

もうすぐ、行列の一番前だった。




*




 追加の弁当を確保した僕らは、そのままヒマリ姉のバンで北上。

北西方向へと国道沿いに幾らか行くと、低山地が見えてくる。

駐車場に車を置いて山道沿いにしばらく歩くと、道の半ばあたりに小さい休憩用の広場があった。

屋根の下に木製のテーブルとベンチがいくつか用意されており、登山というか、ハイキング客の休憩所扱いなのだろう。

この先の草原が目的地だが、そこまでに休めそうな場所はない。

時計を見て、少し早いがお昼にしよう、と皆で弁当を広げ始めた。


「うう、困った……。鶏のバジルソテー、美味しそうなのに、餃子の香りが犯罪的過ぎて負けそう……」

「交換しよっか?」

「ありがとユキちゃん!」


 姉さんにゴマダレの掛かった水餃子をくれてやり、僕は代わりに鶏のソテーを口に。

結構美味しいのだが、餃子の直後だと流石に淡白な味に感じてしまう。

食べ合わせ……と内心遠い目をしながら、烏龍茶で口の中の脂を洗い流した。


「うへへ、水餃子、もちもちしてて美味しいね!」

「やっぱり僕は、焼き餃子より水餃子派かな。賢者餃子というと、焼き餃子な感じはするけどさ。……あとミドリ、食べるなと言わないけど、一応声かけてね?」

「ん。私の物は私の物。兄さんの物は私の物」

「コラコラ……」


 と、ヒョイヒョイ僕の餃子を口に運ぶミドリに注意すると、屁理屈で返ってくる。

これで注意しないと、それはそれで拗ねられるのできちんと怒ってやらないといけない。

コツン、と軽く額を叩いてやると、反省のポーズをするミドリ。


「ぐぬぬ……仕方ない、買ってきたラタトゥイユをちょっと献上します」

「好きだからいいけどさ……」


 と、差し出された惣菜を口にする。

季節は夏、ちょうど旬の夏野菜を使ったラタトゥイユは、トマトソースに少しニンニクが効いていてスタミナ料理感満載という感じだ。

二口程貰って返してやると、何故か嬉しそうに受け取るミドリ。

何が楽しいのやら、と首を傾げつつ弁当の攻略に戻る。


「お前ら、本当に楽しそうだな……」


 とボヤくのは、さっさと食事を終えたコトコだ。

食事の量自体控えめなのと、そもそもが早食いなので、いつも彼女は先に食事を終えて待つ構えをしている気がする。

とはいっても、冒険者の後衛の常として、2人前ぐらいは食べているのだが。


 その向かいでは、ソウタが黙々と買ってきた大量の焼き餃子と白米を口にしていた。

その食卓に、野菜はない。

店舗で野菜はどうするんだと聞いたが、野菜餃子を多めにするので大丈夫、などと宣っていた。

そのうちコイツ体壊しそうだなと思いつつも、わざわざツッコミはしない。


「そういや、この先魔族反応があったってことは、魔族戦になるかもしれないんだよな?

 そもそも魔族って、何なんだ?」


 出し抜けに、ソウタが問うた。

ふむ、と姉妹に目をやるが、無視して食事中。

コトコに視線をやると、お前が話せとばかりの視線が返ってくる。

仕方なしに、食事の合間に口を開く。


「簡単に言えば、魔族は異世界の知的生命体だな。滅びそうな異世界からこっちに逃げてきたんだとか。外見的特徴としては、ツノと翼、あと尻尾がある」

「ふーん。なんで人類を滅亡させようとしたんだっけ?」

「……お前授業聞いてなかったのか?

