第一章 女神の大祭
第1話 祝祭
さあ 時はきた 女神の子らよ
高らかに歌え いま祝祭のとき
帰っておいで 私たちの母なる街へ
いまがそう 遙かな旅路を終えて
帰っておいで 女神様の見守る街へ
いまが祝祭 待ちわびたこのとき
アーモンドの花咲くあの谷や
驢馬の休む懐かしい木陰
やさしい風に水面は輝き
老いた母は葦の葉を編む
帰っておいで 幾つもの街を過ぎて
女神様の見守る地 私たちのふるさとへ
そびえる市壁は誇りの証
女神の至宝 我らの都市よ
屋台に音楽 花に踊れ
我ら同胞さあ手を取って
帰っておいで 幾つもの丘を越えて
女神様の見守る地 私たちのダムキナへ
舞巫女たちの歌声が、遠くかすかに聞こえていた。
四年に一度の大祭を祝う、よく知られた民衆歌のひとつ。普段は故郷を離れている遍歴商人や職人たちが、この時はみな帰ってくるから、それを祝い待ちわびる歌だ。
シャン、シャン、とあかるい鈴の音が、歌声に混じって響いていた。手足に巻きつけた鈴を揺らして、巫女たちは美しい舞を披露しているだろう。色とりどりのヴェールをまとい、晴れやかな笑みを浮かべて。
そのたおやかな舞に街の人々は魅了され、子供たちはきらきらした瞳で見つめているだろう。
きっと。みんな、楽しそうに。
「つまんない~~~~~~」
ベルは頬を膨らませた。
とたんに、ごん、と頭上から拳が降ってくる。痛みを感じるほどの力では、もちろんなかったけれど。
至上巫女たるベルにこんな扱いをする人間は、この世に一人しかいない。
「うるせぇなこのガキ。さっきからうだうだと」
「エア~~~~~!」
頭を押さえ、ベルは不服そうに視線をあげる。
切れ長の茶色い瞳で、少年はベルを見おろしていた。剣士の象徴である長めの髪をひとつにくくり、華やかな装飾の施された青い短衣を着ている。剣の鞘にも彩色が施され、儀礼用の特別なものだとわかる。中の刃は、しっかり本物だけれど。
ダムキナでは数少ない、腕利きの剣士。
そして誰よりもベルを守るべき、”至上巫女の守護者”だ――これでも。
「だってつまんないんだもん! お祭りなのに遊べないし、儀式ばっかだし!! 白い服しか着れないしーっ!!」
「ってどんだけ手間かかってると思ってんだその服!?」
ごん、と再び拳が頭上に降ってくる。むむーっ、とベルは唇をとがらせた。
その胸元で、繊細に編まれたリボンの束が花のように揺れていた。まるく膨らみをもたせた袖に、ふんわりと幾重にもかさなるスカート。ふんだんに刺繍とレースがあしらわれた、華やかな生地で仕立ててある。巫女の証である長い長い髪も、お揃いの真っ白なリボンで飾られている。
織巫女たちが何日も何日もかけて、丁寧に可愛らしくしつらえてくれた衣装だと、もちろんベルも知っている。
だけど、何しろ、全部真っ白なのだ。
「だぁって花巫女も舞巫女もみーんなあんなにカラフルでかわいい服なのに! なんで私だけ!?」
「しょうがねえだろ、決まりなんだから! 大人しくしてろ!」
「決まり決まりって、そればっか! 私だってああいうの着たいのにーっ!!」
「ワガママばっか言うんじゃねぇ!!」
「あの、ふたりとも。外に聞こえてしまいますから……」
もうひとりの少年の声が、苦笑気味にふたりの間に割り込んだ。
が。
「エアのばかーっ!!」
「それが至上巫女の言いぐさか!? こんのクソガキが!!」
「エアこそそれが至上巫女に対する口の利き方なの!?」
「てめえなんざクソガキで充分だ! 敬って欲しけりゃもっと修行しろ!」
「くそエアがーっ!!」
どうやら、止まりそうにない。少年はあきらめて、さっさと防音の結界をその場に張った。
