オフレコ

「かんぱーい!」


「はい、乾杯」


 都内某所のバーにて、二人の女性が酒を飲み交わす。

 一人は、山内恵。五十代になる『サキュバス学』の科学者だ。顔は年齢相応に皺があり、目付きの鋭さもあって女性ながら威厳を感じさせる顔付きである。

 もう一人の名は、秋口爽子。帝都テレビのアナウンサーを務めており、二十代という若さと美貌から(主に男性からの)人気がある。

 そして公表はしていないが、過去に受けた遺伝子検査の結果曰く……人間ではなくサキュバスだ。

 恵と爽子は歳の離れた友人であり、爽子がサキュバスである事を恵は知っている。時折行き付けのバーで飲み交わし、仕事の愚痴などを語るなどして交友を続けていた。

 今日は爽子が語り部を務めた、帝都テレビ番組『現代サキュバス学』が放送された記念の飲み会だ。恵も科学監修という形で関わっている番組である。尤も記念というが、理由はなんでも良くて、酒を飲みたいだけだ――――主に爽子が。


「ぷはぁ! やっぱ一番手はビールね!」


「居酒屋のノリで飲むんじゃないわよ……ごめんなさいね、何時もこんなので」


「構いません。お酒は楽しく飲むのが一番ですよ」


 恵が謝罪を伝えると、バーの店主はにこりと微笑む。

 店主は四十代の女性。彼女もまたサキュバスであり、極めて妖艶な風貌をしている。昔はよく『男漁り』をし、今までに四人の子を設けたそうだ。流石に今は歳も歳なのでらしいが、誘えばいくらでも男を引っ掛けられると思える程度には美しい見目をしている。

 その美しさもあってか、普段なら店はそれなりに繁盛している。しかし今日は爽子により貸し切り。お陰で恵達以外の姿はない。

 爽子曰く、酔った姿を他人に見られたくないとの事だ。


「んぐんぐんぐ」


 ……確かに人気女子アナのこの酒乱ぶりは見せるべきではないなと、恵は思う。サキュバスらしい美貌があるのに、全く魅力的に思えないのだから。


「全く。その酒癖さえなければ、もう少し男にモテるんじゃない?」


「男にモテてもねー。私、女の子の方が好きだし。酒と女があれば他はなんもいらないわー」


「クズなおっさんみたいな物言いしてんじゃないわよ」


 他愛ない話を交わしながら、恵もワインを口にする。

 爽子はレズビアンだ。これについては公表しており、世間的にも知られている。ちなみに恵の事は「可愛い系じゃないから変愛対象にはならない」らしい。

 このレズビアンというのも、爽子がサキュバスである事実を覆い隠していた。未だ世間には偏見、つまり「サキュバスは男を誘惑する」という考えがあり、女好きである爽子がサキュバスだとは思われないのだ。反サキュバス組織の中には(大した根拠もなく)有名人のサキュバス認定を行うものがあるが、爽子がターゲットとなる事は滅多にない。

 実際には、人間と同程度にはサキュバスにも同性愛者がいる。人間に極めて近い彼女達は、性的な好みもまた人間と近い。科学的に考えれば分かりそうなものだが、それだけ人間は偏見に考え方が左右されるという事なのだろう。


「……サキュバスへの偏見、あの番組で少しは変わるかしらね」


「どうかしら。効果なしとは言わないけど、些細なものじゃない? 今はテレビの影響力も小さいし」


「仮にもテレビ関係者がそれを言う?」


「現実の正しい認知はサキュバスの得意技よ」


 きっぱりと言い切られ、確かにと同意してから恵はワインを一口飲む。

 かつてほどテレビ番組は信用されなくなった。

 原因は二つ。一つはマスメディアが散々やらかしたため。やらせや演出なら兎も角、捏造や不正確な表現、取材という名の付き纏いなどやりたい放題だ。この積み重ねで信用を失った。

 もう一つはSNSの台頭。誰でも発信者になれる仕組みが確立し、マスメディアの『独占』が崩れた。一つ目の原因が露呈したのも、SNSでマスメディアのやらかしが発信されるようになった事が大きい。

 問題はマスメディアが信用を失った事で、と考える層が現れた事だ。坊主憎けりゃ笠まで難い、ということわざがあるように、一旦嫌いになるとそれに付随する全てが嫌いになるのは珍しくもない反応だろう。

 そしてメディアがこれまで肯定的に扱ったものの中に、多様性や差別撤廃がある。それらもまた嫌われているのが実情だ。


「実際、やり過ぎではあるのよ。マスメディアの悪い癖というか、肯定する時は一切批判を許さないのよね。移民の問題とか、もう世界的に噴出してるのに。それどころか都合の悪い事は隠すし」


「肯定否定は考え方だから良いけど、嘘や誘導は論外ね」


「そういう事。私ら若手はそういう反応を知ってるから不味いなーって思うけど、上層部は全然なのよ。まだ印象操作出来るつもりでいる。まぁ、印象操作なんて気はなさそうだけど」


