水色のハンカチーフ

@rui-turuta

章タイトル未設定

第1話

朝の爽やかな風が、桜の葉を優しく揺らしながら通り過ぎた。

黒いワンピースを着た宮沢梓は、映画館の前で立ち止まり、大きく息を吸い込んでゆっくり吐いた。首にはダイヤのネックレスが光っている。長めの髪をハーフアップに結んだ髪が、ふわりと風になびいていた。

今日は、年に一度の特別な日。梓の三十三歳の誕生日。

梓は夫や娘に内緒で、月に一度、映画を観る為に、平日に有給を取っていた。今日もいつものように、夫と娘を送り出してから、車を運転してここまで来た。

梓が映画館の入口から入ると、平日のせいか、中は数人のお客がいるだけだった。土日のような賑やかな子供の声もしない。梓は時々、休日にも小学生の娘にせがまれて、アニメを観に来ることがあった。

休みなのか、サボったのか、高校の制服を着た女の子達のおしゃべりが、わいわいとロビーに響いていた。

梓は時間を確認してチケットを買うと、売店に行き、

「キャラメルポップコーン一つとアイスコーヒーを2つブラックでお願いします」

と注文した。

座席は、何時も一番後ろの真ん中と決めていた。既に何時もの席は取られていたので、一つ空けた右隣にした。

会場時間が過ぎていた。売店で、梓はカードで支払うと、ポップコーンとアイスコーヒーを受け取って、急いで係員にチケットを見せた。

「4番でございます」

係員がチケットを確認して言った。

「ありがとう」

梓は、4番のシアターへ向かって歩いた。

座席の間の階段を登り、最後部まで行くと、真ん中にサングラスをかけた、二十代の背広姿の若い男性が座っていた。梓は、自分の座席番号を確認して男性の一つ飛ばした右側の席に座り、左側のホルダーにポップコーンとアイスコーヒーの乗ったトレーを置いた。

間もなく予告編が終わり、場内が暗くなった。

すると、徐に男性は中腰になって、梓の隣に席を移動してきた。

男性は、小さめの紺色の紙袋を梓に渡した。

梓は、にこっと笑って紙袋を受け取った。

男性は右手で梓の左手を取ると、左手の人差し指で、「おめでとう」

と書いて、梓の唇に優しくキスをした。

それから、右手で梓の左手を握ると指を絡ませた。梓は、男性の肩に頭を持たれかけた。梓が男性の顔を見上げると、男性は梓に向かって優しく微笑んでいた。

男性は、左手でアイスコーヒーを取り、もう一つのコーヒーのカップに自分のカップを当てて上に上げると、ストローを口に含み、ごくごくと飲んだ。

梓も右手でアイスコーヒーを取り、一口飲んだ。

二人は、時々ポップコーンをつまみながら、絡ませた指をゆっくりと滑らせていた。

映画がクライマックスに近づくと、梓の目から涙が溢れてこぼれ落ちた。劇場内のあちこちから、すすり泣きが聞こえてきた。

男性は、直ぐに背広の左側のポケットから水色のハンカチーフを取り出すと、梓の涙を拭った。

梓が、男性の顔を見上げると、男性の目にも涙が滲んでいた。

二人は、絡ませていた手をぎゅっと強く握りあった。

「今日も、素敵だったわ」

梓は、潤んだ目で男性を見つめると、男性の耳元で囁いた。

「ありがとう」

男性は、エンドロールが流れている中で、梓の耳元で囁くと、梓の唇にキスをした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る