せまい、薄暗い空間だった。
ガラガラと絶え間ない振動とともに、回る車輪の音が響いていた。密閉されているわけではなかったが、その割れるような音のせいで外の物音は聞こえにくい。結界は、出ていく音を遮断しただけだ。耳を澄ませば騒音の向こうに、楽士たちの奏でる音も聞こえてはいる。
至上巫女の居場所としては、確かに快適とはいえない空間だ。少しでも居心地を良くしようと、神官たちが持ち込んだ色とりどりのクッションも、彼女の機嫌を上向かせるには役立たなかったらしい。
「ベルさま。お二方」
ふいに巫女の声が、上から彼らに呼びかけた。
「間もなく広場に到着いたします。儀礼のご準備を」
「……むーっ」
唇をとがらせてベルは唸る。むじゃねえだろ! とすかさずエアに叱られる。
ガラガラと回る車輪の音が、少しずつ間延びしはじめた。ベルの出番は正確には、広場に到着する手前、中央通りに入るところからだ。その地点が見えてきて、山車を引く牛たちがペースを落としたのだろう。
待ちかまえる人々の歓声が、ここにも届き始めていた。
それは嬉しいのだけれど、やっぱりふくれたまま、ベルはそっぽを向いている。
「ティアマトは、街巫女の虹のドレスが着たいのですよね」
ふわ、とその頭を、優しい手のひらが撫でてくれた。
ティアマト、というのは、ベルが生まれた時につけられた名前だ。本名といってもいいだろうか。
本当の名前で呼んでくれる人は、今ではこの世に一人しかいない。
「ラーム」
大きな黒曜石色の瞳で、ベルはもうひとりの少年を見上げる。
穏やかな青い瞳で、彼はベルを見返した。やわらかそうな黒髪に、華やかな貴石で彩られた青い長衣。手にした杖は魔法士の象徴だが、本当は彼はそんな小道具を必要としないことを、この街の人間ならみんなが知っている。
ダムキナ最強の魔法士と謳われる少年。
そして至上巫女の、もうひとりの守護者でもある。
「みんな貴女に会えるのを、とても楽しみにしていましたから」
膝をついて視線をあわせ、微笑みのとおりの優しい口調で、ラームは語りかける。
最強魔法士の称号は、一見彼には、不釣り合いに思えるようだ。
「きっとお母さまも、見守っていて下さいますよ」
「……うん」
ちいさな声でつぶやいて、こく、とベルはうなずいた。
ガラガラ回る車輪の音が、さらにゆっくりと、歩くような速度に間延びしていった。沿道の人々が送る歓声が、大分はっきりと聞こえている。
「ってなんでラーム相手だと素直なんだよ」
「だってエアみたいにいじわるじゃないもん! ばかじゃないもん!!」
「だれがバカだって!?」
「あの、ふたりとも……」
「相変わらずですな」
ラームの台詞を引き取るように、老人の声が降ってきた。上から――つまり、山車の舞台上から――厳めしい顔つきの老人が、中をのぞき込んでいた。
それが神殿トップの大物だったので、やや驚いてラームが呼びかける。
「大神官さま」
「さあ、出番ですよベルさま。おいでくだされ」
「はいっ」
相手が大神官とあっては、流石のベルも居住まいを正したようだ。細く急なはしごに手をかけ、慎重に上り始める。山車は緩やかに走行している。手を添える代わりに、ラームは軽く魔法で支えてやる。
「甘やかしすぎじゃねーの?」
「こんなところで事故が起きては大問題ですから」
ふたりがそう言い合っているうちに、ベルは山車の上に辿り着いた。顔を出すと、一気にまぶしい光が目の前にあふれる。
そして、歓声が。
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