サキュバス流育児

 子育てを他の人間に押し付ける。

 サキュバスという種の『特徴』について話す前に、そもそも生物における子育てについて考えてみましょう。

 人間は子育てをする生き物であるため、親が子を育てる事は当然だと認識しています。ですが多くの生物にとって、それは当たり前ではなく、時に不合理な選択でもあります。

 そう語るのはアメリカ合衆国の進化生物学者、ジャン・ホーキング氏です。


「多くの生物にとって、子育ては有効な戦略ではありません。理由は簡単で、コストが非常に掛かり、子孫を増やす上で非効率だからです」


 子育てがどれだけ大変であるかは、多くの人間には説明不要でしょう。毎日子供達に食事を与え、社会で生きていくための教育を施し、時には遊び相手にもならなければなりません。また未熟な子供達は危険から身を守る術も持っていませんから、何時も傍にいて守らねばなりません。

 野生の世界でもこれは変わりません。むしろより大変でしょう。自分さえ飢える事があるのに子供達の食事を用意し、その中の僅かな余暇で生きるために必要な教育を詰め込むのです。か弱い子供達を襲う危険は人間社会の比ではなく、子を守るため親は文字通り命を賭ける事もあります。一匹の子供を育て上げるのに、大変な労力が必要です。

 この労力の大きさは、生み出せる子孫の数に影響します。


「年収五万ドルの家庭が、米国で十人の子供全員を大学に進ませる事は困難でしょう。そもそも十分な食事を与えられるかも分かりません。そのような家庭では、子供の数は一人が適切です」


 野生動物に学費などありませんが、食料や縄張りなどが『収入』に該当するでしょう。優秀な個体ほどは多くなりますが、決して無限ではありません。

 すると、新しい世代にどのように収入を分配をするか、どの程度コストを掛けるが問題となります。

 たくさん子供を生めば、当然子供一人当たりに掛けられるコストは小さくするしかありません。収入は有限であり、簡単には増やせないのですから。逆に子供一人当たりの育児コストを増やすなら、子供の数を減らさなければなりません。たくさんの子供を手厚く育てるというのは、両立出来ない事なのです。

 自然界の実例を見てみましょう。

 例えばキャベツ畑をひらひらと飛ぶモンシロチョウ。彼女達は食べ物であるキャベツの上に卵を産んだら、それ以上の世話はしません。人間からすれば虐待同然のやり方ですが、子育てに殆どコストを費やさない彼女達は、生涯で二百〜四百もの卵を産む事が出来ます。

 対してオランウータンはどうでしょうか。彼女達は子供をとても大切に育てます。一頭の子が独り立ちするのに、七年以上もの月日を掛けるぐらいです。しかも一度に産む子の数は一頭だけ。このため生涯で産み、育てられる子は四〜五頭と、人間並の少なさとなっています。

 このように子育ての有無によって、子供の数には明確な違いが生じます。そして生物進化を語る上で、子供の数はとても重要です。


「例えば子供を一匹しか産まない個体と、十匹産む個体がいるとします。当然十匹産む個体の方が、次世代を多く生み出せるでしょう。

 それ自体は数の大小でしかありませんが、個体数が飽和した時、大きな問題となります」


 一つの環境で生きていける生物数には限界があります。住処や食物には限りがあるためです。

 例えば一つの森に、百匹の生き物が暮らせるとします。百匹以上に増えた場合、溢れた分は餓死するしかありません。何故なら食べ物がないからです。

 もしもこの森に暮らす生物で、一匹だけ子供を産んだ個体と、十匹も産んだ個体の『餓死率』に差がなければ、一匹しか子を産まない個体はすぐに絶滅するでしょう。十匹産む側はどれかが生き残れば遺伝子を存続させられますが、一匹しかいない側はその子供が死ねば血筋が絶えてしまうからです。

 また天敵に食べられてしまう子がいる事を考えても、たくさん産めばそれだけ生き残る可能性が高くなります。一匹しかいなければ、その子供が食べられてしまえば終わりです。子育てに費やしたコストも当然無駄になります。危険な環境では、投資先は分散すべきなのです。

