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隣家 脱稿して

 103110字。私がこの話に費やした文字数である。正直、企画段階では5万から7.5万字を想定していたので可成り膨らんでしまった。特に「事実」と題された話は単話で2.5万字超と、際立って多くなっている。ただこれには理由があって、いや大した理由ではないのだが、物語のグラデーション上のものである。私は急激な変化をなるだけ避け、出来る限り自然な流れで話を展開させるよう努めた。それは伝わっているかはさて置き、随所に認められている。これは一種のこだわりであるが、どんな異世界ファンタジーにも現実感はつきものである。現実感のないもの、極端に言えば「3が走る」などの情報を現実に落とし込む(ここでは写像と呼ぶ)のは些か無理がある。例えば、巷に溢れる転生もので、死に至るべき斬撃を喰らっているのに、そいつがピンピンしていては、読んでいるこちらとしては興醒めも興醒めである。そういう不死身だと言う設定があったとしてもだ。
 私の話は私の考えをもろに反映したものと結果的にはなってしまった。当初はそういう予定はなく、ただ自分の書きたい事を書けばいいではないかという心持で、書き連ねていたのだが、次第に抑えられない自我が台頭してきてしまった。これは反省せねばならない。特に、私は「死生観」という込み入った話題に踏み込んだ。この話は、最後まで読むとこの死生観がメインに思えてしまうかもしれない。ただこれは演出の一つであり、この話の本来の主題は恋愛であった。Yさんと主人公、私の恋愛の集大成としてのあの行動なのであり、この話は、はなから「生と死」を主題にしていたわけではない。ただ解釈の一つとして読者に対し、生と死とは何かを考えさせるよい起爆剤として作用して貰えたなら、思いの外であるが、まあ嬉しいものである。この話では全体に私の考えが散りばめられている。取るに足らないものばかりだが、例えば、「箱庭」にて夫の語った内容は私が直に思って考えていたものである。「林檎酒」なんかにも私の考えが拙いながらも記述してある。細やかにそれら全てを解説してしまいたいが、自分が書いた文章に自分が評論するのは独占市場みたいでいやなので控えることとする。ただ、読者の解釈が宙を舞いそうな或る一箇所だけここで確認しておきたい。しかしながら、用心して欲しいのが、これが正解なのかは分からないと言う事である。言葉(抽象)が文字(具体)に写像される時、何が起こるのか私には見当が付かない。その為これから記す内容はあくまで考え方一つという風に捉えていただきたい。さて、取り組むべき課題は最終話「桜桃の味」にある「朝」と題された詩である。純粋に詩というか歌詞なのだが、詩と捉えても差し支えない。以下全文である。

 滅亡前夜の不思議な幸福感
 追い求めた先にあなたがいた
 森の奥で燃えるもの
 見つめた先にあなたがいた

 心の切っ先鋭く冴えた背徳感
 もがく私とあなたがいた
 水平線に潜るもの
 飛び込んだのはあなただった

 この世界で誰より優しいあなたは
 一体誰を信じればいいのだろう

 トパアズ色のあなた 琥珀色の私
 似たり寄ったり神様も
 多分見紛うでしょうね
 なあなあでいきましょうよ 地球星人、私
 踏んだり蹴ったり皆様が
 普段取り扱うようにね

