カノーネンフォーゲル eins
田鶴瑞穂
第1話 プロローグ
「ネボガトフ提督、何かご心配事でも?」
「ああ、ビリリョフ艦長。ちょっと5年前の事を思い出してね・・・。」
艦橋の窓から暗闇を見つめながら提督はぽつりと答えた。
「極東海戦の事ですか?あの敗戦は提督の責任ではありませんよ。」
「・・・いや、私も参謀の一人だったからねぇ。まったく責任が無いとは・・・。」
五年前、法皇国は極東のちっぽけな島国に聖戦を仕掛けた。神に守られている我が国が異教徒に苦戦するなど、当時は誰も思いもしなかった。事実、皇帝を排除し、法皇猊下が大神教法皇国を樹立して以来、わずか十年で東側諸国は神の教えの前に跪き、領土は帝国時代に比べて倍に拡大した。神の教えで世界を統べようと考える猊下は、更に東へと侵攻し、ついに極東に到達した。しかし、そこにある異教徒の国は、神の教えに従おうとはしなかった。猊下は正義の鉄槌を下すべく、世界第三位の兵力を誇る「神の艦隊」を派遣した。
僻地に住まう異教徒など、神の御力に守られた大艦隊を前にすれば、すぐに屈服するだろうと誰しもが思っていた。ところが、異教徒達は頑強に抗って善戦を続け、ついに我が国が「極東海戦」と呼ぶ互いの全海軍力をぶつけ合う大海戦が行われた。結果は我が方の惨敗。いや、惨敗という表現は的確では無い。まさに全滅だった。戦艦十四隻、巡洋艦十八隻、駆逐艦二十四隻、給炭艦、給油艦、輸送船、病院船等総勢百三十余隻の大艦隊が、国際条約で攻撃を禁止されている病院船を除く、その悉くが海の藻屑と消えた。どのような悪魔を味方に付けたのであろうか、戦艦六隻、装甲巡洋艦四隻、巡洋艦四隻、駆逐艦十二隻という我が方の半分にも満たない兵力で決戦に挑んできた異教徒側の被害はわずか駆逐艦三隻だったと言う。まさに一方的なパーフェクトゲームだったのだ。提督の脳裏には、五年前の惨劇がしっかりと焼き付けられていた。次々と命中する異教徒の砲弾。吹き上がる紅蓮の炎。飛び散る装甲。吹き飛ばされ、燃えてゆく水兵。まさに地獄の情景そのものだった。
それから五年、失った艦隊を再建するのは容易いことでは無く、ようやく戦艦二隻、巡洋艦二隻、駆逐艦四隻が建造された。提督が率いているのは、まさにこの虎の子の全艦艇だった。
「これから向かう共和国には、異教徒達のような戦艦、巡洋艦はありません。精々沿岸砲艦と駆逐艦、魚雷艇があるだけです。我が方の勝利は間違いありません。」
「君は五年前の海戦を経験していないのだね。異教徒どもは夜の闇に紛れて駆逐艦を接近させ、雷撃を加えてきたのだよ。それも何度も何度も。昼間の砲撃戦で傷ついた我が方の大型艦は、その攻撃が止めとなって次から次へと波間に没していった。今回も駆逐艦や魚雷艇による夜襲が行われるのではないかと気が気でないのだよ。」
「だから、夜明け後に港に着くよう日程を組まれたのですね。」
「そうだ。明るければ敵艦の姿を捉えるのは容易い。こちらの駆逐艦と巡洋艦の小口径砲で追い払うことができる。戦艦さえ被害が無ければ、大口径砲で湾港設備を破壊し、こちらの上陸戦を有利に進められる。」
提督の心配を余所に、艦隊は粛々と進み、数時間に迫った夜明けにあわせて作戦海域に到達する予定だった。
東方への進出が頓挫した大神教法皇国は、海軍兵力が無いこともあって、この五年間は西方へと進出を図ってきた。そして、ついに今年、神歴一二九九年二月二十四日、共和国に宣戦布告をしたのだった。艦隊による砲撃で南部の主要港湾都市オデルサの防御陣地を破壊した後、陸軍兵力を上陸させてこれを占領、橋頭堡を築く。それを合図に東の国境線を機甲師団が突破する。兵力の劣る共和国は、東と南に兵力を分割する余裕は無く、どちらか一方の戦線が崩壊するはずなので、そこから一気に全土攻略を行う寸法である。
共和国の海軍は貧弱である。沿岸砲艦三隻、駆逐艦八隻、魚雷艇二十六隻、これが総兵力である。艦長が言うように普通に考えれば我が方の圧勝に終わるはずだ。共和国側に勝機があるとすれば、夜陰に紛れて駆逐艦と魚雷艇による強襲しかない。そこで、夜間は遠洋を航行し、夜明けを待って湾港に接近、駆逐艦を使って敵の駆逐艦や魚雷艇を牽制しつつ、戦艦の大口径砲によるアウトレイジ戦法で沿岸砲台や陣地を破壊する。この作戦ならば艦隊の安全を図りつつ敵を撃破できる。心配することなど何も無いはずだった・・・。
やがて東の空がうっすらと赤みを帯びてきた。待ちに待った夜明けである。
「全艦北に進路を取れ!我が艦隊はこれよりオデルサの湾港砲台に対し、射撃体勢に入る!」
「了解!進路十一時の方向へ」
艦首が大きな波を蹴立てる。八隻の艦艇は一斉に十一時の方向へと進路を変えた。後三時間もあれば有効射程距離に入る。
「さぁ、いよいよだぞ。名誉挽回の機はきたれり!総員戦闘配置に付け!駆逐艦は二隻ずつ、艦隊の両舷に展開し敵駆逐艦に備えよ!」
まだ沿岸からは百kmは離れている。脚の短い魚雷艇はまだ襲来することはあるまい。警戒すべきは敵駆逐艦のみである・・・。確かに、従来の感覚ならば提督の判断は間違っていない。しかし、この十五年で世界は大きく変わりつつあった。そう、二次元的な兵力運用から三次元的な兵力運用へと!
突如、真上から天を引き裂くような音が、徐々に大きくなりながら近づいてきた。そして、まるで雷神のハンマーにぶん殴られたような衝撃が艦全体に走った。ほんの少し間を置いた後、眼下の第二砲塔が破裂したかのように吹き飛び、中から紅蓮の火柱が吹き上がった。耳を劈く大音響が響き渡り、艦橋にいる者は全員、爆風に吹き飛ばされ壁に叩き付けられた。そして、瀕死のネボガトフが最後に見たものは、まるで拳を振り上げるかの如く、戦艦ミカエルの艦首がゆっくりと天に向かって持ち上がっていく様だった。
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カノーネンフォーゲル eins 田鶴瑞穂 @tadumizuho
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