溜息に溺れる

 タイツの中のかじかむ足先を真綾がテーブルの下で持て余しているのが分かる。今朝はそんなに寒くないのだけど、真綾は季節の割に薄着だから寒いのも無理ない。曰く「おしゃれは我慢だよ」らしいが、そんな風に震えかけていてはおしゃれしていても台無しではないか。それとも、そうしていると彼氏が抱き締めてくれるのだろうか。

 真綾とふたりで暮らしている一室は手狭だが所持品の少ない私はさして不便しなかった。部屋に溢れているのは真綾のものばかりで、その中には数多の貰い物も見受けられた。前の彼氏から貰ったハンドバッグ。その前の彼氏から貰った腕時計。真綾は物持ちが良い、私と違って。双子の姉妹でもこんなにも似ないものだ。

「今日も寒いね」

 真綾は、はあとコーヒーの湯気を吹きながら言う。ちらと外を見やって、そうだね、と返した。窓越しに見た外は太陽が出てじりじり照り返しが強そうだ。今日は年末にしては比較的暖かい。夏のようにアスファルトが陽炎立ちそうなのに、真綾は薄手のブラウスの上から腕を擦ってもう一度「寒いねぇ」と言った。

「彩綾はどこか出かけないの?」

「出ないよ。行くとこないし」

「一緒に来る?」

 くす、と真綾が自分の唇を薄く触る。紅に塗られた唇は優雅に弧を描いている。一瞬それに見惚れてから私は、小さく首を横に振る。妹のデートについていく姉がどこにいるものか。

「なぁんだ、残念」

 真綾は彼氏の前では飲まないブラックコーヒーをちびちび飲んでいる。ふわふわ立った湯気が鼻先を湿らせているのだろう、少し赤らんでいた。それが愛らしくて口の内側だけで小さく笑う。

「そうだ、彩綾、煙草いる?」

 がさ、とテーブルの上に置かれていたビニール袋から、知らない銘柄の煙草が出てきた。真綾を見た。煙草なんて吸うのか。その視線に気が付いた真綾は華麗にウインクをして

「付き合いだよ」

 と言う。どんな付き合いなのだろう。大した量は吸っていない、という意味なのだろうが、純粋に健康が心配だ。私は手と首を同時に否定の意として振っては、真綾がその煙草を「そっかぁ。どうしよ、これ好みじゃないんだよね」と言いながら袋の中に持て余すのを見ている。私は胸がどきどきしているのを落ち着かせようと静かに呼吸を繰り返した。

「でも、良かった。引かれるかと思った」

 真綾はふにゃと微笑む、花が咲くように可憐に。鼓動を変に捩じらせながら私は

「真綾のことで今更引くなんてないよ」

 と平静を装う。真綾は嬉しそうに目を細めた。ピンクブラウンのアイシャドウで大きく魅せられたくりっとした瞳。そのまま照れ隠しみたいに耳に触れる。そこにはシンプルなゴールドのピアスがひとつ棲んでいた。私とお揃いのピアスだった。つられてなんとなく触ってみる。

「彩綾だけだよ、あたしを分かってくれるの……」

 真綾は柔らかく魅惑的に笑う。きっとそうやって数々の男を虜にしてきたのだろう。頬杖をつく陶器のような手。白い指に映える深い紺色の爪。男受けするピンクベージュよりもこういう色の方が真綾は好きだと言う。私が似合うと言ったから。真綾は私に呪われてくれた。それだけで私は嬉しかった。

 真綾には陰が無い。無影灯で照らされるように明るく輝いて、一瞬の曇りも陰りも無い。否、許されていないだけかもしれない。真綾に陰り無い煌めきを求めているうちのひとりは間違いなく私だ。

 そんな真綾のことが私は好きだった。姉としての感情を乗り越えて、ひとりの人間として、真綾の彼氏たちのように、否それ以上に、真綾のことが好きだった。恐ろしくてそんなことは到底伝えられていないけれど。だって、姉妹の絆に傷をつけることになりかねない。私は臆病だ。

 でも、私が真綾をそういう風に好きだともし知ったら、真綾はなんと言うだろうか。喜ぶだろうか、悲しむだろうか、軽蔑するだろうか。それとも私の心情を完璧に受け取らず「知ってるよ」と笑うだけだろうか。きっとそうだろう。不思議だ。私達はふたりでひとつなのに、どうして想いが届かないのだろう。ううん、分かってる。そんなの、私が言わないからだ。分かってる。

「やば、電車きちゃう」

 がたりと真綾は立ち上がる。テーブルの上には、紅い唇の形がぼんやり残ったコーヒーカップだけが残されている。私も立ち上がって玄関に向かった。真綾は一生懸命ハイヒールに足を突っ込んでいる。靴擦れした部分に半透明の絆創膏を貼っていることを知っているのは私だけだろう。なんぴとたりとも真綾の靴やストッキングを脱がさないとは限らないけれど。

「行ってきます」

 可憐に笑って背を向けた真綾から、ふわ、と香水が香った。真綾がお気に入りのフローラルに、私がお気に入りの梨のシングルノートを重ねた香り。真綾の匂いだ。ああ、遠ざかっていく姿。

 結局また言えなかったな。手を振るのをやめる。私は、ひとりになる部屋で今日も溜息に溺れるのだろう。

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