 当時この世界に避難できた魔族だけで、推定200万人以上いた。順当にいけば、もっと多くの魔族がこちらに来られたのかもしれない。異世界だけの資産では食っていけなかったんじゃないかな? だから許されるという訳じゃないけど」


 当然生活環境を整えようとすれば、それは一から作るよりも奪う方が早い。

圧倒的な戦力があれば尚更だ。

現地の弱小種族よりも同胞を取り略奪を始めた魔族達は、しかし最終的に人類にその殆どを滅ぼされる事になった。


 200万人の半分以上は戦闘可能な戦士階級だったようで、その後増えた生産階級を含めれば凡そ4、500万人居た魔族は、既に10万人程度まで数を減らしている。

確か、種族の存続維持には近親交配の関係で500人程度必要だが、既存の文明の維持のため学問や産業能力を保とうとすると、5万人程度は欲しいという話だったか。

とすれば、そろそろ魔族はいわゆる魔族文明の存続分岐点が見えてくる人数まで減った、文明的絶滅が近しい種族と言えるか。


「僕らも魔族を見た事は、基本一度しかないはずだろう? ほら、学生の頃の見学で」

「あー、気配を覚えるためとかそんな感じだっけ。まぁ独特の気配だったな」


 その魔族も完全に拘束されていたため、本当に見る事しかできなかったが。

半ばで折れた角、片方しかない翼、細く柔軟な尻尾。

絶望と怒りに満ちた目。


「魔族をこの後どうするかは、かなり頭の痛い話と言われているね。

 世界の種族を絶滅させようとした種族なのだから断絶すべきという意見と、もはや生産階級しかいないのなら絶滅は避けるべきという意見の両方がある」

「え、そうなんだっけ? 絶滅しよーぜはなんとなくわかるけど、生かそうぜってこう、倫理的な話?」

「そうっちゃそうだが……わりと功利的な話だな」


 魔族を断絶すべきという意見は簡単で、復讐への恐れと、魔族への怒りからだ。

人魔大戦で人類が勝利できたのは、歴代最強と言われる勇者二階堂龍門が居て、かつ人類史でも最強格の戦士が三人共に戦ったからと言われている。

つまるところ、少し世代がズレていれば人類が敗北していた可能性が高い。

そこで復讐心を持つ魔族の中から、次代の魔王が生まれれば、今度こそ人類は完全に滅亡してしまうだろう。

よって、あまりにも危険すぎるというのが断絶派の意見だ。

あとは当然、滅亡寸前まで追い込まれた人類の怒りという事もある。


 対しいわゆる共存派の意見は、おおよそ二つの利点からとなる。

一つは、魔族文明の吸収による人類強化。

魔族の用いる魔法は、人類が持っていた術式とは異なる法則を元に使われており、これを人類の物とできれば人類はより強くなれる。

また、その他異世界における学問、特に医学工学などを吸収する事で、人類の力を底上げすることも可能だろう。

異世界が一つとは限らない以上、第二の異世界もまた侵略を企てている可能性があるため、存続のために人類は力を蓄えねばならない。


 もう一つは、それこそ倫理の問題である。

この世界にも尤も多い純人の他、仙人やら妖精やら竜族やら、多くの知的生命体が存在する。

当然種族間の対立もあり、そこで魔族という種族を断絶した前例を作ってしまえばどうか。

次の種族間抗争には、他種族の断絶という選択肢が生まれかねない。

それは数は多いが平均的強さが弱い純人にとって痛手だし、他の強力だが数が少ない種族にとっても同じだろう。

故に人類全体の存続のため、他種族の断絶という前例を作らない、これ以上人類の倫理観を下げないため、という事。


「なんっつーか、徹頭徹尾、怒りか、恐怖か、実利だけなんだな。魔族への対応って」

「そりゃまぁそうだろ。絶滅戦争を仕掛けられて勝った相手への対応なんて」


 納得して黙った様子のソウタに、僕もまた残る昼食へと取り掛かる。

それにしても、魔族への対応か。

直接に魔族から被害を受けていない僕としては、どちらかと言えば共存派、ぐらいの意見だ。

その上で現状では、断絶派の意見の方が強いように感じる。

