第21話
※
決着は、まさかの相討ちだった。
大川室長の左肘は、真っ直ぐに谷木の右足の裏を捉えた。それは、谷木が室長の左肘を捉えた、とも言える。互いの力は拮抗し、同時に相手の力を活かして骨や神経、筋肉までをも断絶させていった。
「ぐあっ!」
「うぐっ!」
右足の膝あたりに手を伸ばす谷木と、左肩から先の部分を慌てて押さえ、庇う室長。
二人の右足と左肩は、激痛に悲鳴を上げているに違いない。僕のいるところまで、尋常ならざる破砕音が聞こえてきたのだから。それでも谷木は顔を上げて、叫んだ。
「凪人先輩、行け! ジュリを助けに行くんだ、早く!!」
彼の鬼のような形相に、僕は完全に怯んでしまった。
「凪人先輩! 耕助くんもああ言っています! 二人のことはあたしに任せて、早くジュリちゃんのところに行ってあげてください!」
「で、でも!」
「先輩が出ていったら、すぐにスライドドアを封鎖します! 時間稼ぎにはなりますから!」
時間稼ぎと言われても、その間に僕は何をすべきなのだろう。目的ははっきりとしていない。にもかかわらず、花宮は僕に協力しようとしてくれている。
もしかしたら、花宮は谷木と同じ時間を過ごすことで、恋愛感情を抱いたのだろう。それは傍から見れば分かる。
そんな彼女が僕に助言をくれたとなれば、きっと僕も、ジュリに恋愛感情とやらを持ち合わせているのかもしれない。
途端に自分の頬が赤くなるのが分かる。――そうか、やっぱり僕は、ジュリのことが好きなんだ。
振り返ると、気絶した谷木の首に手を掛けようとする室長の姿があった。
「やめろよ、てめぇ!!」
僕は、注意力散漫な室長に向かって吠えた。室長は慌てて振り返ったが、今度は僕が蹴りつける番だ。
「耕助から離れろ!!」
そう叫びながら、僕は香港映画の真似をして回し蹴りを繰り出した。
自然なフットワークに、軽めの高さ。
何をどう勉強すればなど知ったことではなかったが、僕の爪先は見事に室長の側頭部を直撃した。
これ以上は、何も迷うことなどなかった。廊下に出た僕は振り返り、きちんとドアが閉まるのを確認した。そして洗面台の前を通過し、そこにいた警備員に跳び膝蹴りを見舞う。
相手が死ぬことはない、という条件が、逆に僕を普通にしていた。
しかしそもそも、僕はこんなに運動ができるはずがなかったのだ。僕の身体にいったい何が起こったのだろう?
ええい、考えるのは止めだ、止め! どれほど難解な数式を解こうとしても、手を止めてしまっては永遠に答えは出ない。僕はご免だ、そんなことは。
せめて動きながら、同時に考えを纏めたい。まあ、そんなことができればの話だが。
※
それから間もなく、僕は機動隊に遭遇した。廊下の向こう側から、透明な盾を構えて突進してくる。数は三。
「どけっ! どけよ!」
そう言いながら、僕は自ら機動隊に真っ直ぐ突っ込んでいく。しかし、ここで白兵戦に付き合うつもりはなかった。
僕は足を踏ん張って、天井ギリギリまで跳躍。慌てて盾を真上に向けた機動隊員の、まさにその盾をガァン、と踏みつけ、それを足場にして再度跳躍。そのままやり過ごした。
「なるほど」
機動隊が出てきたということは、この建物は元々警視庁のものだったのか。それを、防衛省が部分的に拝借している、と。
犬猿の仲だった二つの治安維持組織が、互いに協力する。きっとそれは、二者が互いに欲するものを手に入れたからだ。大古に飛来した地球外生物、そのうち現在まで生きながらえてきた最初の一体。
もし兵器転用可能となれば、欲しがらない方がどうかしている。
「さて、と」
しばらくしてから、僕は来た道を振り返った。あちらこちらで呻き声が上がり、盾やら警棒やら鍬やら何やらが転がっている。恐らく死者は出ていないはずだが、今はジュリの救出が最優先だ。
僕は再び駆け出した。異様に軽くなった身体と、不思議なくらい伸縮してくれる筋肉。これだけあれば十分だ。
※
それからめっきり妨害勢力の姿は見えなくなった。理由は明らかでないにせよ、今の僕を極力無傷でとっ捕まえる。それが難しいということを理解したのか。
だったら、ジュリを餌にしておびき寄せた方が楽だと気づいたのかもしれない。
時折崩落している天井があったが、重要な施設だと言うならすぐに補修されるはずだ。多少暴れても問題ないだろうということ。
対して、ジュリが人質にされていても、今の僕なら素早く解放することができる。
「待ってろよ、ジュリ……!」
と、言いながら、僕は決定的な失敗に気づいた。
ジュリがどこに連れて行かれたのかが分からない。
僕は床面をシューズで滑るようにして急停止。
振り返れば、誰もいない廊下が続くだけ。
今から戻って大川室長に尋ねるのはきっと不可能だし、ジュリの名を呼びながらそこいら中を歩き回るのも危険な気がする。どうしたらいい?