 そして同種が少ない環境では、子供が多ければ瞬く間にその環境を自分達の一族で支配出来ます。


「実際には、一匹しか子供を産まない事にもメリットはあります。大切に育てれば、その分生存率が上がる事です」


 モンシロチョウは二百以上の卵を産みますが、その中から成虫まで育つのは一パーセント未満と言われています。対してオランウータンの子供は、先進国の人間に匹敵する生存率を誇ります。大切に子育てをすれば、少ない子供も確実に大人になれるのです。

 また丈夫な子供は、同種との競争に有利になります。お兄ちゃんが弟のおやつを強奪するように、弱い同種から食べ物を奪えます。人道的には兎も角、食べ物が限られる環境……その環境で生きていける個体数の上限まで増えた状況では、とても効果的です。

 少数の子を大切に育てるか。

 多くの子を雑に産み落とすか。

 どちらがより効果的な戦略であるかは、種の立場によって異なります。モンシロチョウの親がどれだけ頑張ったところで、襲い掛かるススメバチから子供達を守る事は不可能でしょう。それなら子育てなんてせず、全てのコストを産卵に費やす方が合理的です。天敵に殺される事が多く、個体数変動が大きいため同種間での餌の奪い合いもほぼありませんから、大きな子供を産むメリットはありません。

 反対にオランウータンがモンシロチョウの真似をしても、効果的ではないでしょう。大型動物である彼女達は大抵の天敵から子供を守れますし、それ故に個体数に大きな変化はありません。すると小さな子は同種との競争を強いられ、大きな子供達に食べ物を奪われてしまいます。

 このように生物の繁殖には様々な課題が付き纏い、子育てをする事が必ずしも得とは限りません。即ちどんな繁殖方法でもそれはその種が繁栄するのに適したやり方に過ぎず、善悪で語る事は出来ないのです。






 さて。生物の繁殖について学んだところで、また新たな疑問について考えてみましょう。

 その疑問とは、「子育てをする生物種の親は喜んでそのコストを支払っているのか」です。

 これに答えてくれるのは、ミランダ・ブッシュ博士。三人の子を夫婦で育て上げた女性生物学者はこう答えます。


「子育ての楽しさは否定しません。私にとっても、三人の子供達との日々は素晴らしい思い出でした。

 ですが自分の遺伝子を増やすという観点で言えば、それらの思い出は削減すべきコストに過ぎません。

 そして私達人間の夫婦の形は、雌雄の長い生存競争の果てに辿り着いたものであり、いわば互いにコストを押し付け合った結果です」


 子育てのコストを押し付けあった結果、人間のような夫婦愛が生まれた。それはどういう事なのでしょうか。

 そもそも雌雄では、子孫を残す上で合理的な行動に違いがあるのです。


「人間的な感情を捨てて、考えてみましょう。あなたは雄であり、たくさんの子孫を増やしたいと考えています。

 そして今、あなたの前に十体の雌がいます。

 もしも一体の雌と一緒に子育てをすれば、一体の子供しか得られません。食事や安全の確保で、他の雌と子作りする余裕なんてありませんから。それに比べて子育てをせずひたすら他の雌とセックスしていれば、上手くいけば十体の子供が得られるでしょう。

 ではより多くの子孫を残すには、どのように行動するのが合理的でしょうか?

 答えは考えるまでもありません」


 子育てに費やす時間や労力を全て性交に使えば、それだけ多くの子供が作れます。つまり雌に子育てを事で、雄はより多くの子孫を残せるのです。

 勿論雌雄一緒に子育てをする事にはメリットがあります。雌雄で負担を分かち合う事で、子供をより安定して大人まで育てる事が出来ます。ですが仮に、雌に子育てを押し付けた場合の子の死亡率が、雌雄一緒に協力して育てた時の倍だったとして……ならば三体の子を作れば、雌雄で育てる時よりも雄は多くの子孫を残せます。死んだ子供の数は関係ありません。最終的に何体生き残ったかが重要なのです。

 そして多くの場合、雄が子供を作る際に支払うコストは少量の精子だけです。子供一体を育てる労力エネルギーの全てを精子に変えれば、何十どころか何百もの子を作れるでしょう。雌だけで育てた場合の死亡率など、いくらでもカバー出来ます。これでは子育てなんて、『非効率』の極みに思えてくるでしょう。

