空っぽ女は青い記憶を見るか?

倉住霜秋

第1話

何でも買えるような時代になったことは、素晴らしいことだが、人の記憶にも値段がつく世界というのは、少し不健全な感じだ。

問題になったのは身売りの変化で、今までは体を売っていた若い人間は、記憶を切り売りするようになる。


昔は、体を売ることで心を傷つける若者が多かったが、今ではその心ごと失ってしまう若者が増えている。

まったく人間は発展した技術ほど、賢い存在じゃないのかもしれない。


ある一人の男は、記憶の売買を取り扱うリサイクルショップを営んでいた。

記憶の売買は、普通なら政府公認の許可書と専門の知識がいるのだが、この男はそんなものを持ち合わせていない。

夜の店が多く立ち並ぶ街で、上手いこと商いをやっている。

歌に関する記憶を高く買い取ることから、その街で男は【カナリヤ】と呼ばれていた。


その日は、以前記憶を売った男が自分の記憶を買い戻しに来ていた。


「いやぁ、まだ残っててよかったよ。

にしても、ちと高すぎやしねぇか」


「政府公認の店は、もっとするぞ。

これでも、知り合いのよしみで良心的な価格にしてやってるんだ」


カナリヤは男から現金を受け取って、金庫の中に入れる。


「そうかい。そりゃありがとさん。」


「お前らみたいなやつらだと、見られるとやばい記憶も結構あるだろ。そんなやつらが記憶を売買できる場所があるだけでもありがたく思え」


「へいへい、水やってる俺達から、あんたの存在はありがたいよ」


「お前の記憶は質がいい」


大事にしろよと言って、カナリヤはお釣りを男に手渡す。

そらどうもと男は無愛想に受け取る。


「そういえば、近いうち若い女がここに来るかもしれない」


「教えたのか?」


「いい子だから安心しな。

金に困っているみたいでな。助けてやってくれ」


「うちは便利屋じゃないんだぞ」


「でも、お前はいいやつだ」と笑い、男は店を出ていく。

カナリヤは一人でため息をついた。


この街は日を当たって生きていけないやつらの街だ。

夜に咲く花も世の中にはある。

それが、カナリヤがこの街に来て学んだことだった。


記憶は売る度に質が下がっていく。

記憶をコピーすることは違法だったが、カナリヤの商売はコピー品を安く販売することで利益を得ていた。


質のいい記憶というのは細部までしっかりと情景が残っており、それは記憶というより経験に近いものだ。

だから、【成功の記憶】や【恋愛の記憶】などは特に価値が高い。

しかし、価値が高い記憶を失うと、自分を形成するバックバーンを失い、空っぽになってしまう。

そして、笑ったり楽しく話すことが出来なくなり、泣くことすら忘れてしまう。

そうなった人間は体が動かなくなり、最後は死んでしまう。


だから、若い人間が記憶を売るのはカナリヤは好きじゃない。

若い人間は、その記憶の価値というのを大抵理解していない。

一時的な利益のために、かけがえのないものを失った人間は、その後の人生でろくな方向に進まない。


いままで、色々な奴らを見てきた。

女遊びをするために初恋の記憶を売ったやつ、殺人犯の記憶を片っ端から買っているやつ、アスペルガー症候群になった老人が病気で消えるぐらいなら売ってやろうとしていたこともあった。