「自覚がないのは致命的じゃない?」


「致命的。そろそろフリーになった方が良いかなー。動画サイトの討論会で司会役とかしたら、ギャラいくらなのかしら」


 中々生臭い話をした爽子は、ビールをぐびぐびと飲む。人気の美人アナウンサーと言えば聞こえは良いが、色々ストレスも溜まっているのだろう。

 或いは……


「……爽子。一つ聞きたいんだけど」


「なぁに?」


「サキュバスとして、今の人間はどう思う?」


 恵は真剣な眼差しを向けながら、爽子に問う。

 視線に気付いた爽子は、ビールのジョッキをテーブルに置く。ほんのり頬が赤らんだ顔で、しばし考え込む。


「しょーじき、縁を切るなら今のうちかなとは思う。六十年前なら兎も角、今になってまーた反サキュバス運動が盛り上がってるとか聞いたら、そりゃ付き合えないでしょ」


 そしてハッキリ、そう語った。


「厳しい意見ね」


「あくまで私見だけどね。でも番組でやった、児童福祉センターがあるでしょ。多分問題なく成功するから、育児についての課題は解決する。そっちで独立出来れば、人間相手にへーこらする必要はもうないわね」


 サキュバスの新生児も、ごく短期間とはいえ母乳を必要とする。このため古代では、どうしても人間の母親に赤子の世話をしてもらわねばならない。

 しかし文明が発達した事で、人類は粉ミルクなど代替用品の開発に成功した。工場でミルクが作れるのだから、最早人間の母親は必要ない。母乳を飲ませた方が良いと考える者も少なくないが、現状ミルクを使用した育児でも大きな影響はないという研究が主流だ。免疫面に関する問題も、医学が発達した今ならある程度補える。

 公益を重視するサキュバス達の気質からして、児童福祉センターへの寄付が途絶える可能性も低い。そして資本主義の発展により、『子育て』さえも仕事となった。労働意欲に優れるサキュバス達は、ハイクオリティな育児業務をこなすだろう。むしろ仕事として行う分、虐待やモンスターペアレンツの問題も減るかも知れない。

 爽子が言うように、サキュバス達による自力での育児は達成されるだろう。育児面で人間に『寄生』する必要は最早ない。

 残る課題は、繁殖に人間の男が必要な点。だがこれについては、男の方が嫌がっていないのだから大きな問題とはならないだろう。異種だろうがなんだろうが、美女とセックス出来る事に文句を言う奴などいないのだから。恐らく反サキュバス組織のメンバーでも、男なら七割ぐらいは籠絡出来る。それぐらいサキュバスは魅力的な生き物なのだ。

 おまけに男への依存についても、現代科学の進歩により解決は近い。


「最近、といってももう十年ぐらい前の話だけど。iPS細胞から精子は作れているのよね」


 iPS細胞……人工多能性幹細胞とは、様々な機能の細胞へと変化出来る細胞の事だ。理論上身体に存在する全ての細胞に変化出来るとされ、その中には勿論精子も存在している。

 そしてマウスのiPS細胞から精子を作り出す実験は既に成功している。人間に使うには倫理的問題があるが、やろうと思えば出来ない事はない。その段階にまで『人類』の科学は発展した。

 本来この技術は不妊治療などが目的だ。しかしサキュバス達からすれば、事を意味する。

 それは人間からの、完全な独立を意味していた。


「そして、中南米で建設中の軌道エレベーター。今後は宇宙進出も容易になる……まさかあなた達、人間を置いて宇宙ステーションか、何処かの星にでも移住するつもり?」


 そんなSF的想像が現実味を帯びるぐらいには、サキュバスの『独立』は準備が整っている。


「さぁ? 私が知る訳ないじゃん、たかがテレビのアナウンサーなんだし」


 尤も、爽子は心底興味がなさそうに答えたが。


「……つまらないわねぇ。種族全体で共有している秘密とかないの?」


「ある訳ないでしょー。サキュバスだって、ものの考え方は人間と大体同じなのよ。全員が全員、秘密を守れる訳ないんだから、そういう話は一部にしか伝えないでしょ。政治家やってる奴なら、何か知ってるかもだけど」


 爽子はそう言うと、またビールを飲み始める。ぐびぐびと力強い飲み方だ。

 ……知らないとは言ったが、可能性がないとは言わない。

 爽子からしても、サキュバスの指導者層がそう考えていても不思議はないと思っているのだろう。恵はそう感じた。それが百年後か二百年後かは分からないが、恐らく、何時かサキュバス達は『独り立ち』する。

 その独り立ちは結果的に地球からの逃亡になりそうだが、しかし現実的な対応でもある。サキュバス達の総数は、推定だが人間の二十分の一程度。数ではどうやっても勝ち目はない。繁殖方法からしても、今後も勝る事はないだろう。

