第7話 特定
◆無月優真side◆
帰宅後、家のことをやり終えた俺は、自室のベッドに寝転んで天井を見上げていた。
遠くから聞こえてくる車の音や、下校中の小学生の声に耳を傾ける。
特にやることはない。アニメや映画を観ることもなければ、漫画や読書もしない。ただただ、時間が過ぎ去るのを待つ。それが俺のいつもの日常だ。
……なのだが、ここ最近はどうもあいつのことばかりを考えてしまう。
誰かって? 言わずもがな、香澄雫玖だ。
(あいつ……なんであんなに、俺に関わろうとするんだ……?)
いや、理由はわかっている。俺が『無臭』だから、気になって付きまとっているだけだ。
最初は、何を言っているのかわからなかった。やべー発言を繰り返す、やべー奴だと思っていたが……どうやら、俺以外の奴とは適度な距離感で接しているらしい。クラスであいつの鼻の噂を聞くこともないから、うまく隠せているんだろう。
香澄のことを考えながら、なんとなく自分の匂いを嗅いでみる。……まあ、柔軟剤以外のなにものでもないな。何をしているんだ、俺は。
そもそも、まだ感情の匂いの話しだって半信半疑なんだ。実はめちゃめちゃ観察力に優れているだけかもしれないからな。それは、今後付き合っていけばわか……。
「はぁ……何を考えてんだ、俺は」
俺が誰かと一緒にいることを許容するなんて、今まで無かった。調子が狂うな、くそ。
(……面倒だ)
自分の中に芽生えている何か。それを理性と思考で奥底に沈め、そっと目を閉じた。
この何かは……俺にとって、『ノイズ』だから。
◆◆◆
翌朝、眠い目を擦り通学路を進む。朝は苦手なことは変わりないが、ここ最近は余計眠い。春眠暁を覚えず、か。俺も暁を覚えずずっと寝ていたい。
小さなあくびを何度か繰り返しながら、十字路を右に曲がった。
「おはようございます、無月さん」
香澄がいた。いつもの朗らかな笑顔で。
さすがの俺もこれにはびっくり。脚を止めて、香澄を凝視した。
「あ、無月さん、びっくりしていますね。電気的な匂いがしますよ」
「いや匂いとか嗅がなくても、わかるだろう。驚いてんだよ、こっちは」
こんなことがあって、驚かない方がどうかしている。
だって今のこいつ、俺がここを歩くのを知っていたみたいに待ってるんだもの。
「どうしてここにいるんだよ」
「匂いを辿って、無月さんの家を特定しました。感情の匂いは『無臭』でも、体に染みついた体臭は消せませんから」
怖い怖い怖い怖い。え、匂いを辿って家を特定? 警察犬も真っ青じゃないか。お前、こんな所にいないで警察行けよ。すぐに活躍できるぞ。というかストーカー容疑で通報してやろうか。
「あ、通報はやめてください。私、ストーカーじゃありませんから。その証拠に、家のチャイムも鳴らしていませんし」
「チャイムを鳴らしてないからストーカーしてもセーフっていう発想がもう怖い」
僅かに香澄から距離を取る。匂いで家を特定できる万国ビックリ人間には、無駄な抵抗かもしれないが。
「もう。無月さん、酷いです。ほら、遊んでないで行きましょう。遅刻してしまいますよ」
「……おう」
確かに、遅刻はまずい。クラスに入る時も悪目立ちするし、何より教師に目を付けられる。それは、平穏で安寧的な生活を送る俺には不必要なことだ。
前を歩く香澄から少し距離を取り、学校に向かう。が、そんな俺を見透かしているかのように、すぐに俺の隣に並んできた。
「別に並ばなくてもいいだろう」
「なんのために、私があそこで一時間待ったと思っているんですか」
「え、そんな前から待ってたのかよ」
「無月さんが何時に家を出るのか、わからなかったので」
執念深いというかなんというか……まさか俺の人生で、俺と一緒に登校したいからめっちゃ待ってくれるっていう女の子が現れるとは思ってもみなかった。
並んでいる香澄を横目で見る。と……どことなく、違和感を覚えた。
「香澄。お前……なんか、無理してないか?」
俺の言葉に香澄は立ち止まり、目を見開いて見上げてきた。な、なんだよ、その顔は。
「……なんでですか?」
「いや、なんとなく。笑顔にちょっと違和感があったから」
香澄は一瞬黙り込んだ後、静かに口を開いた。
「すごいですね、無月さんは。いつも通り笑っていたつもりだったのに……」
「わかるってほどのことじゃない。ただ、いつもと違うなと思っただけだ」
肩を竦めて答えると、じっと見つめていた香澄は徐々に笑顔を取り戻した。
「やっぱり無月さんも、ちゃんと感情があるんですね」
「なんだよ、それ」
「いつもと違う人を思いやる。それも立派な、感情ですよ」
…………。
「くだらない。ふん」
「あ、恥ずかしがってる」
「うるさい」
あーもう、顔が熱い。なんだってんだ。
その後も、からかってくる香澄をガン無視して、ただ学校に向かって歩き続けた。
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