可哀想なことに、記憶をどうこうしたいと思うやつの記憶は安い。

そんなこと考えるようなやつが他人がほしい記憶を持っていることは稀だ。


記憶を買い戻した男が話していた若い女はその数日後に来店した。


「記憶を買い取ってくれるのはここ?」


若い女はどうやら水商売をしているらしい。

この街にはよくいる風貌の女だった。

目元は深い隈が刻まれていて、少し不健康そうだ。


「そうだが、あんた何歳だ?」


「18」


カナリアはため息をついて、手を払う。


「帰んな。ガキ相手に、記憶の売買はしないって決めてるんだ。

こんなでも、プライドってものがあるんでね」


そうなのねと言って女は、客用の席に座る。


「おいおい、帰んな。

気取ったって、なにも取引はしないぞ」


「そう。なら、話だけでも聞いてちょうだい」


そうして、女は勝手に自分の生い立ちの話をした。

カナリヤは少女を聞き耳だけ立てて、機材の整備や清掃を行った。


内容は家庭内暴力、親の離婚、いじめ、兄弟の自殺。

その手の話はこの街に溢れかえっているが、女はルサンチマンの話という風に湿って話すのではなく、まるで他人事かのように乾いた話し方をしていた。


しかし、そんなことに同情していたら、この街では足元を救われてしまう。

カナリヤは冷たく女を見ていた。


「それで、あんたの身の上話はわかったが、だからってどうしてほしいんだ?」


「記憶を買ってほしいの」


「ダメだ、そんな泣き落としで騙せるほど、大人はしみったれてないんだ」


「なら、人助けだと思って助けてほしいの。

私、その記憶のせいで眠れないの」


女の目には涙が溜まっていた。

しかし、カナリヤはむしろその嘘臭い演技に吐き気がしていた。


「頼むから帰ってくれ、あんたみたいなやつは、腐るほど見てきた。

そして、関わってよかったことなんて一度も無かった。

もし、本当に売ってほしいなら、俺のメリットを提示しな」


「殺人」とだけ、女は呟いた。


「殺しか?」


「ええ。

実の父親を拷問して殺した記憶なんて、どう?」


女の声は掠れて、湿っていた。


「なるほどな。殺人の記憶は高く売れる」


「それが実の父親なら、なおさら希少性があるんじゃない?」


カナリヤは黙って考えた。


確かにこういった記憶は、悪趣味なマニアに高く売れる。

実の親を殺した記憶で、しかも拷問までしたという記憶。

それが本当なら、高値が付くのは確実だ。


「わかった。だが、問題は質だ。

あんたの記憶を見せてもらってから、交渉するか判断する。」


いいな?と言って、カナリアは一杯の水を女に出す。


「ええ、もちろん」


女はありがとうと言って頭を下げる。


その後、女の記憶を見たカナリアは驚く。

そこには、椅子に縛り付けられて、爪を剥がれ男が、薄い皮膚だけを何度もカッターで切り刻れている女視点の記憶。

そして、最後には父親のアキレス腱を切り、逆さに吊るして水槽に頭を入れて、水を少しずつ入れていく。

その間も父親が暴れると腕や足など致命傷にならないように包丁を突き刺す。

そして、顔が水に浸ると、必死に逃げようとする父親の頭を水に押さえつける女。


素晴らしい記憶だった。

これは高値で売れるそう思った。

そして、同時に目の前の女が恐ろしかった。

普通、人間はこんな風に人を殺すことはできない。


「なぁ、あんた父親にどんな恨みがあった?」


「それは取り引きと関係あるの?」


「ある」


「あいつは母さんを売って、私も傷物にしてからこの街に捨てた男なの」


「なるほどな」


「それで、私の記憶はどうだった?」


「ああ、最高に悪趣味だったよ」


「それって褒め言葉?」


「俺のなかでは最上級の褒め言葉だね」


そうと女はさほど興味がなさそうに返事をした。


「それで、私の記憶はいくらになりそう?」


カナリアは電卓を叩いて、自分の経験上でこの記憶がどのくらいの金額で売れるかを計算し、そこから雑費を引いて、取り分を女に見せる。


「こんなにいいの?」と女は驚く。


「ああ、もちろんだ。

あんたが若いからって、ふんだくったりはしない、客になった時点で、舐めた取り引きはしない。

それが俺がこの仕事に対するプライドだ。」


「もっと安いって聞いたから、この値段は逆に不安だわ」


「正規のとこだとこれの十分の一ってとこだな。いや、そもそもこんな記憶は売れない」


「あなた、いい人なのね」


「いいや、あんたの記憶がいいからだ。

その報酬は正当な対価だよ」


「ありがとう」


「あんたその金はなにに使うんだ?」


「生活費」


「そうか」


女はその日、それで帰っていった。