 まず、第一連。「滅亡前夜の不思議な幸福感」とある。これは実は私が生み出したものではない。この一文は我が敬愛する、太宰治先生の後期作「薄明」にて語られたものである。引用すると、「謂わば滅亡前夜の、あの不思議な幽かな幸福感であったかもしれない」である。何故これをここに持ってきたのか、これは仮主題が前述の通り、「生と死」だからである。滅亡、つまり死の、前夜、前は、私が本文で述べた通り、死ねる時死ねる、これが一番安心なのであり、唯一自分勝手に行動できる瞬間なのである。自分勝手に行動できるというのは、幸福なのではないか、これが私の考えである。しかし、死は必ずしも幸福と言えない。幸福とは言えない死を前にして何故か幸福と感じてしまう。これが、「不思議な」と繋がっている。そしてこれは作中二人の心情を精緻に描いた言葉である。
 「森の奥で燃えるもの」これも私ではない。これは私の文学人生の原点を創出なさった、小川洋子先生による著作、「刺繍する少女」所収の同名小説、「森の奥で燃えるもの」を元としている。この小説の内容は是非一読していただきたいのだが、本話とは一切関係ない。「ぜんまい腺」を取り除かれた人たちを収容する施設に入れられた主人公は、森の奥で燃えるものを見る。その燃やされるものとは、あの「ぜんまい腺」であった。これを静謐かつ耽美に描き切った今作は小川先生の傑作と言えよう。是非一読願いたい。さて、何故私がこの文言を採用したのか。これは難しい質問で、理論的には答えようもない。単純な話、語感が良いと思ったのである。それに、補足なのだが、第一話にて同様の表現が出てくる。主人公がYさんの玄関先で佇んでいると、扉の奥から幽かにピアノの鳴る音が聴こえる。それを、主人公は「森の奥で燃えるもの」を見た気がした、と表現したのだ。情熱的な演奏は炎を、森閑とした周囲は森を髣髴とさせた。それに森の中でピアノがぽつんとあって、密やかにピアノの音が聞こえてくる情景は実に詩美といった情を引き興すのではなかろうか。私はこうしたことを綜合して、今表現を使わせて頂いた。
 第二連は分かりやすい。背徳感は夫がいながら他の男性と密会を続ける主人公の心情を、「飛び込んだのはあなただった」はあなただけが死んでしまったと言うことを率直に表現している。
 第三連も特に解説は不要だろう。あなたがYさんを示すとすれば、この言葉は主人公から見たYさんを素直な気持ちで純朴に述べている。
 第四連、これは歌で言えば、サビにあたるわけだが、この前半はいいだろう。トパアズ色と琥珀色は似ている。それを自分たちだと言って、私たちは似たもの同士でしたね、と語っている。問題があるとすれば後半部分であろうか。これは基本的には、主人公の今後を示している。今後というか、今後の方針を示している。自らを「地球星人」と称し(「地球星人」という言葉も村田沙耶香氏の著作、「地球星人」を引用している)、客観的存在にして、自分は他と変わらないんですよとの感情を露わにする。その後に、皆様という単語が出てくるが、これは世間の皆様という意味である。「皆様」は私を自殺未遂者として腫れ物と扱うかもしれない、また、何かへまをして軽蔑されるかもしれない。そんな「踏んだり蹴ったり」する皆様と同じように、「なあなあでいきましょ」と主人公は言っている。つまり、あなた方が踏んだり蹴ったりするのなら、私もそんな風にしてやりましょう、そう生きましょうということである。この考え方は主人公のそれまでにおいてなかったもので、大きな経験をしたことで考え方に大きく変化が生じたことを示している。
 全体を通して隣家はどうであっただろうか。一番私が気にしているのは、誰かを傷つけるような表現をしてしまったか否かというところである。ただここで宣言しておきたいのが、そうした所謂、「言葉の暴力」は私の意図したところではなく、あなたを傷つける意図は何処にもないということである。しかし、それでも意図せず傷つけるような表現になってしまったこと、言葉を不適切に使用してしまったことをここで陳謝したい。

1件のコメント

  • まず初めに、作品を無事に完結されたことおめでとうございます。そして、お疲れ様でした。かなりボリュームのある作品で、最後まで書き切るにはかなり体力的にも精神的にも大変だったかと思います。
     主題として「恋愛」があり、副題として「生と死」ということで、浅い恋愛小説で終わることなく、最後まで飽きずに緊張感を持って読み終える事ができました。ところどころで哲学的な問いかけもあったことも、読者自身に考えさせるきっかけを作っていたと思います。重厚な内容も含まれているにもかかわらず、読後感は爽やかでスッキリとした印象でした。個人的にはモヤモヤした終わり方よりも、今回のような希望の持てる終わり方の方が好みなので、その辺が印象の良かった理由かもしれません。
     また、作者によって選ばれた言葉は作中で独特の世界観を作り、効果的に使われていたように思います。日本人特有の花鳥風月を愛でる心、伝統や風習を背景とした美意識が結晶化されたような日本語を使って、作者ならではの独創的な作風に仕上げていたと思います。
     これからまた作品を読ませていただく機会があれば嬉しいです。
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