サキュバスと人類社会

 サキュバスは産んだ子供を育てません。

 人間達に子育てを押し付け、浮いたコストでまた繁殖をする……そういった戦略で増えてきたと説明しました。

 ですがこれは、決して楽なやり方ではありません。

 確かに人間には共感や同情がありますが、同時に自己の利益を追求する性質もあります。それは子育てでも発揮される事があるでしょう。

 つまり養子として迎え入れられたサキュバスよりも、実子の方が好まれ、露骨な差別を受ける事がありました。

 そして古代における差別とは、単なるいじめや虐待とは比にならない危機です。


「サキュバスの子供にとって、これは死活問題です。あらゆる資源の分配の優先順位が最下位となるのですから」


 ジェニーが語るように、それは致命的な問題です。

 古代の人類は、生活に必要な物資を自然界に依存していました。ですが自然資源は、その年の気候などにより生産量が大きく変動します。

 年によっては食料や水が不足する事もあったでしょう。家族全員を養えない状態になれば、全滅を避けるため誰か一人の供給を制限しなければならない時もありました。

 所謂口減らしです。この時選ばれるのは、主に幼い子供達でした。大人である両親が犠牲となって子供達を生かしても、知識も力もない子供達だけで生きていく事は出来ないからです。

 そして子供が複数いた場合、養子と実子のどちらを生かそうとするでしょうか?


「多くの場合、実子が選ばれた事でしょう。人間もまた生物である以上、自分の子を優先するのは当然です。

 またサキュバスの性別も、口減らしの際には不利に働いた事でしょう」


 古代に限らず現代の発展途上国でも、子供は次世代を担う存在であるのと同時に、大切な労働力です。また古代における仕事とは、農業や漁業、狩猟や林業など、その大部分が肉体労働でした。

 子供といえども、女よりも男の方が力には優れます。労働力として優秀なのは男子であり、危機的状況では女子よりも優先して生かすのが合理的です。

 更に古代の人間社会は、多くの場合男子を家の跡継ぎにしています。家を存続させるためには、男子が一人しかいなければ、その男子を優先して生かさねばなりません。

 中国で一人っ子政策が実施された際には、どの家庭も跡継ぎや労働力として男子を好み、中国の男女比率に大きな差を生みました。このような現象が飢饉や干ばつの時、古代人類社会のあちこちで起きたでしょう。

 サキュバスの繁殖戦略は、危機的状況下では真っ先に淘汰されてしまうのです。そして古代においてこのような危機は頻繁に起きていました。折角増えた個体数は、危機の度に急減していた事でしょう。

 もしもサキュバス達がなんの進化もしていなければ、今頃は絶滅していたかも知れません。

 ですがサキュバスは今も存続しています。つまり彼女達はこの危機に適応する進化を遂げました。それはどのような進化だったのでしょうか。






 サキュバスはどのような進化を遂げたのでしょうか。その答えは、生物進化の専門家であるジャンが教えてくれました。


「生物の進化を考える上で重要なのは、問題を解決するのではなく、結果的に生き残る事です。

 つまり飢饉の際口減らしの対象になる事が問題ならば、その対象にならない進化で十分なのです。そして人間というのは存外単純であり、短期的な利益に釣られがちです。

 要するに、家庭にとって有益ならば養子を選ぶ事もあり得るという事です」


 科学者達の多くは、サキュバスはより『優秀』になる事で生き延びたと考えています。

 特に身体能力を発達させました。運動能力に優れているところを示し、労働力としての優秀さを育ての親にアピールしたのです。


「生物学的に考えれば、飢饉の時優れた身体能力を持つのは適切な進化ではありません。筋肉はエネルギーを多く使うため、たくさんの食べ物を必要とするからです。長期的かつ生物学的観点に立てば、そのような子を生かすのは好ましくありません。

 ですが人間に数百年周期もの長期的視点はありませんし、ましてや古代ではエネルギー消費という発想も乏しかったでしょう。口減らしの際には、短期的に優秀な労働力を選びたくなった筈です」