 いくらサキュバスが優秀かつ勤勉とはいえ、身体能力的には人間と大差ない。戦ったところでほぼ互角であり、戦争したところで瞬く間に滅ぼされる。軍属のサキュバスもいるので混乱は起こせても、勝つ事はどうやっても出来まい。

 だからこそ逃げるという選択をし、そのための研究・試験を始めているのだろう。恐らく五十年前の、サキュバス防疫法が成立する前から。自分達の存在を認識したのがほんの六十年前なのに、その立ち回りの早さは驚嘆に値する。自分が生きている間に成し遂げられないかも知れないのに、それでもやった先見性と公益性も。

 自分達の弱さを自覚し、自ら変わろうとしたからこそ、サキュバス達は前向きな未来を掴もうとしている。

 対して、人間はどうだろうか。

 サキュバス排斥運動を起こしていながら、サキュバスがいなくなった後の事を考えているようには見えない。サキュバスを問題としか考えず、いなくなれば何かが良くなると、抽象的に考えている。

 今までサキュバス達と共に社会を営んだのだから、いなくなった後に何も起こらない訳がないのに。


「(根本的に、人間は己を変えるのが苦手なんでしょうね)」


 人類史を振り返れば、人間は何時だって周りを変化させる事で繁栄してきた。邪魔な森を切り開き、大地は固く舗装し、湖は埋め立ててしまう。危険な獣がいればその存在に合わせるよりも、一匹残らず駆逐する方を選ぶ。それら邪魔者が、万が一にも自分に利益を与えていたとは考えもせずに。

 『不利益』に対する極端な敵愾心……それが人間の悪癖かも知れないと、恵は思う。

 問題なのは、人間がこの悪癖にまるで無頓着な事だろう。むしろ正当な考えであり、ハングリー精神などといって人間の素晴らしさとまで思っているかも知れない。是正される日は、少なくとも近々訪れる事はないだろう。


「(六十年前の、一度目の虐殺でサキュバス達は人間を見限ろうとしている。二度目が起きたら、いよいよ捨てられるわね)」


 人間とサキュバスに、知能面の差はない。だから人間だけが地球に取り残されても、文明自体は維持出来る筈だ。反サキュバスの急先鋒であるドイツが、原始生活に戻っていない事からも明らかである。

 しかしその仕組みの少なくない部分を、優秀で勤勉なサキュバス達が担ってきた。

 彼女達がいなくなって、社会は成り立つのだろうか。植民地支配から独立したアフリカ某国では、国民受けのためかつての支配者である白人から土地を接収した事がある。この横暴により白人達が大勢出国した結果、農産業のノウハウが消失。世界有数の農業大国が、飢餓が多発する最貧国となってしまった。

 この時某国における白人人口の割合は、一割どころか二〜三パーセントでしかない。植民地支配故に、重要ポストのほぼ全てを白人が占めていたという特殊性は考慮すべきだが……言い換えればどれだけ少数でも、上層部を雑に切り捨てる事の危険性を物語る。

 優秀なサキュバス達は、社会における重要ポストに就いている者が少なくない。例え重要ポストになくとも、勤勉さを思えば優れた生産性を発揮している筈だ。彼女達がいなくなった時、果たして人間にその穴を埋められるのか?

 加えてサキュバス達は公益性が強く、賄賂などの汚職を好まない。彼女達が重役から去り、人間が後釜に座れば、相対的に汚職は増える。政治腐敗や賄賂が横行すれば行政機能が衰え、市民生活は悪化するだろう。


「(能力的に可能でも、恐らく一時的な混乱は避けられない。短期間で立て直せればいいけど、もし長期化したら……不味い事になる)」


 加えて、サキュバスがいなくなったところで差別はなくならない。

 サキュバスを知らない頃から人間は、様々な差別をしてきたのだ。今はサキュバスという分かりやすい『巨悪』がいるから纏まっているだけで、サキュバスがいなくなれば別の……恐らく移民など……対象を差別するだけ。自分達や文化を変える気はなく、短絡的に『排除』しようとするに決まっている。

 不満が長期化すれば、今度は移民などに全ての問題を押し付けようとするだろう。それは新たな争乱の始まりであるが、同時に人間同士の争いだ。排除する思考同士のぶつかり合いである。

 最悪、内乱に至るかも知れない。

 ましてやこの状況の人間は、サキュバスの排除という『成功体験』をしているのだ。排除という手段を、軽率に選んでもおかしくない。

 人類滅亡とまではいかずとも、大きな混乱は生じるだろう。一人の人間として、恵はそんな顛末を見たくない。

 何より。


「ま、もしも宇宙に逃げる事になったら、アンタも一緒に連れてってあげるわ。愛人とか言っときゃなんとかなるでしょ、私ら基本そういうのに甘いから」


 この気の良い友人に、情けない姿は見せられない。

 そんな気持ちを少し照れ臭く思った恵は、グラスに残るワインを一気に飲み干した。

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現代サキュバス学 彼岸花 @Star_SIX_778

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