その時、僕のうなじあたりに軽い痛みが走った。
何なんだ? 僕がゆっくりと腕を回し、触れてみると、何らかの細いケーブルのようなものがうなじと手先をくすぐった。
慎重に引っ張ってみる。するとそれは、薄い橙色に輝く蜘蛛の糸のようなものだった。
「なんだ、これ……? うわっ」
糸を掴んでいた僕の指先に、再び軽い痛みが走った。まるで、蚊に刺されるのをじっと見つめているかのような感覚。
だが今回は蚊とは違う。うなじに痛みが走った瞬間、得体のしれない『何か』が送り込まれた。『力』のようなものが脳に注入されたのだ。
これが何なのか、考えている余裕はない。それに、ジュリを救出すれば分かるかもしれない。
僕は軽く上半身を下げ、自分の太腿を叩いた。いつの間にか、頭の中でこの建物の構造図が『見えている』。
やっぱりこの糸のせいなのかもしれないな。
「あともう二階下りて左折、正面の扉か……。よし」
僕は再び、いや、先ほど以上の速さで廊下を駆け出した。
※
三段飛ばしで階段を駆け下りた僕は、向かって左側の廊下へと身体を回転させる。
キュルッ、とシューズが鳴って、僕はわざと肩から壁に衝突する。こうした方が身体の向きを変えるのにタイムラグが少なくて済む。
ふっ、と短く息をついて、再度爆走。すぐに突き当りが目に入った。ドアがある。
あのドアの向こうに、ジュリがいる。ここまで来たんだ、誰にも邪魔をさせるわけにはいかない。
と思った矢先、想定外の事態が発生した。正面のドアが勝手に開き、白衣姿の老若男女が駆け出してきたのだ。その顔にはべったりと恐怖の色が粘りつき、皆が皆、揃ってわけの分からないことを喚いている。
僕は一人の男性の肩を掴み、ぐいっと半回転させて問いかけた。
「おい、何があった? あのドアの向こうはどうなってるんだ?」
「どけ、どけぇ! もうあんな生物を押さえ込むには――ぁ」
男性が何かを言いかけて、止めた。いや、止めさせられた。
理由は単純で、彼の頭と胴体が切断されたからだ。
「ッ!」
流石にこれには、僕もぞっとした。肝が冷える、とはこのことか。
慌ててバックステップしたので、男性を支えるどころではなかった。ばちゃり、と遺体が倒れ込み、断面から噴き出した鮮血が僕を真っ赤に染める。
僕が呆然としていると、ドアの向こうの室内で動きがあった。自分の頬が引き攣るのを感じつつ、僕はゆっくりとしゃがみ込む。
武器、武器が必要だ。そっと手を伸ばすと、指先に何かが触れた。警棒だ。
素早く目を遣り、手に取ってまた視線を戻す。そして、僕は『それ』と目が合った。
「……ジュリ?」
(あ、凪人?)
僕は恐る恐る、しかし強烈な好奇心に駆られて、破壊されたドアからその部屋に踏み込んだ。
狭い部屋だと思っていたが、それは勘違いだった。高校の体育館を三、四棟合わせたほどの広大な空間。天井も高く、壁面は何らかの金属でコーティングされている。床面は血液やら臓物やらで、実際に何色だったのか、全く分からない。
それに対し、明らかに分かる事実がある。ここで大量殺戮が発生したということだ。そしておそらくは、その主犯も。
この期に及んで、僕はようやく結論に至った。
「……こんなところに来るんじゃなかった……」
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