 サキュバスの身体能力は、人間よりも優れています。

 特にその優秀さが見られるのが、小学生ぐらいの年頃。この年代は古代において、口減らしの対象となり得る年代です。ここで活発な身体能力を見せる事で、サキュバス達は自分が優秀な労働力である事を示しました。

 勿論ただ身体能力が高いだけなら、たくさんの食料を必要とします。長期的には決して良い体質とは言えません。

 このためサキュバス達は成人に近付くと、身体能力の成長が急激に鈍化します。最終的に人間の成人女性よりやや優れる程度で収まるのは、エネルギー消費を抑えるための進化なのです。

 子供の頃は人間を圧倒し、大人になるとちょっと運動が得意な程度で収まる……このような特徴は、サキュバスの他の身体的部分にも見られます。

 例えば身長もその一つ。サキュバスの大人は、最終的には人間の女性よりやや高い程度で止まります。ですが十歳までは同年代の子より、十センチほど高くなるのです。これもまた太古の時代、口減らしの対象となるのを防ぐための進化。より大柄な身体となる事で、身体能力を実際よりも高く見積もらせます。

 これらの特徴を聞くと、サキュバスが酷く狡猾な種に思えるかも知れません。ですがどんな進化も、やろうと思って出来るものではありません。全ては自然選択の結果です。

 何より、どんな生き方でもエネルギー消費の問題は付き纏います。


「我々進化生物学者は、このような事象を目の当たりにすると次にこう考えます。どうしてそれが可能だったのか、と」


 サキュバスが人間と共に暮らす以上、得られるエネルギーは人間と大差ありません。

 当然身体の成長に使えるエネルギーも、人間とほぼ同じだと考えるべきです。にも拘らず人間よりも大きく、素早く成長するのは、帳尻が合いません。

 何処かで、何かしらのエネルギー消費を削減していると考えるのが自然です。そしてその答えは、既に明らかとなっています。

 サキュバスは人間よりも、繁殖にエネルギーを使わない生物なのです。


「サキュバスの身体は、子宮などの生殖器官があまりは発達していません。大きな子供を妊娠しませんから子宮は小さくて構いませんし、子宮に栄養を届ける血管の数も少なくて良いでしょう」


 子供を大きく育てないサキュバスは、人間よりも生殖器が『低コスト』なのです。

 この浮いた分のエネルギーを、幼少のサキュバスは成長に費やすよう進化しました。これにより肉体は同年代の人間を凌駕し、口減らしから生き残りやすくなったのです。

 しかし問題もあります。


「本来、浮かせたエネルギーは繁殖に使われていた事でしょう。手早く大人になり、一人でも多く子を産むのです。ですがそのためのエネルギーを、生き残るためとはいえ大柄な身体に費やす羽目になりました。

 つまり、性的な成熟に時間が掛かるようになったのです。具体的には人間と同じぐらいには。折角浮かしたエネルギーを、繁殖力ではなく生存力に費やさねばならなくなったと言えます」


 サキュバスに待ち受ける問題はこれだけではありません。

 サキュバスの繁殖は、人間に頼って行われます。つまりある程度人間が栄えた状態、可能ならば自分達よりも人間が多い集団でなければ成り立ちません。

 ところがサキュバスから産まれるのは、常にサキュバスです。決して人間は産まれません。

 このためサキュバスが増えてくると、育児を担う人間が少なくなってしまいます。折角産んだ赤ん坊を、誰も育てなくなってしまうのです。

 それは個体数の調整として働きます。サキュバスが増えると産んだ子供は育てられずに死に、サキュバスの数が減っていく。そしてサキュバスが減れば人間同士の夫婦が増え、人間の数が増えていきます。人間が増えれば、またサキュバスも増えるでしょう。ですが増え過ぎれば、また数を減らします。

 サキュバスが繁栄するには、人間も繁栄してもらわなければなりません。

 人間社会が発展すると、この問題はいよいよ無視出来なくなりました。社会の大規模化と共に、集団同士の闘いである戦争も激化したのです。群れ同士の殺し合い自体は、狩猟採集時代にも行われていましたが、人間社会に町や国の概念が誕生した頃にはとても激しいものとなっていました。

 戦争で負ければ、サキュバスといえども殺される事があったでしょう。美しい容姿から『戦利品』として持ち帰られ、差別的な扱いも受けたかも知れません。逆に戦争に勝てば、たくさんの富を得る事で自分が属する人間社会を大きくする事が出来ます。

 戦争に勝つには、相手よりも社会が発展していなければなりません。兵士は多ければ多いほど好ましいですし、武器は高度なものが求められます。貨幣経済が発達した後は、産業構造の良し悪しも継戦能力に影響しました。食料など兵站の供給能力がなければ、大勢の兵士を戦わせる事など不可能です。

 自分の子孫を残すためには、自分の属する集団が繁栄しなければならない。人間という種を消費するからこそ、人間が繁栄しなければ困る。

 人間社会が発展すると、サキュバスは常にこの問題に晒されました。

 そして生物は、度々問題を克服するような進化を遂げます。そのような進化が起きれば、より自分の子孫を繁栄させられるからです。






「サキュバスにとって人間集団の繁栄こそが利益です。集団に貢献出来る個体の方が、より多くの子孫を残せたでしょう。

 即ち、指導者の気質です」


 このように語るのは、考古学者であるサダム・イブラヒム氏。考古学に携わってきた彼は、その考古学における長年の謎について教えてくれます。


「紀元前三千年から二千年頃。世界各地で発達した文明が成立するようになると、社会にある変化が見られるようになりました。

 女性指導者の増加です。

 多くの文献記録や遺跡から、その存在が示唆されています。勿論地域性はあり、例えば私の出身地であるアラブの地では、あまり見られません。

 ですがそれ以前の年代に比べると、明らかに記録が増えています」


 女性指導者により繁栄した文明として特に有名なのは、紀元前二千年頃に存在していたインディアンのマカニア文明でしょう。

 インディアンの多くは文字を持っていませんでしたが、マカニア文明では木板に掘られた文字が発掘されています。金を利用した貨幣も発見され、貨幣経済も成立していました。

 更に発掘された木版の記録によれば、当時マカニア文明では女性の労働が推奨されており、家事を専門とする男性、『専業主夫』もいたのです。マカニア文明は狩猟採集文化でしたが、極めて高度な文化が成立していました。

 不幸な事にマカニア文明は、伝染病の流行により指導者である女王、及び親族が死亡した事で後継争いが激化。内部分裂の果てに滅亡してしまいましたが、もしも存続していれば、ヨーロッパなどにも負けない大文明となっていた事でしょう。

 このように記録に残るほど、女性指導者が増加した原因は何か。宗教改革説や戦争による男性の大量死など、様々な説が語られてきました。

 現在、最も有力なのがサキュバスの進化です。

 サキュバスにとって人間社会が発展する事は、己の利益です。そのため集団に貢献する性質の個体が生き残り、繁栄するようになりました。つまりよく働き、頭が良く、群れ全体とコミュニケーションを取る事です。

 それらの活動には多くのエネルギーを使います。人間の女性は子育てという仕事があるため、労働に労力を割くのは困難でしょう。男性は子育てを女性に任せた分よく働きますが、本質的に雄は同性と競争する性別です。群れ全体でコミュニケーションを取ろうにも、どうしても派閥などが生じ、集団内で利害関係が発生してしまいます。

 サキュバスはこれらの問題から解放されていました。子育てを人間に押し付ける事で、そのエネルギーを労働に投資出来ます。人間達の目には非常に働き者で、たくさんの成果を上げた人物に見えた事でしょう。また人間社会に溶け込むため発達したコミュニケーション能力を持ち、群れ全体の意見調整が得意でした。生態上人間の共感を得るのが得意なのも、群れを纏め上げるのに役立った事でしょう。

 それでも余ったエネルギーは、脳の発達に使えます。優秀な頭脳は群れの統率を優れたものとし、社会を高度に発展させました。また科学文明の発達にも寄与し、多くの道具を作り出しています。

 現在大国や先進国と呼ばれる国々では、女性指導者が多く輩出されています。その全てがサキュバスではなかったでしょうが、多くはサキュバスだったと考えられています。


「十一世紀頃、により侵攻してきたヨーロッパ各国は、アラブ世界を蹂躙しました。サキュバス達の指導により、技術進歩が飛躍的に進んでいたからです。

 アラブ諸国ではイスラム教の影響により、女性は家庭で役目を果たすのが好ましいとされていました。一夫多妻制も、戦争が多く、未亡人が出やすいアラブ諸国では必要な社会保障制度と考えられています。

