僕は君を愛することはない、三〇歳になるまでは

uribou

第1話

「僕は君を愛することはない」

「は?」


 華やかな結婚式が終わり、慣れない疲れも心地良く。

 新居であるバートレット伯爵家の離邸にやって来て。

 さあ寝室で初めての夜ですねという瞬間に、夫となったクリフ様からこの宣言ですよ。

 目が点にもなろうというもの。


 所謂白い結婚なるものは、知識としては存じています。

 クリフ様、わたくしを気に入ってくださっていましたよね?

 わたくしの実家の家格が低いことは重々承知の上でしたし。

 身辺調査の結果でもクリフ様に愛人の影はないようでしたし。

 その他に白い結婚の理由になることというと……あっ!


「あの、失礼なことをお伺いして申し訳ありません」

「何だろう? 僕もカイリーには相当理不尽なことを言っているとの自覚がある。我が愛する妻カイリーの質問には誠心誠意答えよう」


 まあ、愛する妻と言ってくださるのですね。

 となると余計にわけがわかりませんが。


「クリフ様は同性愛者でいらっしゃるのですか?」

「違う! 僕はカイリーみたいな美しい女性が大好きだ! その上突拍子もないことを言っても取り乱さないことを知って惚れ直している!」

「お褒めいただきありがとう存じます」


 となると……。


「クリフ様は男性自身に自信がおありでない、ということですか?」

「違う! カイリーの悩ましい姿を見て抑えるのが大変なくらいだ! ああ、君は美しい!」

「お褒めいただきありがとう存じます」


 やっぱりわけがわかりませんね。

 でもクリフ様の顔は真剣です。

 あの情熱的な表情は、わたくしを愛しているという言葉に偽りがないことを示しています。

 またわたくしも二年近い婚約期間で、クリフ様の真面目なところはよくわかっているつもりです。


 お義父様お義母様も大変喜んでくださっていました。

 わざわざ離邸を建ててくださったくらいです。

 子作りに勤しめということに違いありませんよね?

 ではクリフ様独自の理由がある、ということに他なりませんが。


「愛する妻と言ってくださるのに、愛することはないという。その辺りの整合性がどうも……」

「ああ、すまない。正確には、僕が三〇歳になるまでは君を愛することはない、と言いたかったんだ」

「は?」


 謎の年齢制限。

 なおさらわからなくなりましたよ。


「実は魔道士の間に、魔法の神に願を懸けるという、口伝みたいなものがあってね」

「魔法の神様への願、ですか」


 クリフ様は宮廷魔道士ですから、そういうものにも詳しいのですね。


「三〇歳になるまで、その、女性とそういう行為をしないならば、偉大な魔法使いになれるかもしれないという……」


 何それ?

 何の根拠もない上に『かもしれない』レベルの話ですか。

 ある意味魔法の神様をバカにしているのではないかとも思える口伝ですけれど、宮廷魔道士の間では普通に流布されているのですかね?


「宮廷魔道士の皆さんは、三〇歳になるまで結婚しないのが普通だったりするのですか?」

「いや、そんなことはない」

「ですよね」


 どこの家でも結婚して跡継ぎを得よが至上命題ですものね。

 魔道士だって例外じゃないはず。


「いや、正直こんな言い伝えを本気にしているのは僕くらいのものだ」

「はあ」

「しかし本当かもしれないだろう? 僕は宮廷魔道士という職業に誇りを持っている。可能であればより上を目指したいのが男というものだ」

「御立派です」

「だろう? 僕だってつらいのだ。こんなに魅力的なカイリーがお預けだなんて」


 一刻も早く子供を、跡継ぎをというのが新婚貴族に求められることです。

 クリフ様もそれはもちろん十分わかっていて。

 自分の希望と世の常識の板挟みになってしまったのでしょう。

 だから悩めるクリフ様は、結婚後ギリギリのこんな時まで言い出せなかったのですね?


「どうだろう? カイリーには本当に申し訳ないが、僕の我が儘を聞き届けてもらえないだろうか? 無論親には僕から誤解のないよう説明する。カイリーを死ぬまで大事にすることを誓う」


 クリフ様は本気ですね。

 現実問題としてどうでしょう?

