第二話 虚を夢む 其の弍
…暑い。
真夏の太陽が、アスファルトの地面を焼き、灼熱の大地へと変えていた。
まあまあ体力のある楓子でも、この暑さは耐え難いものだ。
「あぢぃ〜」
鬱陶しい蝉の声が耳を劈く。楓子はこれだから夏は嫌いなのだ。
「早く帰りたい…でも歩きたくねぇぇ……」
一応雨が降ったらと思って持ってきた傘(本当は少しでも涼しくなることを期待していただけなのだが…)を杖のように突き立ててもたれ掛かりながら、生気のない声が喉からこぼれる。
まだ、校門を出てから五分も経っていない。
楓子の家は決して学校に近いわけではないが、そこまで遠くもないので、自転車ではなく歩きで通学しているのだ。
「詩乃はいいなぁ…自転車で帰れるんだもんなぁ…」
意味のない独り言が宙に浮く。楓子は辛いとすぐに愚痴る癖がある。
信号を渡ろうとした時、楓子は「またか…」といった様子で、信号機を見た。
信号機の柱に、ヘビのような幽霊が巻き付いている。
ヘビの赤い双眸はどこを向いているのかは分からないが、楓子はいつもこいつから視線を感じるのだ。ヘビの幽霊と睨み合うのは、もはや習慣化してきている。
横断歩道を渡り、民家に沿って舗道されている道路を重い足取りで歩く。
すると今度は、30センチくらいの大きさの、四肢の生えた丸い幽霊が、曲がり角から姿を現した。
「うっ…」
楓子は小さく唸り声をあげる。この丸っこい幽霊は街中に何匹かいて、いつも住宅街を周回しているのだ。
可愛いといえば可愛いが、何を考えているか分からなくて不気味なため、楓子は苦手だった。
まぁ、分かりやすい幽霊なんていたことはないが……
幽霊を無視して長い住宅街沿いの道路を歩いていくと、やがて木に隠れた鳥居がうっすらと見え始めた。
「ふぅ…えっとお賽銭お賽銭…」
鞄から財布を取り出しながら、参道を歩く。この神社は、鎮守杜が日差しを遮ってくれるので、かなり涼しくなっているのだ。
故に楓子は、夏場はこの神社に立ち寄って休むのが日課になってしまった。
だが、この神社が涼しい理由はもう一つあった。
それは、この神社には幽霊がいると言われているからである。
神社に幽霊とは訳がわからないが、何やら昔、ここの巫女をやっていた女性が突然死したらしい。しかもその死体の首には、指で掴んだ跡があったことから、怪異が化けて出ると言われ始めるようになったのだ。
「はぁぁ…涼しぃぃぃぃ……」
楓子は狛犬の像にもたれかかりながら、財布を口に運ぶ。
中の小銭がチャリンと音を鳴らした時、楓子ははっと正気に戻った。
「あっぶね…」
危うく水と間違えて財布の小銭を飲むところだった。夏の暑さで少々頭がやられてしまっている。まあ最近は暑熱恒久化で、年中真夏のようなものだが…
まずいまずい…と財布をポケットに戻すと、ふと、向かいにある手水舎の前に人の姿が見えた。
この神社で他の参拝客を見たのは、相当久しぶりだ。
ばっさり切られた金髪は手入れがされていないのか、規則性がなく乱れている。歳は楓子と同じくらいだろう。肩にかけている鞄を、ごそごそといじっている。
向こうを向いていてよく見えないが、少なくとも同じ学校の生徒ではなさそうだ。
同年代らしい金髪の女子なんて、見たことがなかった。そもそも楓子の学校の校則では、髪を染めるのは禁止されている。
しかし、楓子はそれとは別に彼女から何か不思議な雰囲気を感じていた。
存在感が薄いというより、まるで本当に存在していないかのように気配が無い。人ではなく、立ち木を見ているかのようだ。
だが、楓子ははっと我に帰り、自分の頬を叩いた。
何をやっているんだ私は。人のことをジトジトと眺めるなんて失礼極まりない。
楓子はそう自分を諭しながら、無理やり気を逸らすかのように鞄の中を漁り、[[rb:折りたたみ携帯 > フィーチャーフォン]]を眺めた。
携帯の時刻は17時57分を示していた。思ったより長居してしまったようだ。
いつもならまだその辺をぶらぶらしている時間だが、なんせ今日は楓子の推し、アーティストの「HIASOBI」が地上波の生放送に出るのだ。見逃すわけにはいかない。
「そろそろ帰るか…」
日差しも大分ましになってきたが、それでもいやらしい暑さは続いている。
「よっと…」
立ちあがろうと腰に力を入れたところで、楓子は目の前の現象を前に、目を見開いた。
「え……?」
金髪の女の子の足元を、何かが蠢いていた。
………影だ。
彼女から落ちている影が、ざわざわと蠢いている。
「……え…」
さらにあり得ないことが起きた。