とすると、万が一魔族がこの件に絡んできた場合、どのように対応するかによって政治的な影響があり得る訳で。

分かり切っていた事であるが、今回、現場の判断が重すぎる。


「まぁ、どうにかするしかないか……」


 溜息。

重くなった胸中を誤魔化しつつ、残る食事を口に運んだ。




*




 先の休憩所から、山道を徒歩で3kmほど。

左右を木々に囲まれた森が終わり、急に開けたなだらかな草原が目に入る。

ざっと数キロ四方はある広い草原を、僕らはそのまま進み、中央付近まで到達した。


「さて、この辺でいいかな?」

「そうだな、ちょうどよい辺りだろ」


 頷くコトコを確認し、他の面子とも視線を合わせ、意志を確認。

その上で背後を振り返り、声をかける。


「何の用だい? 山道に入ったあたりから、ずっと尾行していたよね?」

「……」


 空間が、歪む。

続けガラスの砕けるような音と共に、それまで存在しなかったその5人が姿を現した。

事前の情報通りの5人の仙人が、ずらりと並んで見せる。


 男二人は一言も喋ることなく、顔色一つ変えずに拳を構えて見せた。

対し女性陣は、腰に手を当て、或いは腕組みをし、ジロリと僕らを見つめてくる。

金髪の耳はどうも狐のものだったらしく、ちらりと見える尻尾はふわふわの狐色だ。

青髪は猫耳持ちだったようで、尻尾は細くなんとなく猫っぽい。

小柄な黒髪のうさ耳持ちは尾が見えないが、まぁ本当に兎の仙人なら尾は短く、背中を見せられねば分からないだろう。

と、黒髪が一歩前に出る。

凍り付いたような表情で、僕を見つめてきた。


「我らは、名乗る事を許されていない。

 その上で、灰色の髪に痩身、鋭い殺意と位階の高さ……、君が二階堂ユキオだね?」

「……そうだと言ったら?」


 こちらを認識している。

とは言え情報通なら僕の外観ぐらいは知っているだろう、これだけで追手の情報が漏れていたとするのは穿ち過ぎか。

そして見るに、この黒髪が頭一つ抜けて位階が高く、リーダー格と言う所だろうか。

戦闘態勢ではないので明確ではないが、位階70を超えているだろう。


「……あぁ」

「……これが」

「……例の」


 女性三人がつぶやき、そしてポロリと涙をこぼした。

そして震える両手を、左右に入ったスカートのスリットに。

まくり上げた。


「……は?」


 思わず、呆然とする。

レースの編み込みが複雑に入った、下着の布地が、目に入る。

深いスリットが故に、ヘソ近くまでまくり上げられた下腹部の眩しい肌色。

下着は面積が少なく、限りなく裸に近い、明らかに実用性より誘惑を目的としたもので。


 思わず視線を逸らした先、彼女たちはそれぞれに顔をゆがめていた。

金髪狐耳は、唇を噛み切り血を流しながら、こちらを睨みつけている。

青髪猫耳は、歪み切った笑みを浮かべ、大粒の涙をこぼしながら上目遣いにこちらを見ていた。

黒髪兎耳は、今にも消え入りそうな儚い笑みで、虚ろな視線を僕に向けている。

反射的に、自殺してしまいそうな顔だ、と思った。


「二階堂ユキオ……我らを、抱いてください」


 震えた、棒読みの声だった。

絶句する僕を尻目に、寄り添う残りの二人も、お願いします、とだけ続ける。

異様な光景だった。

初対面の、それも直前まで敵対することを想定していた、強大な戦力を持つ異性の美人三人。

それらが名乗りすらせずにスカートをまくり上げ、下着を見せて、棒読みの誘惑をしてくるのだ。

性欲よりも、疑問符を刺激される光景だ。


「……な、何を言ってるんだ? 意味が分からない」

「貴方の……子種が欲しいのです」

「「……は?」」


 僕の左右から、ゾッとするような鬼気が弾けた。

チラリとみると、ヒマリ姉が万力で拳を握りしめ、ミドリが魔杖銃を構えていた。

あまりにも唐突な殺意に、ふっと冷静さが湧いてきた。

自分以上に動揺する他者を見て冷静になる奴だ。

まずは、と僕は首を左右に振った。


「……断る。初対面の名前も知らない相手に言われても、考慮するにも値しない」

「……ああ」


 す、と三人がスカートを手放した。

ストンと布地が落ちてゆき、露わになっていた下着を覆い隠す。

ポタポタと涙を零しながら、三人が呟く。


「これが……私たちの運命だというのか。こんな風に誇りを凌辱される事が?」

「弱さが悪い……その通りなのでしょうが、わたくしが生きてきたのは、こんな事のため?」

「いや……ぼくらが弱いのが、いけなかったんだ」


 次々に、三人が拳を構えた。

僕は糸剣を編み込み、ソウタが剣を抜き、コトコが宙に水を待機させる。

残る姉妹は、既に構えたままだ。


「二階堂ユキオだけは、生かして捕えます。それ以外は、排除を」

「「……了解」」


 五人が、こちらに向かい地を蹴る。

僕らもまた、彼らを迎え撃つ形で構えた。


 戦闘態勢、彼らの魔力が解放され、おおよその位階が測れる。

やはり黒髪だけ突出し位階70程度、残りは50前後といった所か。

僕ら家族はともかく、ソウタとコトコに黒髪の相手は厳しい。

とすれば、最も位階の高い僕が彼女を抑えるのが丸いか。


 黒髪を最後方にいわゆる鶴翼の陣、V字に並んだ五人の、中心に突撃する。

どうやら向こうも同様の考えで居たようで、黒髪が僕を迎え撃ち、残る四人は僕を素通りさせた。

背後が気になるが、一端心配を切り捨て、目前の黒髪に集中する。


「月影よ……!」


 咆哮と共に、黒髪の影が動いた。

凄まじい速度で影が伸び……、密かに僕が展開していた、足元の糸結界と激突、相殺。

目を見開きつつ、黒髪は即座に両手に黒い影を展開、黒い短刀を二つ編み上げる。

なるほど、同じタイプの術式。


 殺意、黒い影槍が複数空中に展開、射出。

しかし僕が既に張っていた糸の結界が防御し逸らし、僕らは互いに近接戦闘の間合いに入る。

袈裟の一撃、黒刀が防御。

受けきれず体勢をわずかに崩しつつも、そのまま反転しつつ突きの構えの黒髪。

咄嗟に片手を離し、手の甲で喉元を隠す。

瞬間黒刀が伸長、伸びた突きを糸手甲が弾いた。


「……!」

「ぐっ……!」


 吐く息が空気を震わせる。

互いの体が開ききりつつ泳ぎ、まるでダンスパートナーが踊りあうような一刹那。

両手が開き、互いの武装が地面に落ちながら新しい武装が生成される。

そのまま彼女はくるりと肩から地面を回転し態勢を整え、僕は地面に敷いた糸結界の弾力に任せて勢いよく起き上がり、すぐさま突進、機先を取る。


 僕の唐竹の一撃。

受けきれないと判断したか、片手の武器を手放し両手持ちにし、横ステップしつつの防御。

体勢を崩しつつ着地する黒髪に、そのまま渾身の切り返しの切上。

これも防御が間に合いそうだが、意識を切り替え全霊を込める。


「おぉおおぉっ!!」

「……がっ!?」


 バリィン、という破砕音。

相手の黒刀を破壊しつつ、腹部に切り込む。

少し食い込んだところで止まり、一瞬僕と彼女の視線が合った。

背の凍るような殺意。

思わず飛びのいた次の瞬間、僕の残像を、地面から生える影槍が貫いていた。

あと一歩踏み込めていればそのまま彼女を解体できていたのに、と内心舌打ち。


 互いに構えて仕切り直し。

黒髪も、腹部の傷は影が覆って応急処置らしきものが行われる。

視界の端で見るに、ヒマリ姉とミドリが女性陣を相手に、ソウタとコトコが男二人を相手にしている。

姉妹が相手を圧倒しそろそろ勝負がつきそうで、ソウタとコトコも連携が上手くゆきかなり優勢のようだ。

そんな風に思っていると、黒髪の女が僕を見ながら、荒い息をしつつその顔を歪める。


「つ、強い……!」

「……」


 見えてはいないが。

恐らく相手からは、僕の左目は青い光を灯しているように見えるのだろう。

そう思うと、思わずといったような賛辞に、苦い顔になってしまう。


 内心頭を振り、全体的に優勢なので、このまま位階差に任せ擦りつぶす方が安全と判断。

仕掛けようと思うが早いか、今度は片手に剣を持ち黒髪が踏み込む。

倒れこみそうな低い姿勢。

