第9話 苦手な匂い

 今日も今日とて流れに身を任せて授業を受けていると、あっという間に放課後になった。

 放課後のホームルームが終わったら、即帰宅するのが俺のルーティンだ。荷物をまとめて、周囲が立ち上がったのを見定めてから立ち上がる。

 明日はようやく、待ちに待った休日だ。思い切り惰眠を貪るとしよう。



「雫玖ちゃん、今日はもう直帰?」



 と、誰かが香澄に話し掛けている声が聞こえた。

 確かあれは、み……水……なんとかさんだ。



「ええ、用事もありませんから」



 そうだ、水沢だ。見た目の印象は能動的元気娘で、俺の対極に位置する人間。無月優真の反対語は、きっと奴に違いない。

 能動的元気娘(水沢)の隣にいる鋭利な刃物みたいな女子生徒が、カバンを担いで香澄に声を掛ける。



「ならさ、今日これから遊ばない? 明日は休日だからさ」

「駅前に新しいケーキ屋が出来たんだって。食べに行こうよっ」



 二人からの誘いに、香澄は気まずそうに苦笑いを浮かべる。



「あ~……ごめんなさい。私、甘いものって苦手なんです」

「え、そうなの? 女の子で甘いものが苦手って珍しいね」

「昔から、あの甘ったるい匂いがどうしても……」



 あぁ、そうか。確かに匂いに過敏な香澄にとって、ああいうのは天敵か。

 ……って、なに人の会話を盗み聞きしてるんだ、俺は。やめやめ。バレたら気持ち悪い奴認定されて、今後の学校生活に支障が出る。

 カバンを背負い直して教室を出る。その時、見計らったようにスマホが震えた。誰かからメッセージが来たみたいだ。まあ、俺にメッセージを送る奴なんて、一人しかいないんだが。

 スマホを開くと、案の定「妹」からだった。内容は、駅前の新しいケーキ屋のケーキを買ってきてほしいとのこと。なんとも、タイムリーな話題だ。

 やれやれ、仕方ない。



『優真:自分で行け』

『妹:アタシ、モンブランがいいな♡』



 おかしいな。俺、自分で行けって返信したよね? なんで買ってきてほしいケーキの話になってるんだ?

 こうなると、いくら言ったところで話を聞かないのが、我が家のお姫様である。仕方ない、買いに行ってやるか。

 スマホをカバンにしまい、前を向く。

 香澄雫玖がそこにいた。



「ぅぉっ」

「どうも、無月さん。何をしているんですか?」



 それ、俺のセリフなんだが。気配もなくじっと見てくんな。怖いわ。



「……妹に買い物を頼まれただけ」

「あぁ、だから面倒くさそうな匂いがするんですね。私もついて行きましょうか?」

「いや、いい」



 なんで妹のお遣いに同級生を連れて行かなきゃいけないんだ。

 香澄の横を抜け、下駄箱で靴を履き替える。いつもは校門を出たら真っ直ぐ坂を下りるんだが、今日はそっちではなく駅のある坂の上の方へ向かう。

 普段から運動をしない俺にとっては、なだらかな坂でもきついんだが……買って帰らないと、後が面倒だからな。



「はぁ……だりぃ」

「確かにこの坂は大変ですよね」

「ああ……ん?」



 待て、今俺は誰に返事をした?

 立ち止まり、振り返ると……香澄雫玖が、きょとんとした顔で立っていた。



「無月さん、どうかしました?」

「俺のセリフなんだが。俺、いいって言ったよな?」

「はい。言われたので、ついて来たんですが」



 ……あ。まさか、「いい(否定)」じゃなくて「いい(肯定)」って捉えたのか。日本語って難しい。てか、匂いで拒否してるのくらいわかるだろう。



「まあまあ、いいじゃないですか。ここまで付いてきちゃったんですから、このまま行きましょう」



 強引だ。余りにも強引すぎる。もう新手の詐欺だろう、これ。

 何故か前を歩く香澄の後ろを、俺がついて行く。俺の買い物なのに、なんでこいつが前を歩いてるんだよ。謎すぎる。



「ところで、妹さんから何を頼まれているんですか?」

「ああ、ケーキ。駅前に出来たって、水沢たちも言ってただろ。アレを買ってこいってうるさくてさ」



 ケーキは俺も好きだが、わざわざ買ってまで食べようとは思わない。こういう機会でもないと食わないからな。

 と……今度は香澄が立ち止まった。



「……どうした?」

「あ、いや、その……ケーキは苦手、と言いますか……」

「あぁ、そういやさっき、水沢たちともそんな話をしてたな。やっぱり匂いか?」

「はい。あの砂糖とクリーム増し増しの匂いで、想像しただけで胸やけしそうです……」



 見るからに顔色が青くなる香澄。相当苦手らしい。



「そうか、じゃあここまでだな。気を付けて帰れよ」

「少しは相手もおもんぱかった方がいいですよ……」

「気を付けて帰れって言ってやったろ」

「押しつけがましいにも程があります……!」



 じゃあどうしろってんだ。

 だがしかし。香澄はもう言い返す余裕も元気もないのか、足取り重くもと来た道を帰っていった。あんなにふらついて、無事帰れるだろうか?

 ……まあ、大丈夫だろう。あいつも高校生だし、ただのクラスメイトの俺が心配することじゃないか。

 香澄と別れ、そのまま駅前に出来たケーキ屋に向かう。

 出来たばかりだからか、結構な人数が並んでいた。もちろん、ほとんどが女。たまに男もいるが、夫婦やらカップルやらばかりで、男一人は俺だけだった。

 諦めて列の最後尾に並ぶ。と……前に並んでいた、二人組の女が振り返って来た。



「あれ? 無月くん?」

「やあ、奇遇だね」



 そこにいたのは、クラスメイトであり最近はよく香澄と一緒にいる、水沢と高槻だった――。

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