サキュバスと人間
ここまでサキュバスについて、様々な姿を見てきました。
サキュバスのイメージが、大きく変わったでしょうか。価値観が違うだけの親しみある、何より社会にとって欠かせない隣人と、少しは思えてきたでしょうか。
その隣人を今、人間は排除しようとしています。六十年前の過ちを目にしたにも拘らず。
偏見と差別の多くは、無知と無理解に由来します。
それらは、多くの人間の命を奪いました。六十年前に起きたヨーロッパでのサキュバス虐殺は、四千万もの死者を出しましたが……そのうち三千八百万人は人間の女性だったと言われています。犠牲者の多くが貧困層だった事も、サキュバスではなく人間が対象となっていた根拠の一つです。
そしてこの数値を、反サキュバス組織の多くは認めていません。認めてしまえば自分達の行いが、無駄を通り越し、守るべき人々の虐殺でしかなかった事になってしまうからです。
ですが過ちを続けた末に得られるのは、更なる誤りだけなのは言うまでもありません。反サキュバス組織が活発なドイツなどの国では、旅行客である人間の女性がサキュバスとして殺害されるなど、悲惨な事件が後を絶ちません。そして過ちは観光客の激減、企業の撤退、民芸品の消滅などの問題を引き起こし、人間達を苦しめています。
これほどの問題が確認されているにも拘らず、かつての過ちは再び広まりつつあります。
差別の主戦場はSNSの世界へと移りました。反サキュバス主義者達は科学的に正しくない、過激でセンセーショナルな発言を片っ端に言い、サキュバスへの憎悪を煽ります。百人が聞き流しても一人の心に響けば良く、そうして仲間を増やした彼等は、こう主張します。
社会を人間の手に取り戻す、と。
五十万年間、一度だって人間だけの手で社会を運営した事などないというのに。
サキュバスについて発表したアダム氏は自殺する前、この言葉を遺書として残しています。
――――我々こそが魔物だ。
彼が人間のためにした行動は、人間の残虐性を露わにしました。空想上の妖魔など比にならないほどに人を殺し、その憎しみに冷静な言葉は届きませんでした。
サキュバス研究が進んで最新の理論が提示されても、自分達の国の破綻を前にしても、止まろうとしない人間達。その姿がアダム氏には、論文に書いた性ルツよりも余程おぞましく見えたのかも知れません。そして自分もまた、その生物の一個体である事を自覚してしまったのでしょうか。
ですが人間を見限るのは早計です。
サキュバス達は人間との共存を果たすため、自らの生態を利用し、その生態の一つである繁殖方法の改革に乗り出しました。
この試みが上手くいくかは分かりません。ですが成功も失敗も、新たな知識となります。知識は進歩へと繋がり、いずれサキュバス達は問題を克服するでしょう。
人間もまた、変わればよいのです。
一度や二度の失敗で諦めず、少しずつでも前に進んでいく。そうすれば問題は何時か解決するでしょう。サキュバス達に出来て、私達人間に出来ない道理はありません。
何故なら私達はほんの五十万年前まで一緒だった、最も血の濃い姉妹なのですから。
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