第22話【第五章】

【第五章】


 なんだか気を失ってばかりだが、取り敢えず僕の脳は無事再起動を果たした。

 揺れている、ということは何らか乗り物――そうだな、やや大型の乗用車の振動を受けている感じ。


「あっ、大丈夫ですか、先輩!」

「あ、ああ、絵梨さん……」

「あたしが分かりますか? あたしたちがあなたを発見した時の記憶は?」


 僕は指の関節あたりで眼を擦り、ぱちぱちと数回瞬きをする。


「その前に訊きたいんだけどさ」

「はい? なんでも仰ってください、先輩!」

「僕ってもしかして、絵梨さんに膝枕してもらってる……?」

「はい! 大変よくお眠りでしたので、すぐにお声がけできるようにと」


 僕はゆっくりと半身を起こした。ここは後部座席で、運転は谷木が担当しているらしい。


「それじゃあ、耕助に合わせる顔がないな……」

「あれ? 先輩目が覚めたんですか? 俺に会わせる顔がないって、どういう意味です?」


 谷木がそう尋ねてくるが、僕は言葉を紡ぐのに大変苦労した。それはそうだろう、恋人と呼べる大切な女性が、自分以外の男に膝を貸しているのだから。

 僕は慎重に花宮から距離を取り、話題を捻じ曲げることにした。


「ところで耕助くん、足は大丈夫か?」

「ええ、鎮痛剤を打ちましたんで。しばらくは松葉杖が必要だと医者に言われました」

「そうか、大変だな」

「でも、それ見合う収穫はありましたよ。ねえ? 大川嶺子・警備室長?」

「ふむ……って、え?」


 な、何だって? ここに、というか車内に室長がいるのか? 僕は慌てて周囲を見渡し、やっとのことで助手席に誰かが座っていることに気づいた。


「うわっ!」

「嫌ねえ、凪人くん。人を見かけてすぐに『うわっ!』っていうのは止めなさい。失礼よ」


 僕は咄嗟に武器になるようなものを探したが、そう都合よく転がっているものではない。

 逆に室長の態度は大らかで、むしろいつもより朗らかな印象さえ受ける。もし手錠をされていなければ、の話だが。


「どうして連れてきたんだ? 気絶させて放っておけば――」

「そこはビジネスっすよ、先輩。室長をとっ捕まえておいた方が、有益な情報が手に入ると思って」

「そうなのか……?」


 嘘をつかれたらどうするつもりなのか? 僕がそれを考え始めると、室長は言った。


「今更嘘なんてついてどうするのよ。あたいなんか下っ端だからねえ、あげられる情報は微々たるもんよ。あの組織に戻る気もないし、戻ったところで敵前逃亡の罪を背負うことになるし」

「この車、あの研究所の裏手の駐車場からかっぱらってきたけど、敵に追跡される可能性は? 発信機か何かついてないのか?」

「ないない! それはまずないわ。全ての研究員や警備員、戦闘員はこの種の『探求』というものに憧れを抱いている。だから忠誠を誓っているの。あたいはその例外で、外部から雇われた傭兵部隊。そんな末端の人間の車、今の交通事情を考えれば、発信機なしでも簡単に捕捉できちゃうし」


 つまり僕が気絶している間に、室長は研究とやらに愛想を尽かし、こちらに寝返ったということか。そして自分の車を逃走用に使えと指示したのだろう。


「で、これからどうします、先輩?」


 ハンドルを緩やかに切りながら、谷木は苛立ちの籠った声音で問いを投げた。

 カーナビを参照すると、研究所と水族館は意外なほど近くに立地していた。

 見慣れた街路のネオンを眺めながら、僕は考えた。そう、こういう時なのだ、頭を使うタイミングというのは。

 しかし、今の僕たちには決定的に欠けているカードがある。


「……ジュリはどこへ行った?」

「あっ、ジュリちゃん、ですか?」


 はっとした様子で、花宮が口に手を遣った。


「絵梨さん、君なら知ってるんじゃないか?」

「私が……?」

「ちょっ、先輩! 絵梨に無理強いしないでください!」


 乱入してきた谷木に、僕は言い返す。


「誰にでも訊いていることなんだ。教えてくれ」


 下手な刑事ドラマみたいになっている。だが、僕の言葉に偽りはない。

 僕は飽くまでもゆっくりと、両手を花宮の肩に載せた。ふるふると全身を震わせる花宮。


「……」


 流石に度が過ぎたか。僕は自分の手を引っ込めて、花宮に非礼を詫びた。

 しかし、彼女の口から出てきた言葉は、予想だにしないものだった。


「……貯水タンク……。あの研究所の地下施設には、機能維持のために二つ目の貯水タンクがあるんです。あたしと耕助くんが連れ込まれた時、見ました。さっきの凪人先輩のお話を聞くまで、見間違いかと思ってたんですけど……」

「見間違い?」


 何を見たんだ? 花宮がこくり、と頷いてくれたので、先を促すことにする。


「細い糸です。ほら、クラゲってもの凄く種類が豊富でしょう? あたしたちが見ていたジュリちゃんは、ベニクラゲと人間の間で姿を変えていましたけど、もし別なクラゲ――それこそ、触手の長いエチゼンクラゲとか――、そういった生物のデータを自分自身の変化に応用できるとしたら……」

「そうやって得た触手や毒針で、あの広い研究室にいた連中を殺傷した、と?」

「その可能性は、捨てきれないと思います」


 そう言い切った花宮。その瞳には、今まで見たことがないような義務感、使命感のようなものがあった。

 しかしながら、僕は彼女の仮説が外れてくれることを祈らずにはいられなかった。

 もしこれが事実なら――。


「今に大量虐殺がはじまるわね」


 室長がそう呟いた。妙に喉が渇いていたのは、決して室長だけのことではあるまい。


         ※


 ひとまず、僕たちは近所で一番大きなスーパーマーケットに駐車した。少なくとも、こんな火薬やら血液やらがこびりついた格好では、出歩くのにさえ苦労する。

 一応、あまり血を浴びていなかった谷木と花宮が、大雑把に衣類を調達することになった。


 僕と室長は、流石に全身を洗わなければならないくらいに汚れている。しかし当然、この格好で銭湯に行くのはいくらなんでも無理がある。やむを得ず、僕たちはこの街の『裏側』へ。

 簡単に言えば、怪しいブツの受け渡し場所としてよく使われる治安の悪いエリアだ。地元の人間は、まず入ってみようとは思わない。


「あ、そうそう。凪人くん、拳銃を使ったことは?」

「あるわけがないでしょう、ただの水族館の警備員ですよ?」

「じゃあ、これを貸すわ。ポケットに入れて、ずっとトリガーを握ってなさい。そうすれば誰も近づいてこないから。あ、ちゃんとセーフティかかってるから、安心してね」


 僕が拳銃を所持し、先鋒を務める。後方は室長が担当。手錠は外してやった。いざという時に戦ってもらわなければどうしようもない。


 もちろん、こんな場所で、そしてこんな気持ちで湯に浸かりたくはなかった。が、一般大衆に隠れながら行うのが自分たちの任務であり、存在そのものでもある。

 ……こんな中二病じみたことを考えていなければ、生きていけない。僕は本当に、心の奥底からそう思った。


 入れたのは少し広めのシャワールームで浴槽はなかったが、贅沢を言ってはいられない。

 自分自身に降りかかってきた鮮血と火薬を洗い流し、次の戦闘に備える。

 まさか『実戦』と呼ばれるものに自分が馳せ参ずることになるとは……。

 そんな弱音をも洗い流すべく、僕は思いっきり冷水を頭から被った。


 まだ案が出たわけではないが、どうにかしてジュリに追いつき、人類に対する攻撃性があるかどうかを確かめなければならない。


         ※


 ジュリ、お前はいったい、どこにいるんだ?

 僕の脳裏をよぎるのは、ジュリと過ごした日々のこと。

 彼女が池ヶ崎水族館にやってきたのは、なんと僕が生まれる以前のことだという。


 その頃、つまり僕と両親が幸福に暮らしている時分から、僕はよくクラゲコーナーに通っていた。しかしそこに宇宙人が混じっているとは……。子供の僕でも思いつかなかった。

 結局、この土地に残ったのは、心が砂漠化した僕だけだ。両親は存命とはいえ、最早ATMと化している。

 だからこそ信じられなかった。こんな出会いがあるとは。ジュリが僕に、これほどまでの潤いを与えてくれていたとは。


 この気持ちが恋なのか、それとも愛なのか。僕には全く判別がつかない。

 判別などつかなくていい。今この瞬間、ジュリが無事でいてくれるなら、それで。


         ※


「あっ、室長!」


 花宮がぴょこぴょこ跳びはねながら、スーパーマーケットの一角に向けて手を振っている。思い出から解放された僕は、ぶるぶると頭を震わせて顔を上げた。

 なにやら室長が、非合法的な手段で乗用車を確保したらしい。


「行こうぜ、絵梨。先輩も急いで!」


 言われなくともそうするよ。

 胸中でそう呟いてから、僕は後輩二人の後を追った。

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海月な彼女と浮遊感に漂う僕 岩井喬 @i1g37310

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