 また、雄側には子育てに本気を出せない理由があります。


「少し、意地の悪い質問をしてみましょう。

 あなたは新婚夫婦の夫です。先日可愛い赤ちゃんが産まれました。妻との関係も良好。素晴らしい家族に思えます。

 ところが今日、あなたの友人がこっそりと教えてくれました。

 あなたの奥さんが一年前、若い男とホテルから出てきたと。

 話の真偽は不明です。心当たりもありません。ですがあなたの妻はとても美人で、他の男が放っておくとは思えません。自分は仕事で日中家にいませんから、妻がその時、何をしていたか知る事は出来ません。

 では、考えてみましょう。

 先日生まれた赤ちゃんは、本当にあなたの子供でしょうか?」


 雄側は常にこの疑惑から逃れられません。何故なら産まれてきた子は、自分とは異なる個体から出てきたのです。血の繋がりを示すものは何一つありません。

 雌が他の雄と性交に及んでいる可能性がある以上、産まれた子が自分の子とは限りません。そんな子供に膨大なコストを費やす事は、果たして合理的でしょうか? むしろ子育てなどせず、少しでも子作りに励んで、自分の子が生まれる確率を上げるべきでしょう。

 こうした事情から、子育てを行う野生動物でも、多くの場合雄は子育てに参加しません。

 対して雌はどうでしょうか。雌の場合、卵でも赤ん坊でも、精子より遥かに多くのエネルギーを費やしています。もしも子供が死んだ場合、雌が失うコストは計り知れません。また雄と違い、体内で子を育む雌は、産まれてくるのは確実に自分の子です。このため投資を躊躇う必要はありません。

 仮に、雄に子育てを押し付けたとして。先程述べた通り、雄は真面目に子育てをする動機がありません。もしも途中で放り出した場合、雌の方が失うコストは大きいでしょう。酷な言い方をすれば、育児における立場が弱いのは雌の方。どちらも子育てを放棄するというチキンレースを仕掛けた場合、雌が折れなければならないのです。

 ですが雌もただやられてはいません。


「雄は多くの雌と子を作れます。これは見方を変えると、雄の数は雌より多い必要がありません。雌が何体いようとも、雄は一体いれば十分です。

 つまり雌は雄を選ぶ事が出来ます。出来の悪い雄と子を作る必要はなく、優秀な雄を選べば良いのです。雄はその事に文句を言えません。雄余りが発生したのは、雄が雌をたくさん確保しようとした結果なのですから。

 こうなると雌のすべき事は簡単です。雄同士を戦わせ、一番強い雄を選別するのです。自分の価値を磨く必要はありません。雌はただ雌というだけで価値があります。雄の戦いをのんびり横で眺めていれば、最高の遺伝子が手に入るでしょう。雄に選ばれない可能性は、考慮する必要はありません。雄は自分の遺伝子を残すには兎に角数をこなす必要があるので、雌の不出来など気にしている余裕はないのですから。

 そして一番強い雄がなんとなく気に入らなければ、浮気すれば良いのです。他の雄も交尾したくて溜まらないのですから、誘惑すれば簡単に引っ掛けられます。

 選ぶ側として割り切れば、雌というのはとても強い立場なのです」


 雌が選ぶ側になると、雄も対応しなければなりません。雌に選ばれるため、自分が如何に魅力的かアピールする必要が生じたのです。

 美しい声で鳴いて呼び集める、派手な模様で主張する、大きな獲物をプレゼントする、必要以上に巨大な巣を作る……どれもコストは掛かります。鳴き声や模様は敵からも見付かりやすく、命を落としやすくなりました。ですが雌からすれば些末な事です。どれだけ雄が死んでも、代わりはいくらでもいるのですから。

 このような雄と雌の競争は、生物の生殖様式を多様に進化させました。

 例えばタガメは、雄が卵を守ります。雌は子育てに参加しないどころか、むしろ卵を破壊する敵です。より多くの自分の卵を産むため、子育てに励む雄の子供達を殺し、自分との交尾を迫ります。卵を壊された雄は、自分の子孫を残すため、その雌との交尾に応じなければなりません。そして今度は、自分の子を殺した雌の子を守るようになります。

 鳥類に至っては一妻多夫、即ち一匹の雌に複数の雄が繁殖相手となる種もいます。このような種では雌が派手な姿で雄にアピールし、自分で縄張りを守るなど役割が雄と逆転しています。

