たなべ

 はらはらと紅葉の落ちるのを見て、何やら興が乗ったので、その辺りに散らばっていた紅葉も集めて、持っていた燐寸に火をつけ、燃やしてみた。枯木林の中であった。最初、実に小さく可愛らしかった燃え種子は、暫しそのままであったが、徐々にその大きさを増し、そしてあえなく消えていった。一分だったか二分だったかそのくらいのものであった。燃え種子の跡が黒く、地面を焦がしていた。

 帰ってこのことを妻に話した。すると妻は「そんなことするものじゃありません」と私を諭した。ただ、大変穏やかな顔をしていた。夕餉の刻になった。今日は妻が珍しく「縁側で食べましょう」というので夕凍みの中、烏の遠く鳴くのを陰影の籠った顔で、食べた。案外、これも悪くないと思った。焼き魚の焦げ目が、昼の紅葉を思い興させた。黒は味もするらしい。

 日は暮れ、低い声で鳴く鳥が増えてきた。縁側で「レモン哀歌」を沁みていた私は風呂に入ろうと思った。風呂場に行くと、湯船は空であった。普段なら妻に「風呂を沸かしてくれ」とでも言うだろうが、今日はその気にはなれなかった。私は着衣のまま風呂場へ入ると、流れるように空の湯船に入った。暫くそのままでいると「なあんだ、これでもいいじゃないか」と思えた。いつも妻に薪を焚かせ、風呂を沸かすのは難儀に思えた。

 湯船には蝿がいた。死にかけなのかてくてく湯船の壁を登っては、落っこち、登っては落っこちていた。私はその様子を何ということもなく眺めていた。落っこちる、また落っこちる。熱水を投入したら死んだだろうか、この蝿は。そのことを鑑みた時、死は恣意的なのかも知れないと考えたが、すぐ取り消した。落っこちる、また落っこちる。湯船の外に何があると言うのか。「おい」との私の呼び掛けも何処吹く風。蝿は登り降りを繰り返す。一刻、二刻と過ぎていくが蝿はその間、一度も試みを止めなかった。私は実に殊勝と思った。

 風呂を出て妻に「今日は湯を張らないでくれ」と言った。「何故ですか」と妻は不審気であったが、私が「如何しても」というと、何か得心のいったような顔になって、黙って皿洗いを続けた。多分、妻は微笑んでいたと思う。

 翌日、私はふと思い出して風呂場へ行き、湯船を覗いてみた。しかしそこに蝿の姿はなく、あっけらかんとしていた。

 この日はいつも通り、「湯を張ってくれ」と言った。湯船に浸かって、やはり湯船は湯があった方がいいと思った。私はこのことを日記に書いた。

 「湯船に必要なのは蝿か、湯か。その問いも虚しく、やはり湯であった。」

 この日、妻が重い癌だと分かった。

 

 一年が経った頃、いつものように湯に浸かっていると、蝿の死骸の水面に浮かんでいるのが見つかった。それはもう醜く、真っ黒であった。私は直ぐ水を掬い上げて、死骸を捨ててごみと一緒に燃やしてしまった。打ち捨てられた死骸は、空っぽだった。

 翌日、妻が死んだ。粗末な病室のベッドで死んだ。その時、私は仕事中だった。報せを受けて飛んでいくと、眠っている妻の姿が見えた。思わず医者に「妻の容体は如何ですか」と訊いてしまったほど安らかな顔だった。それを見て安心した。

 この日の夜も日記を書いた。

 「妻の命の絶えたのを見た。命とはこれほど呆気なく終わりを迎えるのだと、私は意外であった。一年前のあの日の蝿は妻を暗示していたのかも知れない。」

 妻が死んで以来、私は一度も燃やしていない。それが成長なのか退化なのかは分かり切った話である。



<了>

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たなべ @tauma_2004

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