手にもつ黒刀が一気に伸長、両手持ちに変更からの長大な間合いで、膝の高さにて大きく振るわれる。

咄嗟に縦にした糸剣で受けるも、対人であまり見ない低さの攻撃で、姿勢が僅かに崩れた。

直後、黒髪は剣を手放し跳躍、体を捻り回転しながら生み出した黒刀に全体重を乗せ、唐竹の一撃を放つ。


「……温いな」


 足元から頭頂、下段に意識を集めた所で上から攻撃する、高低差のあるダイナミックな一撃。

面白い一撃だが、位階差がある僕相手に、この程度の詐術では通用しない。

普通に迎撃が間に合い、糸剣で勢いを殺したうえで、膝で残る衝撃を殺し。


「本当に……温いかなっ!?」


 地面の影から影の槍が飛び出て。


「……本当だよ」


 そして槍が僕の糸に捕まり寸断。

目を見開く黒髪は空中で、その刹那身動きが取れず。

衝撃を殺すついでに畳んだ膝が溜めた力を開放し、僕の蹴りが黒髪の腹に突きささる。


「お、ぶっ……」


 胃液を吐き散らしながら、黒髪が吹っ飛び、地面に転がり、2,3回転ほど。

数秒、酸素を求めて呻いたのち、黒髪は震えながら地面に手を突き、立ち上がろうとした。

が、遅い。

そのまま蹴った足先から付着した糸が広がり、黒髪の四肢を拘束する。


「なっ、しま……!」


 叫ぶ黒髪に、続け僕は拘束術式を発動。

青白い光の環が二つ、黒髪の両手を腹部に、そして両足をまとめ拘束する。

影を動かす魔力をすら使わせない、秩序隊でも使われる拘束術式だ。

青白い術式光と共に黒髪が完全に無力化される。


「……もうすぐ終わりそう、だけどまぁ僕がやっておくか」


 呟きつつ、皆に追い詰められた仙人達に糸を放った。


 ソウタの"光炎の剣士"は、光と炎を操る自己定義系の固有術式だ。

コトコの"水繰り暗渠"とは相性抜群で、コトコが作り出す水鏡を経由して差し出される光の熱線は、あらゆる角度から敵を追い詰める事ができる。

また炎の部分が僕の糸と相性が悪く、糸をたどって僕本体に直接攻撃できるのだが……まぁ、今回それはどうでもいい。


 男仙人二人は炎と土の使い手だったようだが、コトコの神出鬼没の水が炎を弱らせ、土を柔らかくする。

そしてソウタは光に熱を込めて操り、熱光線が水鏡による反射で多角から突き刺さる。

完全後衛型のコトコが無防備だが、位置取りや妨害が上手く、相手を近寄らせず、上手くソウタを使っているようだった。


 そんな風に苦戦する仙人二人の足元に、糸が到着。

気づいたコトコが上空に水鏡を上げ、空から光線を落とそうとするように見せかけると同時。

上空に注目した二人の足首を掴み、糸で引っ張り上げる。

驚く二人にコトコの拘束術式が決まり、こちらは終わり。


 次いで姉妹の方を見ると、完全に金髪と青髪を圧倒していた。

金髪は雷使いのようだが、ヒマリ姉は"よろずの殴打"で一時的な真空をつくって絶縁防御、そのまま真空の塊を殴打して窒息死させようとさえしている。

青髪はミドリやコトコと同じく水使いだが、ミドリに水使いとしての練度で負けている。

シンプルに技術と練度で位階全てで負けており、一対一では勝ち目がない。

連携しようにも金髪は絶体絶命の中ギリギリ生き延びているという程度で、その暇はない。

ボロボロになりながら辛うじて生きているという様子の二人を、こちらも草の影から伸ばした糸で足首を掴み引っ張る。


「あん!」

「きゃあ!」


 なんだか悲鳴に色気があるような気がしつつ、こちらも糸で拘束。

追って放たれたミドリの拘束術式は、気のせいか物凄く強く締めあげているように見える。

悲鳴にならない悲鳴が上げられるのを、聞き流した。


 さて、と僕らは一度集合。

拘束した五人を集めつつ、視線を交わした。


「あー、別に助けなんて要らなかったのになー、余裕で勝てたのになー」

「いや、楽できるならそれでいいだろ……」

「お姉ちゃんはあともう2,3発殴りたかったな……コイツらふざけた事して……ゲロ吐かせるだけじゃ許さない……」

「私は涙で顔グチャグチャにさせたから、まぁ勘弁してやろうかな……。ほんとは焼いて物理的にレーザー整形して、死ぬほど不細工にしてやりたかったけど……」


 ソウタとコトコはともかく、完全にブチ切れている姉妹が怖すぎる。

いつも姉さんに絡んでいるソウタが一言も話しかけないのが、その怖さを言葉よりも雄弁に語っていた。

後で機嫌取らないとな、とは思いつつも、一端聞き流しておく。


「さて、上手い事捕縛して無力化できた。聞き取りは別に僕らの仕事って訳じゃあないからね。報告して、あとの問題はすべてギルドに丸投げでいいかな?」

「賛成。さっさと責任は手放そうな」


 コトコの言葉に、全員頷く。

最後に僕が黒髪のリーダー格の女性を見やり、憔悴したその目と目が合う。

疲れ果てた目に、思わずこちらも顔を顰める。


「こうなる、訳か。それともこれが目的だったとでも言うのか?」

「……とりあえず、君たちには気絶してもらう。いくら拘束していても、意識を保った君ら五人を運ぶのは、ぞっとしないからね」

「二階堂、ユキオ」


 言葉を切る黒髪。

兎の耳を垂らしながら、再びポロリと涙を零しながら、言った。


「……せめて……覚えておいて、欲しいなぁ……」


 次の瞬間、光が五人に宿った。

弾けんほどの術式の輝き、自爆か、しかし僕らの拘束術式をどうやって超えて?

術式をザッを見ての肌感覚、自爆規模は致命傷ではない、証拠隠滅が目的。

止める方法は思いつかない、術式発動が早すぎる。

ならば、と術式を駆動し始める。


 爆発。

黒髪の美女がただの肉片となり、十センチ厚程度の肉塊がバラまかれる。

美麗な表情はただの肉の塊となり、脳漿が、臓腑がぶちまけられる。

その眼球が勢いよく僕の頬を打ち、眼液を垂れ流しながら滑り落ちてゆき、そして。


「――"運命転変"」


 咄嗟に使ったはいいが、しかし何をどう改変するか考えずに使ってしまった。

どうする、と焦ったその瞬間、僕は漠然ながら目の前の光景に違和感を感じ取った。

五感で感じるその光景が間違っているかのような、何か致命的なエラー。

僕はその違和感を正す、本来は持っていない力を行使するべく、運命を改変することを決意する。


 モノクロの世界が逆回しに動いていく。

五人が元の肉体に戻ってゆく。

五人から放たれた光が消え去り、黒髪の女の言葉が逆回しに再生されて、その口が閉じて。

世界に色がつく。

黒髪の今際の言葉が、再び紡がれる。


「……せめて……覚えておいて、欲しいなぁ……」


 瞬間、先とは別種の光が五人を覆った。

意識を超えて、僕は改変した運命に促されるようにして、その術式を行使していた。

正体の分からない、運命に後押しされた術式。

恐らくはなんらかの固有術式を、汎用に貶めた、それ。


 やがて光が収まる。

ようやく直視できるようになり、改めて五人の仙人を見て、僕らは思わず絶句した。


「これは……別人……?」


 五人は全員、僕らと同じ普通の純人だった。

人相は似てもつかず、服装もまるで冒険者の汎用装備であるかのようで、一致しない。

特に女性三人は明らかに先ほどより幼く、僕と同い年ぐらいの未成年に見える。

先ほどと変わらないのは、性別ぐらいか。

そしてその5人は……死んでいた。

死体だった。


「ユキちゃん、これ……冒険者証?」


 と、姉さんが拾い上げたそれは、どうやら少女の懐から落ちた物のようだ。

覗き混むが、間違いなく僕らが使っているのと同じデザインの、冒険者証そのものである。

この場で偽造の有無までは確認できないが、パッと見た感じ、本物との違いは分からない。


「これは一体、どういう事なんだ……?」


 目を見合わせるが、全員困惑の色は隠せない。

誰も何も分からないまま、疑問だけがこの場に残っていた。



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ナイトメア非英雄譚 アルパカ度数38% @arupaka38

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