カナリアは女の記憶の加工に取りかかった。


その後、女の記憶はカナリアの予想通り、高値で取り引きされた。

特に、この街で成功したセレブ達の女どもに人気があった。

どこまでも成功しようと、幼少期の記憶に取り憑かれているやつらが、札束をおいて買っていった。

虚しい街。


若い女は、再び店に来た。

記憶を売ったすぐのことだ。

しかし、カナリヤは女だとはすぐに気がつかなかった。


高校の制服を着て、整えられた黒髪。

まるで別人だった。


「カナリアさん、私の恋愛の記憶を買ってほしいの」


「いいや、前回は殺人の記憶だったから買ったが、そういう記憶は買わないことにしてるんだ」


「この記憶があると、私は死ぬの」


「どういうことだ?」


「この汚い街で生きていくには、この記憶は綺麗すぎるの」


「それはよかったじゃないか。

綺麗なもののを抱いて生きていける」


「違うの。体を汚す度に、この記憶が私を刺すの。それが痛くて辛いの」


「それがこの街で生きていくことだ」


「それに、この記憶は音楽の記憶なの」


「音楽?」


「そう。中学の頃、好きな子と二人っきりで、合唱の練習をした記憶」


「それは甘酸っぱいや。

そんな大事な記憶を売るんじゃない」


「どうせ死ぬなら、これも金銭に変えたいの。

だって、もう無理だから……」


そうかとカナリアは言った。

きっと、この記憶を手放すために既によく考えたのだろう。

何もかもを捨てて前に進もうとする女か。

きっと、これまでも色々なものを捨ててきたんだろう。


「わかった、買うよ」


カナリアは自分の甘さが心底嫌になった。


「優しいのね」


女はそういうと、えずき出して泣いた。

きっと、それほど彼女にとって大事な記憶なのだろう。


その記憶はあまりにもこの街には綺麗すぎた。

二人っきりの教室で、ピアノを弾く端正な顔立ちの男子生徒。

女は指揮者なのに、意中の相手と二人っきりという空間に緊張して、手が震えている。

教室には、夕日が差して二人を照らしている。

そんな記憶。


「これはいい記憶だが、高い記憶じゃない。

二束三文の値にしかならないぞ?」


「それでもいいの」


カナリアが電卓を弾いて、女の取り分を計算して見せると、女は静かに頷いた。


女は静かに泣いていた。

そして、カナリアから報酬を受け取って店を出た。


その記憶をカナリアは売らなかった。

再び買い戻しに来ると思ったからだ。


しかし、女は来なかった。

それから来たのは、若い女の話をした男だった。


「やっぱりあんただったら、あの子の記憶を見たら取り引きすると思ってたよ」


「俺も自分の甘さが嫌になるよ」


「いいや、優しいのさあんたは」


「あの子はそれから?」


「死んだよ」


一瞬、カナリアは頭が真っ白になった。

けど、一瞬だけだった。


「そうか」


「あの子は幸せだったよ」


「どうしてだ」


「ちゃんと世の中を恨んで死ねたんだ」


「そうか」とカナリアが言うと、ため息を吐いた。

男はテーブルに封筒と手紙を置いた。


「あの子から最後にカナリアに託してほしいって渡されたんだ」


カナリアはなにも言わず、机に置かれた封筒を開けてみる。

そこには、手紙と小さなオルゴールと女に渡した記憶の対価が手をつけられずに、入っていた。


『カナリアさんへ


お手を煩わせてしまい申し訳ありません。

優しいあなたにお願いしたいことがあります。

どうか私の記憶で見た男の子のもとへ、

このオルゴールとお金を届けてほしいのです。

あの人はいま怪我をして、生活に困窮しているとしていると聞きます。

私の全てを彼に託したいのです。

どうか優しいあなたなら必ず届けてくれると信じてます。』


最後には、男子生徒の住所と思われる場所が記載されていた。


「あの子は、店でも人気だったんだが、病気になり、売りもんにならなくなって、店からも捨てられたんだ」


「それで、最後にこれか」


「カナリアには嫌な役割をやらせちまったな」


カナリアは封筒から手紙を抜いて、代わりに女の恋愛の記憶が入ったチップを入れた。

オルゴールはその男子生徒と共に演奏していた曲の音が刻まれていた。


「すまなかったな」


「いや、いい」


ここは夜の街だ。

誰が死のうと、誰が生きようとカナリアには関係ない。

ただ大切な記憶の売買をするだけだ。


「代わりと言っちゃなんだが、近々ここにガサ入れが入るって噂だ。

あんたも荷物をまとめて出てったほうがいい」



「そりゃどうも」

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