 クリフ様が三〇歳になった時、わたくしは二八歳ですか。

 ……子を得るのに致命的に遅い年齢というわけでもありませんね。


 わたくしも結婚で浮かれていたのか、クリフ様の苦悩に全然気付きませんでした。

 真面目なクリフ様は求道者みたいなところがおありのようです。

 夫の希望を叶えるのは妻の務めでもありますね。


「わかりました。クリフ様のよきように」

「ああ、カイリー! 君は最高だ!」


 思い切り抱きしめられました。

 十分幸せを感じますねえ。

 クリフ様とともにある喜びを感じられます。

 しかし……。


「わたくしの方からもお願いがあるのです」

「うむ。愛するカイリーの望みだ。僕にできる限り聞こうじゃないか」

「ありがとうございます。クリフ様でなければできないことです」

「何だろう?」

「クリフ様は宮廷魔道士という職業に誇りを持っていて、可能であればより上を目指したいと仰いました」

「確かに」

「であればわたくしもクリフ様の妻という立場に誇りを持ち、可能であればより上を目指したいと思います」

「殊勝な心掛けだと思う。具体的にはどういうことかな?」

「クリフ様のお身体をお貸しいただけないでしょうか?」

「は? 身体を貸す?」


 これだけではわからないかもしれませんね。


「聞きかじりではございますが、わたくし一応妻として閨でどう振る舞うべきか、勉強してまいりました」

「ほう」

「しかし一〇年後まで何も知らない乙女のままで過ごすのは、妻として怠慢だと思うのです。クリフ様のお身体で学ばせてもらえればと思います」

「ふむ?」

「失礼したします」


 互いの夜着をはだけさせ、唇と唇を接触させます。


「か、カイリー?」

「クリフ様、とても逞しいです」


 脈打つそれをあちこちで挟んでみたり、脇腹にキスしてみたり。

 ああ、ピクっとするのは感じていらっしゃるのでしょうか?


「少しは妻らしいことができるよう、頑張りますね」

「う、うむ」


 わたくしの胸をクリフ様の背中に押し当ててみたり、さらに上下してみたり。


「広い背中、素敵です」

「ああ、カイリー……」


 なるほど、囁くのも気持ちいいのですね?

 実際にやってみないとわからないことはあるものです。

 勉強になります。

 今度は正対して、もう一度キスします。


「クリフ様、お慕いしております」

「うおおおおおお! もう我慢できん!」

「えっ? きゃっ! あ……」


 あら、クリフ様に火がついてしまったようです。

 殿方の本能とはこういうものなのでしょうか。

 それともわたくしが愛されているから?

 でも魔法の神様への願はどうするのでしょうか?


「クリフ様、よろしいのですか?」

「すまん! 僕は魔法の神より愛する妻カイリーに誠実であるべきだった!」

「嬉しゅうございます」


 いいことなのではないでしょうか?

 偉大な魔道士への不確かな道よりも、わたくしもわたくしの実家もお義父様お義母様も納得する道を選んでくださったということは。


 クリフ様の辿る道が間違いだったなんて言わせません。

 わたくしがしっかり寄り添いますからね。

 熱い夜の始まりです


          ◇


 ――――――――――一〇年後。


 結局クリフ様が三〇歳になった時、三人の子供の父親になっていました。

 わたくしのお腹の中には四人目がいます。


「幸せだなあ」

「わたくしもですよ」

「初めての夜のことを覚えているかい?」

「もちろんですよ。私を愛さないだなんて、何を言い出すのかとビックリしました」

「悪かった。重々反省している」


 クリフ様に優しくハグされます。

 クリフ様は伯爵位を継ぎました。

 魔法の神様への願について、二度と口にすることはありませんでした。

 悔いがないわけではないと思うのですが……。


「……領主貴族の務めと魔道士としての研鑽は、両立しづらいものかもしれませんね」

「カイリーがそれを言うのか。君が魅力的過ぎるのがいけない」

「申し訳ありません。わたくしも夜の殿方がどういうものか、知らなかったものですから」

「刺激的とか官能的という言葉の真の意味を知ったな。あの初めての夜は」

「とても雄々しゅうございました」


 アハハウフフと笑い合います。

 平穏な日々は素敵。


「……二つほどカイリーに聞きたいことがあるなあ」

「何でしたでしょう?」

「いや、初めての夜の話が出たからな。あの時僕はかなり無茶な要求をしたと思っていたんだ。でもカイリーはさほど悩むでもなく了承してくれたろう? どうしてかなと思って」

「今更ですか」


 三〇歳になるまで愛さないというのは、確かに奇妙でしたが。


「……顔合わせの時からクリフ様は素敵な方だなあと思っていたのですよ」


 伯爵家の嫡男なのに、格下の男爵家の娘に過ぎないわたくしに気を使ってくださって。

 しかも婚約期間中ずっと態度も変わらず、穏やかに接してくださいました。

 宮廷魔道士なんて忙しい時もあったと思うのですが。

 全然そんな様子を表に出さず。

 信用できる人だと思いました。


「顔合わせか。いや、宮廷魔道士なんて出会いがないだろう? 気の利いた話題も持ってないのにカイリーみたいな美人さんが来ちゃって、どうしようかと内心焦っていたよ」

「まあ」


 クリフ様は今でもお優しいんですから。


「わたくしもなるべくクリフ様の希望には沿おうと考えたのです」

「ありがとう。やはりカイリーは最高だな」

「もう一つの質問は何でしょう?」

「まさに初めての夜のことだな。あの扇情的なテクニックは誰に教わったんだい?」

「ええと……それは内緒にしておいてと母が言っておりました」


 言っちゃいました。

 お母様、ごめんなさい。


「義母上だったのか。意外だな。慎み深い淑女だとばかり」

「母が淑女なのは間違いないですけれどもね」


 お茶目な人でもあるのです。

 『時には娼婦のように』が幸せの秘訣ですよ、と教えてくれました。


「あ、赤ちゃんが動きました」

「どれどれ?」


 大きくなったわたくしのお腹に、クリフ様が耳を当てます。

 そのクリフ様の頭を両腕で包みます。

 温かい家庭、これでいいのです。

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