反サキュバス社会と独立
アダム氏の発表により、サキュバスの存在が明らかとなった六十年前。人間社会は混乱に陥りました。
アダム氏の論文はサキュバスへの偏見と差別に満ちており、殊更危機感を煽るものとなっていました。内容を要約すれば、サキュバスとは人間社会に寄生し、社会を破綻させるものと指摘したのです。後年アダム氏は論文の内容を悔いており、自ら命を絶ってしまいました。今では彼の真意は分かりませんが、論文が差別的内容だったのは悪意からではなく、人間社会に異種が混ざり込む事への危機感が原因と考えられています。
厄介な事にアダム氏の論文は完成度が高く、サキュバス研究が未発達なのも相まって当時の学者達は否定出来ませんでした。データ量も膨大であり、裏付けも完璧。またサキュバスが人間社会に依存した繁殖戦略を採用している事そのものは、否定しようがない事実です。
やがてアダム氏の論文をメディアが報道し、混乱は市民へと広まりました。
当時は人種差別が横行していた時代です。同じ人間でさえも差別していたのに、異種の存在など許容出来ません。ましてや人間社会の『富』を吸い取る、悪の種族です。多くの市民が反サキュバスの立場を表明し、その駆逐を求めた事が、残された記録などから分かります。メディアも積極的に民衆を煽り、反サキュバスの機運は高まりました。
サキュバス達も、人間ほどではなくとも混乱していました。
尤もその混乱の原因は、自分がサキュバスとは知らなかった事に起因します。何分サキュバスは外見上人間と区別が付きませんし、子育てをしない以外は普通に社会活動を営んでいます。仕事をしていますし、そして夫に子育てを任せきりではありますが、結婚して家庭を持つ者も多かったのです。誰もが自分は人間だと信じていました。
その後、人間社会は大きな岐路に立たされます。つまりサキュバスを受け入れるか、サキュバスを排除するか。
幾つかの国では、サキュバスを受け入れました。主にアフリカ、それと日本などのアジア諸国です。アダム氏の発表は主にヨーロッパ圏で行われたため、遠く離れたアジアなどでは他人事に思われていました。またサキュバスという名称も、アフリカやアジアでは馴染みが薄く、危機感を抱きにくかったとされています。
積極的な排除に動いたのはヨーロッパ諸国でした。特に強く反発したのは男性で、自分達の稼ぎが搾取されているというイメージを抱いたのです。マスメディアでもそのような煽り方をする事が多く、アダム氏の論文でも言葉が穏健なだけでそう結論付けています。サキュバスという名への悪印象もあり、活動はどんどん過激化していき……
最終的に名高き悪法、サキュバス防疫法が成立してしまったのです。
サキュバス防疫法は端的に言えば、サキュバスの『駆除』を許可・推進するというものです。
立案した国の指導者は、人間の男性でした。彼は決して民衆の空気に流された訳ではありません。アダム氏の論文を読み、閣僚や官僚達と相談しています。
そして人間社会に寄生し、本来人間の孤児達に与えられる筈だったリソースを奪う存在に義憤を燃やした――――後の回顧録にそう記載していました。
一国がサキュバス防疫法を成立させると、周辺国も次々と成立させていきました。「隣の国はやったのに何故うちではやらない!?」と市民感情が爆発したのです。先進国化を目指していた、アジアやアフリカの一部諸国もこの流れに参加しました。
問題は、どのようにサキュバスを見分けるのかです。
アダム氏の論文にその方法は書かれており、確かにサキュバスの特徴をある程度捉えていました。ですがそれは、例えば「性に奔放である」などですが、果たして人間とサキュバスの境界は何処なのかについては書かれていません。
書ける訳がないのです。それはあくまで傾向であり、人間よりも貞操観念の強いサキュバスなどいくらでもいるのですから。
しかし当時の各国は、アダム氏の論文を信じるしかありませんでした。このため各国のサキュバス判別法は非常に多様な、つまり統一感のないものとなったのです。中には「美人だから」という理由で捕まり、駆除された女性もいます。その女性が人間だったのかサキュバスだったのかは、今も判明していません。