その影は、[[rb:地面から離れ、空を移動しだしたのだ > ・・・・・・ ・・・・・・・・・・]]。
そいつには、目と思わしき二つの赤い点があった。幽霊と同じ、血の塊のような赤い眼が。
影は女の子の身体を回る様に昇っていき、女の子の上あたりに頭を据えた。楓子が警戒されているのか、その位置のまま動かず、じっと楓子の方を見ている。
楓子は直感的に、女の子から伸びているあの影が、幽霊たちと同じであると理解した。
だが、確信を持ちながらも、違和感を感じていた。
「ひっ……」
影と完全に目が合い、恐怖に声が漏れ出る。
今まで数々の幽霊を見てきたが、こんなことは初めてだ。圧倒的な恐怖。楓子はあの影から、他の幽霊とは明らかに異なる雰囲気を感じ取ったのだ。
現実を受け入れ難かった楓子は、見間違いであることに少しの希望をもって目を擦った。
………五秒ほどたって目を開けた。楓子は目を開けた瞬間、女の子の影は元に戻っていると信じたかったが、そんな希望は虚しく打ち破られた。
女の子の影の姿は禍々しい黄金色に変わり、真っ赤な目で変わらず楓子を凝視していた。それどころか、影の主である女の子も、怪訝そうに楓子を眺めていた。
彼女の眼の片方は白い眼帯で隠されているが、もう片方の眼は隠すのがもったいないほどに綺麗な赤だった。幽霊たちとはまた違う、奥行きのある透き通った赤。
更に、彼女の首元に白い勾玉が掛けられているのを見て、楓子は今すぐにでも逃げ出したい気分だった。
あんな[[rb:勾玉 > モノ]]を持っているということは、恐らくあの女の子はこの神社に住み着く亡霊なのだろう。そうに違いない。終わった。殺される。呪いとか祟りとかそういう感じのやつで殺される。
眼帯をした女の子は楓子に向かって歩いてきた。影の幽霊も、彼女についていくかのように近づいてきた。楓子は未だ動けずにいる。
眼帯の女の子は楓子の目の前まで来ていた。奥行きのある赤い双眸が、楓子を縛り付けている。
見ると、彼女はずいぶん整った顔立ちをしていた。薄い金髪は雑に切りそろえられているが、不思議と不潔感はない。そこまで高価ではなさそうな白のシャツは、襟が黄色のリボンで止められ、黒のスカートは小さくなびいている。
強いて欠点を挙げるとすれば、綺麗な目を、中二病っぽい眼帯で隠してしまっていることだ。
「あ…ぅ……」
悶絶している楓子の顔を、女の子はずいっと覗き込んだ。
もうだめだ終わった。楓子は完全に死を覚悟した。
だが、楓子が命惜しさに頭の中でお経を唱えだしたころに、眼帯をした女の子は口を開いた。
「つっきーが見えてるの?」
突然のことに、楓子は驚いて口をパクパクさせてしまった。
「は…?え……?ツッキー…?」
「私の影のことだよ。その反応からして、やっぱり君見えてるんでしょ?」
どうやら、彼女の影は「つっきー」という名前らしい。その壮大な雰囲気からは考えられないふんわりネームに、楓子は肝を抜かれた。
だが、そんな楓子に構いもせず、女の子はつづけた。
「私は[[rb:叶 > かなえ]]。[[rb:茨木 > いばらき]] 叶。あなたの名前は?」
「………椛本 楓子。あの、じろじろ見てたことはすみませんでした。だから……」
「フー子!いい名前だねぇ!今日から私達、友達ね!」
叶は楓子の話を無視して強引に握手した。
「え…友達…」
「そう、友達! 嫌だった?」
心配そうな顔で聞かれ、楓子は首をぶんぶんと振った。
「え? あ、いやそういうわけじゃなくて…」
その言葉を聞いて、叶はぱぁっと明るい顔になった。
「そ、そっか…よかったぁ…」
楓子は心底、かなりうれしかったのだ。今まで、友達と呼べる人など詩乃以外にいなかった。
友達なんていなくても変わらないと思いつつも、心のどこかで寂しいと思っていたのだ。
叶のはしゃぎっぷりと、さっきまでとのギャップで、楓子は噴き出した。
「え? そんなに面白かった? も、もうフー子ちゃん最高! これからよろしく!」
「うん、よろし…」
そう挨拶しようとしたとき、突然、叶の影である「つっきー」が、鎌のように変形した腕で、楓子に飛び掛かった。
「え…?」
「フー子ちゃん避けて!」
叶が勢いよく叫ぶ。狂気的な姿になったつっきーは、もう楓子の視界いっぱいにまで迫っていた。
一炊夢 冷原けんじ @nattogohan050
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。一炊夢の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます