第3話 選んだ言葉

 坂を降りきった先にある商店街に入る。小さい商店街だが、この辺に大きなスーパーやデパートがないから、この辺に住んでいる人たちでかなり賑わっていた。

 魚屋、肉屋、八百屋、酒屋、雑貨屋。意外となんでもあり、ここだけで必要なものは全部揃えられる。

 商店街を進むと、隣にいる香澄が顔をしかめ、足取りが重くなった。



「どうした?」

「いえ……私、鼻が良すぎるので、こういったいろんな匂いがする場所が苦手なんです。人も多いので、感情の匂いも入り混じっていて……」

「そうか。じゃ、気を付けて帰れよ」

「待ってください」



 置いて行こうとするが、スクールバッグを掴まれてしまった。やめろ、こんな道の真ん中で駄々っ子みたいなことするな。



「なんだよ」

「普通そこは、心配するところでは?」

「普通じゃないことを自覚してるからな」



 そもそも、こいつとは一緒に帰ってるわけじゃない。勝手について来ているだけだ。そんな奴が体調悪いとか言われて、立ち止まるわけないだろう。

 後ろを振り返ると、確かに少し顔色の悪い香澄がいた。本当に体調が良くないみたいだ。

 周りにいる通行人も、通り過ぎながら何事かとこっちに目を向けてくる。こんな所で、変に悪目立ちしていた。



「……はぁ……近くに公園がある。そっちに行くぞ」

「は、はい……」



 スクールバッグを掴んだままの香澄を連れて、商店街の横道に入る。横道にも店があり、そこもそれなりに繁盛しているが、更に奥に進むと住宅街になって人気は無くなって来た。

 入り組んだ住宅街を進むと、寂れた公園が見えてくる。昨今のクレームの影響で、遊具が撤去されてしまった公園には、ベンチしかない。その代わりに木々が生い茂り、鬱蒼としながらもどこか落ち着ける空間となっていた。



「わぁ……いい場所ですね」

「昔は遊具とかがあって、家族連れで賑わってたんだけどな。今の香澄には、そういう場所よりこういう方が合ってるような気がして」

「はい。すごく落ち着きます」



 香澄はベンチに腰を下ろし、目を閉じて深呼吸をする。

 肺いっぱいにとりこんでいるらしく、大きい胸がより大きく、服がはじけ飛びそうになっていた。



「はふ……感情の匂いも、変なものが混ざった匂いもない。混じりっ気のない自然の空間……やっぱりいいですね」

「よかったな。じゃ、俺は帰るから」

「お話していかないんですか?」



 ……何、そのお話するのが当たり前、みたいなきょとん顔は。



「聞いてたんだろ。家のことしなくちゃいけないって」

「はい。匂いからも、嘘じゃないってわかります。でも、急ぎではないこともわかっていますよ」



 また匂い……ここまで徹底的に言われると、本当なんじゃないかって気になるな。まあ、こいつが嘘をついているのか、本当のことを言っているのかなんてわからないけど。興味もないし。



「……少しだけだぞ」

「はい、構いません」



 香澄の隣に腰を下ろして、同じ方を向く。

 互いに無言。特に何を話すでもなく、木々が風で揺らぐ音と小鳥の泣き声しか聞こえない。

 こいつから話したいって言ってきたのに、なんで無言なんだよ。まあ、別に無言が気まずいって性格でもないし、いいんだけどさ。

 ただなんとなく、ぼーっと寂れた公園を見つめていると、不意に香澄が小さく笑い出した。



「……なんだよ」

「あ、いえ。お気を悪くさせてしまったなら、すみません。ただ、こうして誰かと一緒にいて、落ち着いていられるのは……初めてなんです」



 自身の足元にある小石を蹴り、話を続ける。



「他の人と一緒にいると、どうしてもいろんな匂いを嗅いでしまうんです。だからお話に集中できなかったり、落ち着かなかったり、気分が悪くなったり……すみません、愚痴みたいになってしまって」

「いや、俺は別に構わないけど……」



 ……香澄の話が本当なら……なんとも生きづらいだろうな、この世界は。大変そうだ。同情はしないが。してほしいとか、一言も言われてないし。



「けどさ、よくそれで人間不信になってないな。口先と感情が乖離してたら、人と関わるのも嫌になるだろ」

「小学生くらいまではそうでしたね。世の中嘘つきばかりで、本当のことを言っている人は極わずか。今でも嘘つきは苦手です。……だからこそ、私も感情を隠したんです。少しでも、この世を波風立てず生きていくために。無月さん風に言うと、処世術ですね」



 そういう香澄の笑顔は、どこか疲れているようにも見えた。

 俺は感情の匂いを嗅ぐなんてことはできないし、他人がどう考えているのかを察する力はない。そもそも他人とかどうでもいい。どう思っていようが、どう思われようが関係ないと思っている。

 でも香澄は、それでも人に寄り添おうとしているんだ。自分なりに工夫して、この世界で生きていくために。



「……強いな。俺とは大違いだ」

「そう、ですかね……?」

「少なくとも、底辺であることを甘んじている俺には真似できない」



 負の感情。人との繋がり。そういったすべてを『ノイズ』としか認識できない俺にとっては、彼女の存在が眩しく見える。

 ……ダメだ。人と比べるのはダメだ。負の感情が湧き上がってしまう。この思考は良くない。シャットアウト。無意味。思考を止めろ。ストップ――



「無月さんは底辺ではありませんよ」

「――――」



 香澄の言葉に、頭の中をぐるぐるしていたマイナス思考が一気に霧散した。

 思わず彼女の方を向くと、眉間にシワを寄せて、むむむと言葉を選んでいる。



「なんというか……そういう人間関係の埒外にいる人って感じがします」



 選んで出た言葉がそれか。……ったく……。



「それ、褒めてるつもりか?」

「え、元気出ませんでした?」

「……知るか」



 そのなんでもお見通しです、みたいな笑顔をやめろ。

 カバンを手に立ち上がり、公園の外に向かう。



「どちらへ?」

「帰る。……家までは帰れるんだろ?」

「はい。商店街の方まで戻れば、なんとか」

「ならよし。じゃあな」



 これ以上こいつと一緒にいると、ペースを乱される。気が付くと結構な時間が経ってるし、早く帰ろう。



「無月さん」



 と、思ったら呼び止められた。



「……なんだ?」

「また明日、学校で」



 柔和な笑みを浮かべる香澄が、小さく手を振って来る。

 それに対し、俺も軽く手を挙げてから香澄に背を向けた。

 あぁ、そうか。同じクラスだった。せっかく解放されると思ってたのに……これ、明日からも付きまとわれるじゃん。

 なんであんな奴が俺に興味があるのか……マジでわからん。

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