第2話

二人が出会ったのは、ちょうど一年前の梓の誕生日。

その日、この映画館の最後部席の真ん中に座った男性の、一つ開けた右側に梓が座った。平日でお互いに一人だった。

あの日の映画も、ラストシーンで主人公の女性が病気で亡くなってしまう話で、梓の目から涙が溢れて止まらなかった。梓は、慌ててバッグからハンカチを出そうと、がさごそと音を立ててバッグをかき回したが、ハンカチが見つからなかった。

「ない」

梓が、小声で呟いた。

それに気づいた男性が、背広のポケットからハンカチを取り出して、梓の前に差し出した。梓は驚いたが、顔がぐちゃぐちゃになるのは、場内が明るくなった時の事を考えると、凄く恥ずかしかった。暗がりで、男性の顔は良く見えなかったが、梓は軽く会釈すると、ハンカチを受け取って涙と鼻水を拭いた。借りたハンカチが、キレイかどうかは、この際気にしない事にした。

ハンカチは、ほんのりと梓の好きな香水の香りがした。

エンドロールが流れ始めたが、まだ涙は止まらず、梓はハンカチを握りしめていた。助演の男性は梓より大分若いが、色気があって演技に引き込まれる、梓が最近注目している男性だった。その映画は、その男性が出ていたので観に来た作品だった。途中の主演女優とのキスシーンは、演技と分かっていてもちょっと嫉妬した。

「上手すぎる」

と、その時梓はぼそっと呟いた。

それが聞こえた隣の男性は、ふふっと笑った。

映画が終わり、場内が明るくなると、男性は背広の内ポケットから黒いサングラスを取り出してかけた。

梓は、鼻水まで拭いてしまったハンカチをそのまま返すのも申し訳なく、戸惑っていた。

「返さなくていいですよ」

男性が、不意に声をかけてきた。

「えっ?」

梓が男性の顔を見上げると、男性は口角を上げて、優しく微笑んでいた。

「その代わりに、また僕と一緒に映画観てもらえませんか?」

男性が言った。

場内の客が立ち上がり、出口へと向かって動き始めた。

「えっと?私、結婚していて、子供もいて」

梓が、返事に困っていると、

「そっかあ。とりあえず、ここ出ないといけないので、ラインだけ交換してもらえますか?」

男性がポケットからスマホを取り出した。

梓も慌ててバッグからスマホを取り出した。

「ありがとう。あれっ、今日、誕生日なんですね。おめでとうございます」

男性が、サングラスを取って、梓の目を見て言った。

サングラスを取ったその顔は、今映画に出ていた助演の男優だった。

「一緒に出るとまずいから、先出てもらっていいですか?」

男性が優しく言った。

「はい」

梓は席を立って、振り向かずに出口に向かった。

それから二人は、月に一度、ここで束の間の夢の世界を楽しんでいる。

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