 そして人間は、夫婦による子育てを進化させました。


「一説には、人間の夫婦関係は女性の排卵周期を逃さないためと言われています。

 人間には目に見える発情期がないため、何時排卵するか、つまり妊娠するか分かりません。折角確保した女性が目を離した隙に他の男性と性交していては困りますし、女性に見限られても困ります。

 ですから四六時中付き纏い、食料などを提供して己の魅力をアピールし続けるようになったのです。子育てへの参加も、自分が如何に優秀な雄であるか示すためのポーズという訳です」


 勿論多くの夫婦は、そんな打算などなく子育てをしているでしょう。自分達は愛しているから結婚し、愛する人の子だから育てているのだと。

 ですが進化生物学の観点で言えば、内面の動機は重要ではありません。

 重要なのはその動機により『何』をしたのか、その行動がどうして子孫を残す上で有益なのかという点です。つまり人間が持つ誰かを愛する心は、。先の己の魅力をアピールする事も、結果的にアピールになれば良く、内心の動機が愛する人に尽くすためでも良いのです。それは『理屈』と関係ない事なのですから。

 そして理屈を意識していないがために、人間はサキュバスに付け込まれます。






 長い前置きになりましたが、いよいよサキュバスの繁殖について触れましょう。

 まずサキュバスは村や集落など、人間の群れに入り込みます。外見はほぼ人間であるのに加え、美しい女性です。群れに余裕があれば、余程の事がなければ受け入れられます。

 その後気に入った男性と性交を行います。男性は内心たくさんの雌と子を作りたいものですから、誘われればまず断りません。旺盛な排卵周期もあって、すぐに妊娠するでしょう。

 妊娠したサキュバスは、半年ほど子宮内で子供を育てます。人間よりもずっと短い妊娠期間です。あまり腹部は大きくならず、悪阻つわりなどもほぼありません。産まれてくる子は人間よりも小さく、未熟児ではないもののか弱く見える事が多いです。

 小さな子供には幾つか利点があります。まず出産の負担が小さい事。人間のように大きな子供を産む事は、母親に大きな負担を与えます。それは医療が発達した現代社会でも、数万人に一人は亡くなるほど危険な負担です。小さな子であれば、このリスクを抑える事が出来ます。

 もう一つの利点は、同情を誘える事です。


「人間は仲間への共感を進化させました。仲間と喜びを分かち合い、悲しみや怒りを共有します。

 これにより社会の結び付きを強くし、群れで困難に挑む事が出来るようになりました。また様々な想像が出来る脳により、未来を思い描き、事前に危機を回避する事も出来るようになりました。

 サキュバスはこの共感性と想像力を利用します」


 サキュバスの良き理解者であるジェニー氏は、その繁殖方法についてこう語ります。


「小さな子をそこらに放置すれば、群れの誰かが発見して報告するでしょう。大変だ、赤子がいるぞ! という具合に。

 わんわんと泣く赤子を見て、群れの大人達はこう思います。可哀想に、きっと捨てられたのだろうと。実際捨てられたのでその認識は正しい訳ですが。

 そしてこうも思う筈です。この可哀想な赤ん坊を、自分達の手で育てられないだろうか。無力な赤子が飢えと乾きで死ぬなんて、


 五十万年前の時点で、人類は共感性を獲得していたと考えられています。炉端に放置された赤子の将来を想像し、その苦難を理解した事でしょう。

 勿論古代人は現代ほどの余裕がなく、多くは泣く泣く捨て置かれたかも知れません。ですがサキュバスにとって、それは大きな問題ではありません。産まれてくる子が小さいため、投じたコストは少ないのです。出産のリスクも小さいため、何度もチャレンジ出来ます。

 そして群れに余裕があれば、必ず誰かがその子を育てます。人間とはそういう生き物なのです。


「人間の誰かが子育てをすれば、サキュバスからすれば儲けものです。人間なら十年以上もの長期間やらなければならない子育てのコストを、次の繁殖に投じる事が出来ます。

 それこそ半年に一人ずつ産み、人間の女性の何倍もの数の子孫を残す事が出来たでしょう」


 サキュバスが小さな子供を産むのには、更に利点があります。

 それはお腹が大きくならないため、妊娠が周囲にバレない事です。流石に妊娠がバレた状態で赤子を捨てれば、人間達から犯人だと疑われてしまいます。一度だけなら同情してもらえるかも知れませんが、何度もやればいい加減にしろと思われるでしょう。最悪、群れから追放されるかも知れません。

 ですが妊娠していないと思われれば、赤子の母親とは見抜かれません。何食わぬ顔でそのまま群れに居続け、次々と自分の子を育てさせる事が出来ます。

 加えて負担が小さいため、一人で、ごく短時間で出産を済ませられます。人間の出産は大仕事であり、一人でも出来なくはありませんが、基本は誰かの手助けを必要とします。ですがサキュバスは人間達に出産を見られる訳にはいきません。何時間も家にこもれば、怪しまれる事もあるでしょう。小さな子なら一人で、さっと産み落とせます。そして捨てる事が可能です。

 初乳すら与えません。そもそもサキュバスには母乳の生成能力がなく、乳房はほぼ飾りです。これもまた妊娠・出産を悟られない事に役立ちます。

 徹底的に人間が持つ共感と感情を利用し、自分は殆どのコストを負わない。これがサキュバスの繁殖戦略なのです。


「これを聞くと、少なくない母親達がこう思います。子供達が可哀想だって。

 ですがサキュバスの子供も、この生き方に適応した存在です」


 誕生直後から、サキュバスの子供は人間の子とは違う振る舞いをします。

 まず産まれてしばらくは泣きません。産声を上げれば誕生が人間達にバレてしまうためです。生後二時間ほどは仮死状態で休眠し、その後大声で泣く……丁度道端に捨てられた辺りで。

 その後人間に拾われ育てられます。

 生後数日は母乳を必要としますが、十日も過ぎれば潰したお粥程度なら食べられるようになります。離乳食も積極的に食べ、乳離れは人間に比べてかなり容易です。

 これは安定的に母乳が得られない事への適応です。

 母乳はあくまで自分の子のためのものであり、赤子を拾ったからといって出るものではありません。現代では粉ミルクなど代用品がありますが、古代にそんなものはありません。赤子を産んだばかりの母親が群れにいなければ、サキュバスの赤子は餓死してしまいます。そしてその母乳が何時止まるかも分かりません。このためサキュバスの子は母乳への依存が少ない、すぐになんでも食べられる身体へと進化したのです。

 場合によっては育ての親にカミングアウトされる事もあるでしょう。つまり自分達は本当の親ではないと。

 ですが多くのサキュバスは気にしません。血の繋がりよりも、彼女達は育ててくれた対象に親近感を抱きます。同時に、自分のような存在を可哀想とも思いません。そう思ってしまっては、将来子を捨てる事など出来なくなってしまいます。

 そうして成長すると、異性との積極的な関係を好むようになり、妊娠し、産んだ子を捨てるようになるのです。

 時代が進むほど、サキュバスの繁殖戦略は効率的になりました。人間社会が豊かになり、孤児や虐待児に対する福祉が充実し始めたのです。養子縁組などの制度が成立した現代では、最早子供を捨て置く必要すらありません。合法的に申請を出せば、サキュバスの子は人間の夫婦の下に届けられます。

 今やサキュバスの総個体数は四億人に達するとの試算もあます。これは全人類の女性のうち、一割がサキュバスという事です。我々は今や、公然とサキュバスを育んでいると言えるでしょう。








 これを聞いて、おぞましいと思った方は少なくないでしょう。

 ですがここまで話してきたように、繁殖戦略とは進化の結果です。人間が尊い訳でも、サキュバスが醜い訳でもありません。ただ子孫を残す、合理的な生存戦略を双方が突き詰めただけ。

 サキュバスの『子育て』は我々人間とは異なる。ただそれだけなのです。

 ……しかしこれだけ聞けば、サキュバスは人間にとって有害にしか思えないのもまた自然な反応です。

 方法の善悪を抜きに考えても、人間の収めた税金や制度がサキュバスの繁殖に使われているのは否定出来ません。ですがそれでも、サキュバスを排斥するのは人類にとって不利益と言わざるを得ないのです。

 何故ならサキュバスの能力があったからこそ、人類社会はここまで発展出来たのですから。

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