そしてアダム氏の発表から三十年が経ち、遺伝子検査によりサキュバスの判定が出来るようになった事が、止めとなりました。
サキュバス防疫法を制定した一部の国で、女性の遺伝子検査を義務化したのです。それは確かにサキュバスの存在を炙り出しましたが、多くのサキュバスは善良な市民として暮らしていました。自身がサキュバスと自覚していなかった者は唖然としながら捕まり、自覚していた者、或いは自分がサキュバスと勘違いした人間の女性は次々と他国に流出しました。
後年の研究では、最終的に世界中で四千万人の人々が殺害され、一億もの女性が他国に逃れたとの指摘もあります。
サキュバス防疫法の成立から四十年。今から二十年ほど前になって、採用国に致命的問題が生じ始めました。
まず女性の急激な減少が起きました。国による虐殺に加え、サキュバス防疫法から逃れるための出国が相当数あったからです。
この問題は防疫法が制定されて数年後には認知されていましたが、あまり問題視されていませんでした。「サキュバスが逃げている」としか考えず、手間が省けたとばかりに黙認したのです。実際多くのサキュバスが国外に流出しましたが、一般女性も多数国外脱出をしました。防疫法に記されたサキュバスの判定基準が人間にも当てはまる事、明らかに不当な密告で連行された女性がいる事などから、自分も対象になると危機感を抱いたのです。
女性の極端な減少は、男余りという結果になって現れました。
人間は、女性が産まなければ子供は増えません。男性は一度に多数の女性を妊娠させられますが、女性は多数の男性と性交しても一人しか産まないのですから。男余りの状況は、その後極端な少子化を招きました。
更に余った男性達は多くの問題行動を起こし、治安が急速に悪化しました。
原因には諸説ありますが、サキュバス及び女性不足に起因するというのが定説です。男性が抱く恋愛や性欲へのニーズは、サキュバスや女性が解消してきました。その需要を満たせなくなった結果、男達に強いストレスが掛かり、暴力行為や犯罪を誘発したと考えられています。
また、風俗産業が壊滅した影響も大きいです。当時サキュバスは性に貪欲で、男から金を毟り取る存在と認知されていました。風俗嬢はそのイメージに合致した存在であり、極めて雑に虐殺されたのです。実際のサキュバスはその優れた能力と勤勉さから高い社会的地位におり、職場環境の良くない風俗業に努めている女性の多くは人間でした。
風俗業は壊滅しましたが、男性の性欲は変わらず存在します。合法的に需要が満たせない状況下では、違法な産業が台頭するもの。マフィアが提供する売春業が一気に成長し、犯罪組織の安定した資金源となりました。治安は悪化し、社会不安を引き起こします。
そして経済も大きく悪化しました。
サキュバスの多くは、人間以上に優秀な労働者です。総数も全人類の五パーセント程度と少なくない数であり、これが纏めていなくなれば経済力が著しく低下するのは必然でしょう。加えて他国に移住可能な富を持つ、優秀な者ほど早く国外に逃げてしまいます。
国際競争力の低下が確認されましたが、当時のサキュバスは人間社会に取り付く寄生虫。社会への貢献はないと考えられ、一切顧みられませんでした。
当然脱出したサキュバス達は、他の国へと入ります。生来優秀な労働者であるサキュバスは、移住先の国でも大いに活躍しました。途上国で新たな産業を起こす、行政改革を進める、部族間紛争の調停……必ずしも全てが解決した訳ではありませんが、人間だけで対応していた時よりも遥かに迅速に事が進んだのは事実です。
途上国の急速な発展、サキュバス防疫法を採用しなかった国の堅調な成長。防疫法採用国の行政も、ようやく過ちに気付きました。
ですが方針転換をすぐに行えた国は、あまり多くありません。
そもそもサキュバス防疫法は、恐慌状態に陥っていたとはいえ、国民の圧倒的支持により制定されました。一般的に人間は自分の過ちを認められないもので、国民達の多くが防疫法の悪影響を「改革の痛み」と認識していたのです。男女比や国際競争力の低下という『痛み』が、何を意味するかも考えずに。
結論を言えば、撤回が遅くなった国ほど影響が色濃く残っています。少子化により三十年後の年金制度崩壊が確実視された国や、マフィアに地方政府が乗っ取られた国もあります。防疫法実施前までヨーロッパは最もサキュバスの多い地域でしたが、現在では最も少ない地域となりました。そして経済成長率や治安は、今や世界でも最悪の部類であり、一部の国では回復の目処も立っていません。
ここまで落ちぶれても、未だ反サキュバス主義を貫く人は少なくありません。
「サキュバスは穢れた存在であり、人類の敵だ」
かつての経済大国から一変、世界的犯罪国家に変容したドイツに拠点を置く反サキュバス組織のメンバー・Jは臆面もなくそう語ります。
「子供を愛さず、人類の富に寄生する化け物と、どうして共生出来る? 我々は人間が全てを統治する、あるべき社会を目指しているだけに過ぎない。
勿論今の時代、なんでも滅ぼせば良いとは思っていないさ。生物多様性とか、そういうのが大事なのはよく理解している。だから他の国が受け入れる分には、勝手にすれば良いだろう。例えドイツ国内だとしても、森とか山とかで暮らすのなら構わない。中には一匹残らず駆逐すべきという意見もあるが、俺含めた多くのメンバーは現実的だからな。
だが俺達の社会からは追い出すべきだ。
クマだって森の中や、動物愛護団体が営む村で暮らす分には構わないが、ベルリンに現れたら駆除する。そういうもんだろう?」
彼の言葉は嫌悪に塗れています。ですがその言葉は、ただ過激なだけではありません。未だ少なくない人々がサキュバスに抱く、素朴な感情です。
問題は、この素朴な感情がまた広がりつつある点でしょう。
勤勉で優秀なサキュバスには、社会的地位の高い者が少なくありません。所謂富裕層であり、その姿に多くの貧民層の人間が「富を搾取されている」と感じているのです。
そういった面がないとは言えませんが、それは資本主義の仕組みにより生じたもの。サキュバスを排除しても、他の誰かがサキュバスの代わりに居座るだけ。問題の本質的解決にはなりません。
ですが人間は、分かりやすい解決策に乗せられてしまうものです。そして「自分の今の状況は何かの所為だ」とも。それは人間の本能と言えるかも知れません。
「この国が滅茶苦茶なのも、サキュバスが蔓延るのを防げなかったからだ。
俺達の手で全てを取り戻すまで、活動を止める気はない。
未来ある子供達のためにも、俺達がやらなきゃならないんだ」
Jの瞳は希望で輝いています。
希望を抱く事は勿論素晴らしい事ですが、彼の耳は科学的事実や歴史を聞くつもりはなさそうです。ましてや今のドイツが、世界で最もサキュバスの少ない国である事にも、気付いていない様子でした。
そして彼等が作り上げた社会は、未来の子供達へと引き継がれるのです。
人間側で再度巻き起こる反サキュバス感情。
歴史と科学を学ばない人間に対し、サキュバス側は行動を起こすようになりました。とはいえ反サキュバス組織メンバーを粛清するといった、暴力的・反社会的活動ではありません。
人間社会から受け入れられるため、自力で子供達の『養育』を始めたのです。それはサキュバスという種の在り方に対する変革と言えるでしょう。
日本に存在するサキュバス児童福祉センターは、この壮大な目的のために建設されました。運用開始から七年の月日が流れ、現在は三百人を超えるサキュバスの子供達が生活を行っています。六十名の職員が施設の運営を行い、子供のサキュバス達の世話をしています。
当然このサキュバスの子供達は、親から捨てられた子達です。本来人間の養子縁組などの施設に行くところ、『モデルケース』としてこの施設で育てられています。
特筆すべき点は三つあり、一つはセンター内で日本国内における児童保育に必要なものが揃っている事。つまり寝泊まりするための自室があり、三食提供するための食堂があって、幼稚園から中学校までの教育施設があります。
二つ目の特徴は、施設の運営費は寄付金により賄っている事。
そして三つ目の特徴は、施設運営関わる職員の九割がサキュバスである事です。子供達に食事を与える配膳員や清掃員のみならず、幼児の世話を行う保育士なども大半がサキュバスなのです。
自分の子供さえ愛さず、捨てていく彼女達に保育士など務まるのでしょうか?
