全力ダッシュ
「全力ダッシュってさ、やるとどんな感じなの?」
とある日曜日のおやつ時、とおるさんはミルクティーの注がれたカップに口を付ける前に、ボクと黒崎さんに向けて訊ねてきた。
「すっごい息切れする」
「そう」
黒崎さんが答えると、途端にとおるさんは興味がなくなったような顔になって、カップの中のミルクティーを一息に呷る。黒崎さんも何事もなかったように、テーブルの上のマカロンを二個三個と口に運んでいき、もう話はこれで終わりって空気になっているけれど……ボクとしては終わりたくない。
「あの、とおるさん」
「なあに、めぐみちゃん」
「どうして急にそんなこと気になったんですか?」
とおるさんがそう訊ねてくるまで、ボクらは本日のお菓子であるマカロンについて、楽しく話していた。どんな味のマカロンが美味しいか、家で作れるものなのか、作れるなら今度作ってみないか、なんて。
それなのに、急にとおるさんの口から全力ダッシュなんて単語が出てきたのは何故なのか。
とおるさんからしたら馴染みのない単語ではないか。……いや、だからこそ気になることなのかもしれないけれど。
ボクの言葉に、そうねぇ、と言いながら頬に手を添えるとおるさん。少し首を傾げたのか、耳に飾られた金色の土星が小さく揺れた。
「昨日、寝る前にね、何となくテレビを観ていたら、どこかの国の雪山を駆け登る芸人さんが映っていたの。タンクトップと短パンで寒そうな格好をしてるなって思っていたら、テロップに全力ダッシュとか出ていたから、全力ダッシュしてるならあったかいのか。……雪山を、全力ダッシュ……全力ダッシュって、どんな感じなんだろうって思って、今日二人に会うからどこかのタイミングで訊こうかなって」
「あぁ、そうなんですね」
雪山を全力ダッシュ、しかもタンクトップと短パン姿で、なんて、身体張ってるな……。
「ちなみに、めぐみちゃんは全力ダッシュしたらどんな感じなの?」
「ボクですか? あんまりそんな機会ないですけど……鬼ごっこで足の速い子から逃げてる時とか、運動会のリレーの時とか、してたかな。やっぱり、終わった後はすっごい息切れしてたかもしれないです」
「そういうものか」
ありがとうね、と言ってとおるさんは、カップを置いてマカロンに手を伸ばす。これでもう全力ダッシュについての話題は終わりか。ボクもこれ以上気になることはない。とおるさんの手がマカロンを掴んで引っ込んだ後、ボクも一個マカロンを手に取った。
チョコにバニラ、リンゴにブドウ、オレンジにレモンと色々ある。ボクのお気に入りはオレンジかな、後味が一番良い。手に取ったのも当然オレンジ。
マカロンの味を堪能していると、黒崎さんが口を開いた。
「ねえさん」
「何?」
「俺は、ねえさんが言えば、いつでも全力ダッシュするから」
「……へえ」
「呼んでくれれば全力ダッシュでねえさんの元に行くし、言ってくれれば全力ダッシュで指定の場所に行く。必ずそうするから」
ボクに目を向けず、一心にとおるさんを見つめる黒崎さん。
とおるさんは口元に笑みを浮かべ、
「その言葉、嘘にしないでよ」
なんて、ほんのり低めた声で言う。黒崎さんは力強く頷いていた。
とおるさんの目は、よく分からない。笑っていないのは確かで、じゃあどういう感情がそこにあるのか、とかは、ボクには読み取れそうになかった。しばらく黒崎さんを見ていたかと思えば、ついっとその視線をカップへと向けて、
「おびと、私のカップ空っぽなの」
と普段と変わらない声音で口にした。黒崎さんは無言でとおるさんのカップを手に取り、立ち上がっておかわりを作りにキッチンへ。
「……めぐみちゃん」
「は、はい」
「オレンジ、美味しい? そればっかり食べているよね」
「すみません、美味しくてつい」
「ごめんね、咎めたわけじゃなくて、気に入ってくれたなら嬉しいなって。次からその味、多めに用意しておくわね」
「あ、ありがとうございます」
それっきり、全力ダッシュという単語が出てくることはなく、おやつがマカロンの日は、オレンジの味のマカロンがたくさん用意されるようになった。
次の更新予定
2024年11月29日 19:01
お茶会で会いましょう 黒本聖南 @black_book
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。お茶会で会いましょうの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます