初めての彼女が魔女でした

@mitu_32

第1話「無力な彼氏」

「君は全然分かってないんだから!」


 観覧車の前で駄々をこねるリーナに対し、彼氏である朝間勇人あさまゆうとは、「はいはい」といつも通り適当に応じた。


 夜の遊園地で騒ぎ立てる彼らを、周りの客は半ば呆れた様子で見守っている。しかしもう半分はその彼女の色香に見惚れてさえいた。

 雪のように白い髪を肩まで伸ばし、水色の瞳は、太陽の下で輝く湖をそのまま映し出したかの如く透き通っている。この世の者らしからぬ神秘的な容姿は、男だけでなく、同性の心までも虜にしていた。


 ――あぁ、分かるよ、皆。こんな美少女と他愛もない口喧嘩を交わせる俺。なんて羨ますぃー奴なんでしょーねぇ。うヘヘヘヘ


 勇人はそんな周りからの視線が気持ちよくて仕方がなかった。

 彼女とは対照的に、これといった特徴も持たない彼を、明らかに「不釣り合いだ」と思われていることなんて知る由もない。


「ちょっと今別のこと考えてたでしょ!」


「ごめんごめん。勿論ちゃんと聞いてはいるよ、えぇと…………なんだっけ?」


「――っ!?」


 彼の適当な態度が、火に油を注いでしまったようで、彼女は文字通り頬を膨らました。


「だぁ〜かぁ〜らっ! 私がいつまでこの世界にいられるか分からないでしょっっっ!!」


 彼女の意味深な言葉に、周りの連中は耳を疑う中、勇人だけは「またこれか」といった表情を浮かべた。


「リーナさん、君は一体どこの世界に行ってしまうと言うんだい! この間もそんな意味不明なこと言って、結局俺がアイスを奢るはめになったじゃないか!!」


 一通り吐き捨てて、してやったり顔を見せつけてくる彼に負けまいと、彼女も口を開く。


「だって、だってだってだってだってだって!!」


「だって...なにさ?」


「君との思い出をもっと増やしたいのっ!………だからっ!」


「だから?」


「乗りたい、カンランシャ……」


 ――ちくしょうっ、俺の負けだぁっ!


 彼は、彼女の上目遣いにめっぽう弱い。

 仕方なく2人分のチケットを買う彼を、彼女は満足そうに見つめた。


「……リーナさん?」


「んー?」


「あの上目遣いはわざとかね?」


「どうかね〜」


 ――たーーっ、可愛らっしい!


 ゴンドラの中に入った2人は、向き合うようにして座った。


 交際してまもなく1年が経つが、勇人は彼女について分からないことだらけだ。

 出身地も、年齢も、家族関係も、聞くと彼女は笑って誤魔化すばかり。そんな彼女の態度を見る度、彼氏としての不甲斐なさを身に染みて感じるので、彼はいつしか質問することをしなくなった。

 彼女はなのだと、受け入れることにしていた。

 なにしろ、十七年生きてきて初めてできた恋人なのだ。彼女のことを大切にしたいのなら、干渉し過ぎないことも必要なのかもしれない。


「なぁ、リーナ。この後、――っ!?」


 視線を彼女の方に持ち上げた途端、息が詰まった。彼女の顔色がやけに悪い。夜だからとか、ゴンドラの中だからの問題じゃなく、目に見えて青白いのだ。


「んー…? どうしたのー?」


「いやっ、どうしたのじゃなくてっ、その顔」


 緊急事態に落ち着きを無くす勇人の唇に、彼女は人差し指を当てた。


「大丈夫」


 そう言って作られた彼女の笑顔を、窓から差し込んだ月の光が照らす。


「大丈夫なわけねーだろっ!今すぐ病院に――」


「見て」


 彼の言うことを遮るようにして、彼女が声を被せる。


「月が綺麗だよ」


 ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒ ▒


 その後のことを、勇人はよく覚えていない。

 結局、リーナは誤魔化すような態度を続け、彼もまた、引き下がる他なかった。


 ――情けない……、情けなすぎるだろ、俺


 自身の不甲斐なさに肩を落として歩く彼の隣を、彼女もまた、もどかし気な様子で歩いている。顔色は相変わらずだ。


 リーナは勇人の家の近所の花屋に、住み込みで働いている。本来この道は、勇人の家とは逆方向なのだが、「今日ばかりは見送らせてくれ」という彼の頼みを、彼女は渋々承諾した。


「今日、楽しかったね」


「……そうだね」


 彼女に気を使わせてしまっていることが、彼の心を益々惨めな気持ちにさせる。


「私、ユウエンチなんて初めて知った。この世界は面白いものが沢山あるね」


「あのさ」


「ん?」


「君はどこの世界の人なの?」


「それは――」


 彼女は一瞬戸惑った表情を見せたが、


「ごめん、言えない」


 と彼から目を逸らした。

 二人の間に、沈黙が続く。


 5分もしないうちに、目的の花屋に到着した。


「ごめんね、送ってもらっちゃって」


「いや、いいんだ。俺の我儘だし…」


「……それじゃっ」


「……うん」


 ぎこちなく別れの挨拶を済ませた後も、2人はなにも言わず立ち尽くしていた。


 ――いいはずがない。このまま帰っていいはずがないだろ。彼女が苦しんでいるのに……。


「なぁ、リーナっ」


 場の空気を断ち切るように彼が呼んだのに、


「――――」


 彼女は応じない。


「……リーナ? ――――っ!?」


 彼女は限界だった。顔色だけじゃなく、呼吸の荒らさ、汗の量がそう言っている。


「な、早く病院行くぞ! 今回ばかりは拒否権なしだっ!」


 そう言って彼女の手を引いた途端、その体はちょうど彼の体を抱き締めるかたちになってもたれ込んだ。


「――っ! 大丈夫かっ!?」


「――だよ」


「……へ?」


「本当に……楽しかったん…だよ」


 彼女は泣いていた。その顔が彼の腹にうずめられ、温かいものが布越しにも伝わった。

 普段、弱ったところを見せない彼女の珍しい姿に、戸惑いながらも、これは本当に異常事態だと彼は判断した。


「救急車呼ぶぞっ!」


「――くない」


「――――っ!?」


「離れたく……ない…なぁ」


「何言ってんだ! 携帯出すから一旦どいてく――っ!?」


 そのとき、彼の口を塞いだのは人差し指ではなく、唇だった。2つの唇の体温が重なり合う。


 ――彼にとって初めてのはずのものが、なぜだかそんな感じがしない。


 途方に暮れている彼に笑いかけると、


「ありがとね」


 と言って、彼女は店の中へと入っていった。


 ――そんな、まだなにも


 彼女を追いかけるようにして、彼も店に入る。彼女は案の定、苦しそうに蹲っていた。


「やっぱり、まだ大丈夫じゃねぇーじゃねぇかぁ!」


 険しい顔で近づいてくる彼に彼女もまた気が付き、振り絞るように叫んだ。


「危ないから来ちゃだめっ! 離れてっ!!」


「彼女が苦しんでて放っておける彼氏がどこにいるんだよっ――――なっ!?」


 彼女の手を引いた途端、空間に亀裂が入り、二人の目前に青白く輝くゲートが現れた。ゲートはみるみるうちに拡大し、瞬く間に視界全体を光で満たす。




 次に目を開けた時には既に、彼らは沢山の巨木が生い茂る森の中にいた。










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