セーラー服は仏さま

雨宮雨彦

セーラー服は仏さま


 それは奇妙な光景だった。

 年老いた僧が、通学カバンを持った中学生の少女に、うやうやしく話しかけているのだ。

「お久しゅうございます。わしが仏門を志したのは、あの日あの寺でお目にかかったのがきっかけでございました」

 朝の通学路。

 駅も近く、人通りのある雑踏の中の出来事だ。

 人目もはばからず手を合わせ、僧は少女に深く頭を下げたが、娘はこともなげに答えるのだ。

「それは、お前が饅頭を盗みに忍び込んできた時のことか?」

「おっしゃって下さいますな。仏様の供え物を盗むなど、我ながらなんという悪さか。その罪深さに、今も深く恥じ入っております」

「気にするな。あれは私が与えたも同じだ。私は笑っていたのだぞ。腹をすかせた小さな子供に、誰が盗みをとがめだてしよう」

「恐れ入ります」

「しかしお前、どうして私の正体に気がついた? ここは学校も近い。この姿なら目立たぬと考えたのだが」

「信号機でございます。あなたが近づくと、すぐにどの赤信号も、うやうやしく青に変わる。駅からここまで、あなたは一度も立ち止まる必要がなかった」

「その代わり、まわりの運転者たちが目を白黒させておる。信号が赤から青へと、まるで猫の目のようにくるくる変わるのだから」

「菩薩様には、信号機でさえ敬意を表するのです」

「野良猫たちの話では、私の像は先ほど、あるトラックに積み込まれたそうだ」

「おお、それはよい知らせでございますな。そのトラックがもうすぐこの交差点を通るので?」

「その通り」

「思えば長い年月でした。10年になりますか。寺に泥棒が入り、あなたのお姿を彫った仏像を罰当たりにも盗み出した。警察は捜査をしたが、犯人はようとして知れず、もちろん仏像の行方も不明でした」

「賊から仏像を買い取ったのは、ある男だった」

「ご存知でしたので?」

「身寄りのない孤独な老人で、寺で私を見かけたおり、死んだ娘の面影を見つけ、そばに置きたくなった。それで賊に金をやり、盗み出させた」

「なんと罰当たりな」

「どうせ老い先短い者だ。ほんの数年、その老人の屋敷に飾られても、どうということはない。だが数週間前、老人はとうとう死んだ」

「はい」

「賊はまた動き始めた。主のいない屋敷から像を持ち出し、また誰かに売りつける魂胆だ。だから私は、屋敷の見張りを野良猫たちに依頼したのだよ」

「とうとうその返事があったのですな」

「像を積んだトラックが、間もなくこの交差点を通過するのさ」

「どうやって取り戻すおつもりで?」

「あの交差点に差し掛かった瞬間、法力でタイヤをパンクさせる。後は黙って見ているが良い」

「はい」

 その後に起こったことは、本当に娘の言うとおりだった。

 大型トラックが突然現われ、交差点を横切るかと思えたが、僧の目前で大きな音を立て、タイヤがパンクしたのだ。

 ハンドルを切ることができなくなり、トラックは暴走した。

 そして道端の電柱に突っ込み、ようやく停止したのだ。

 運転手はサッと車外に飛び出し、けが人はない。

 誰かが通報し、パトカーのサイレンが聞こえるには2分とかからなかった。

 だがサイレンを耳にするなり、運転手がすぐさま姿を消したのが奇妙だ。

 僧は娘を振り返った。

「この後はどうなりますので?」

「すまぬがお前、たまたま通りかかったふりをして、トラックの積荷が盗難品であると警官に教えてやってくれまいか。そうすれば像は、すぐに元の寺へ届けられよう」

「承知いたしました」

 手を合わせ、僧はもう一度うやうやしく頭を下げた。

 だが頭を上げたときには、もう娘の姿はどこにもなかったのだ。

 しかし修行僧はともかく、俗世間の凡人には仏法など縁遠い。

 僧の話など、警官はてんで信じなかったのだ。

「なあ坊さん、通りかかったあんたが、なぜトラックの積荷のことまで知ってるんだね?」

 と疑い深い。

「やれやれ、なんと説明すればいいのかな」

「賊の共犯として、あんたを逮捕することもできるんだぜ」

「弱ったな…」

 異変が起こったのはこの時だ。

 何の前触れもなく、トラックの車体が突然大きく傾いたのだ。

 電柱に衝突し、そもそも不安定ではあった。

「若いお巡りさんや、危ないぞ」

 僧に肩を押され、警官はすんでのところで難を逃れた。

 トラックが横倒しになったのは、数秒前まで警官が立っていた場所だ。

 あのままあそこにいたらと、考えるだに恐ろしい。

 だが警官とは逆に、僧は上機嫌なのだ。

「おやお巡りさん、倒れたおかげで、トラックの車体に穴が開いたぞ。中身が見えておる。ほら、まぎれもなく仏像だね」

 あっけに取られている警官をしりめに、僧は歩き始めた。

 もはや警官には、発する言葉すらない。

 僧は満足していた。

 与えられた使命はこれで果たした。

 もちろんそれは、タイミングよくトラックを横倒しにした菩薩の助けあってのこと。

 警官から見えないところまで行くと立ち止まり、合掌して菩薩に感謝することを僧は忘れなかった。


(合掌)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

セーラー服は仏さま 雨宮雨彦 @rain

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