「誤解されがちですが、サキュバスは子供が嫌いなのではありません」
多くの人が抱くであろう疑問に答えるのは、日本国籍を持つサキュバスである木林優里氏。若くしてサキュバス児童福祉センターの運営責任者に就いたエリートであり、二人の娘を持つ母親でもあります。
「サキュバスの性質は、あくまでも我が子に特別な愛情を抱かない事です。それは子供嫌いと同じだという方もいるかも知れませんが、全く違います。
例えるなら、産んだ我が子を、名前すら知らない他人の子と同じように感じるというべきでしょうか。
知らない子ですから、余程の事がなければ育てようなんて考えないですし、誰かに任せてしまおうと思うのです。ですがそれは、子供嫌いとは限りませんよね? 我が子を他人の子のように感じるだけで、嫌いではないのです。
私も二人の娘がいて、娘達の事を特別とは思いません。ですが普通に可愛いと思いますし、大人が守るべき存在とも思っています。二人にお願いされれば、映画館や遊園地に連れて行く事もします。二人とも、少しいたずら好きなだけで良い子ですしね。
つまり、サキュバスでも保育士や教員のような『育児』であればなんら支障はないという事です。無論適性については厳正に審査しますし、業務中に虐待などがあれば直ちに懲戒を行います。
そして他人に育ててもらう私達サキュバスにとって、その水準の育児で問題はありません」
優里氏は淡々と、当然のように語ります。
彼女の言葉からは、子供への嫌悪感は感じられません。むしろ好きだという感情が伝わってきます。我が子について言及しているという、人間的な違和感さえ除けば。
その違和感は、この施設が運営開始した当初から多くの人々が感じていたようです。
「初期の頃は、多くの指摘が来ました。自分の子供も愛せないサキュバスに、児童福祉なんて出来る訳がないと。
そして少なくない人達が、この施設の運営を止めようと活動していました。国の税金が使われていると思っていたようです。中には不法侵入を試みた方もいましたよ」
子供を愛さないサキュバスが、児童のための施設を作るなど考えられない。裏金や横領が目的に違いない――――反サキュバス組織は、そのように考えたのです。
結論を言えば、施設の運営に後ろめたい部分はありませんでした。横領の痕跡はなく、そもそも運営費は国からの補助金ではなく寄付金です。しかもそれらの寄付をしていたのは、サキュバス達でした。
この結果に反サキュバス組織は混乱し、中には内部分裂を起こした組織もあります。自分達の信念と異なる結果にイデオロギーが行き場をなくし、内側へと向かったのです。
しかしサキュバスの生態を知っていれば、これは不思議な事ではありません。
幾度となく述べてきたように、サキュバスが存続するには、繁殖相手である人間社会が繁栄しなければなりません。私益を追求しても、社会が悪化すれば容易く滅びます。そのためサキュバス達は私益よりも公益性を重視するよう進化しました。
サキュバスのための児童養護施設が出来たのなら、その存続はサキュバスという種のためになりますし、税金を他の事に回せれば人間社会のためになるでしょう。ですからサキュバス達は自らの意思で施設に寄付をし、受け取った寄付金は着服などせず活用するのです。
「私達の考え方は人と異なります。ですからすぐに理解してほしいとは言いませんし、私達からの歩み寄りも必要と考えています。
その成果は結びつつあり、今年は施設の子供達と、人間の養護施設の交流を行う事が出来ました。
今後も人間と共存するため、我々に出来る努力はしていく所存です」
サキュバス児童福祉センターに務める一人のサキュバスについて、話を聞いてみましょう。
彼女の名は佐々良恵。児童福祉センターで保育士をしている職員の一人であり、既に五年間勤めています。
そして三年前、自分が産んだ子をこのセンターに預けました。
「当時交際していた彼氏との子です。産まれたら、この施設に預けようと考えていました」
恵氏は後悔している様子もなく、明るく微笑んで答えます。
何故保育士という立場でありながら、子供を施設に預けたのでしょうか。
「育児に興味はありましたけど、それだけですし。今もですが、金銭的な余裕もありません。
ですから私が育てるより、この施設に預けるのが適切と思いました。働いていて実感しているのですが、職員は全員子供が好きで、安全にも凄く気を遣っています。それに一緒に生活する子も多いですから、友達もたくさん作れそうだなって思っていました。
後は、そうですね。まだ準備中ですけど高等教育にも力を入れる予定と聞いていたので、将来も安泰かなーって」
彼女なりに、子供の将来を考えているようです。
しかし子供に会っているのかという問いに、恵氏は首を横に振りました。
「そもそも誰がそうなのか、よく知りません。名前も施設で付けてもらいましたし、同時期に五人ぐらい新生児が入ってきましたから。
勿論年齢は分かりますから、多分あの子かなーとは思いますけどね」
我が子が誰か分からない。人間には信じられない事ですが、サキュバスである彼女はそれを苦に思っていない様子です。
「よく子供に会いたくないのかって聞かれますけど、特にはないですね。
そもそも生みの親でしかない私が会いに行く必要性はないと思います。ここで私含めた職員が世話をしている訳ですから」
自分の子供を特別視しないサキュバスの価値観が、よく現れている会話でしょう。
その上で彼女は、この施設に給金の一割以上を寄付していると言います。
「やっぱり子供達には、ちゃんと育ってほしいですからね。美味しいものもたくさん食べてほしいですし。お陰で私はあまりお金がないですけど、子供達が笑っているなら十分です!」
我が子を特別視せず、子供達のために自らの身を削るサキュバス。
サキュバスに子を愛せないと言いながら、サキュバスと共に築いた社会を壊し、子供達に苦境を残す人間。
果たして子供にとって、どちらが『良い親』なのでしょうか。
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