 しかしこの社会体制は、サキュバスの指導者に負けました。アラブの過酷な環境が侵略者達を撃退していなければ、今頃イスラームの文化は絶えていたかも知れません」


 地域性や時代背景が異なるため、現代の価値観でアラブ諸国の『女性差別』的な社会を批難すべきではありません。ですがサキュバスの社会進出を許さない構造は、結果的にアラブ諸国の繁栄を損なわせたのです。

 サキュバス達が指導者に向いている事は、現代社会のデータからも窺えます。

 例えばアメリカ企業の収益について、女性経営者の方が男性経営者よりも高いとの研究がありました。この研究を更に進めたところ、女性経営者の凡そ七割がサキュバスと判明したのです。他には世界における女性政治家の九割がサキュバスとの報告もあります。そして現在、世界の政治家の約四割が女性です。サキュバスが指導者として台頭する可能性は、人間よりも高い事が分かります。

 更にサキュバスの指導者は、単に能力が高いだけではありません。


「サキュバス系指導者の特徴として、血縁者や配偶者への優遇が顕著に少ない事が挙げられます。

 指導者というのは、時として厳しい選択も必要です。戦地に送り込んだ我が子が窮地に立たされていても、戦争全体を考えて増援を出さないという決断を求められる時もあるでしょう。

 人間はそこまで冷徹になれません。なるように振る舞う事は出来ますが、どうしてもそこに情や贔屓が出てしまいます。古代中国や李氏朝鮮など、血縁主義の強い社会では親族への利益分配こそが正しいとされる文化もあります。

 しかしそういった社会は、いずれ滅びます」


 血縁や親類を優先し、利益を与える事は、狭い視点ならば間違いではありません。親や子供達が安定して暮らし、多くの子を産んでくれるでしょう。

 ですが国家としては腐敗です。優秀な人材ではなく、親族がそのポストを占めるのです。大勢の人間で動く社会だからこそ、その纏め役の能力が低ければ力を出せません。力を出せないという事は、戦争に勝てないという事なります。最後は何処かに攻め込まれ、滅亡するのです。

 対してサキュバスは、親類を贔屓する事はありません。腹を痛めて産んだ我が子すら、寸分の迷いもなく捨てられるほど肉親への情がないのですから。いざとなれば親族を切る事さえ躊躇わず、優秀な人間を雇います。

 更にサキュバスは自己への賄賂も好みません。雌雄がいれば繁殖出来る人間と違い、サキュバスは社会が豊かである事が繁栄の前提です。賄賂という健全な社会活動を妨げるものを好む個体は、長い進化の歴史で淘汰されました。自らを含む法改正にも躊躇いはなく、それでいてコミュニケーション能力も高いため、意見調整も容易です。

 フランスではかつての革命で、サキュバスの女王を処刑した事がありましたが……人間の民衆が実権を握った途端、汚職が横行して社会が混乱に陥りました。最終的に民衆の中から優秀な女性指導者が現れ解決しましたが、この指導者もサキュバスと言われています。

 人間社会は、サキュバスにより導かれたといっても過言ではないでしょう。






 人間の発展にサキュバスが欠かせなかった事は、様々な科学的見地から明らかです。

 サキュバスは人間に子育てを押し付けましたが、人間はサキュバスから繁栄という対価をもらいました。我々の安定した生活、高度な文明はサキュバスのお陰でしょう。我々は長い間、共存共栄をしてきたと言えます。

 ですが今、その関係が綻びつつあります。

 サキュバスへの偏見と差別です。現在でこそ各国はそれらの是正に向かいましたが、未だ少なくない国で差別が横行しています。それが自分達の破綻への歩みと気付かぬままに。

 そしてこのままでは、いずれ人間はサキュバスに見捨てられるかも知れません。

 人間より社会性も知能も労働力も優れる彼女達は、新たな繁栄の基礎を築き始めているのですから。

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