第20話
※
「彼らは無事なんですね? まさか、怪我をさせてはいないでしょうね?」
僕はすぐさま立ち上がり、ダン、と両手でデスクを叩いた。無意識ではあるが、きっと威嚇行動を取ろうとしたのだと思う。
気づいた時、大川室長と和田医師は背中が壁に着くほど引き下がっていて、僕と二人の間にはボディガードが割り込んできていた。真っ黒なグラサン、スーツ、黒靴。肩幅の広さが異常だ。職業病というものか。
その瞬間のことを解析するには、僕の脳の容量では随分時間がかかりそうだった。
でも、もしかしたら――。
室長の驚きようが、僕の予想が当たっていることを物語っていた。僕がこんな唐突に、暴力的な言動を取るとは思わなかったのだろう。
しかし、次の言葉がなかった。それこそが、和田医師に反撃のチャンスを与えた。
「落ち着いてくれ、凪人くん。我々は殺人者ではない、研究者なんだ。誰かを殺傷する意図は全くないんだよ」
でもそんなこと、結果を迎えてからでなければ分からないじゃないか。
実験を続ける限り、死傷者を出したり、罪のない動物たちや自然環境に悪影響を及ぼしたりする。
「いったいどの口が言えると思ってるんだ、人殺し! 大量殺戮者! お前なんか大した成果も出せず、人のことを好きにもなれずに、一人寂しく死んでいくんだ!!」
「ちょっと、それは言い過ぎよ、凪人くん!」
室長のその言葉に、僕はどうにか自分を制した。代わりに『畜生!』と思いっきり悪態をつかせてもらったが。
僕はぐっと正面から顔を逸らし、しかし直立不動の姿勢で立ち塞がる。まるで、自分の背後に負傷したジュリがいて、そんな彼女を外敵から守ろうとするかのようだ。
「少し話を戻しましょうか、凪人くん。人間二人、つまり谷木くん、花宮さんのことだけれど、二人の健康状態はちゃんとモニターしてるから、安心して頂戴。人間二人は今も熟睡中。あなたと一緒で寝かされてる。まだ起きる気配はないようね。でも、自然に目を覚ますのを待たないと、後遺症が残る可能性がある。だからこの施設内で騒ぐのは禁止ね」
「ジュリは?」
僕がそう尋ねると同時に、室長が肘で医師を小突いた。
「……は?」
「ジュリはどうしてるんです、ドクター? 彼女も無事なんでしょうね?」
医師の背後で肩を竦める室長。僅かに視線を飛ばしたところからすると、医師に対応を任せようとしているらしい。
そんな思惑(あるいは僕の勘)もあったのか、医師は腕を組んで語り出した。
「君たち、彼女にスポーツドリンクを飲ませたね? あれは的確な判断だった。しかし喉が渇いていなくても、汗として身体の水分は失われていく。要はタイミングの問題だったんだよ。もっとこまめに、ジュリさんに水分を与えていれば……」
「手遅れ、ってことですか」
「いや、そうとも言い切れん。彼女は自らの存在維持のため、他の生物の特質を模倣する。現在は一部の昆虫の特性模倣によって、身体に必要な水分を限界まで引き下げている。素晴らしい……失敬、凄まじい順応性だよ」
つまり、どうなんだ? 今ジュリは無事なのか? ジリジリさせやがって、答えになってないだろうが。
こうなったら、自分の目で確かめるしかない。
僕は初速に注意しつつ、スライドドアに向かって走り出した。こちらを押さえようとするボディガードの腕を全力で回避し、身を屈めたままドアにタックルを見舞う。
しかし、四回目のタックルを仕掛けようとしたところで、両腕をボディガードに掴まれた。
「放せ! 放せ畜生!」
滅茶苦茶に両手両足を振り回す。――はずだったのだが、その前に何かが僕の後頭部を直撃し、僕は呆気なく気を失った。
ああ、きっと手刀だろうな。上手いところに当ててくるものだ。やはりプロには敵わないのか。
僕は自分にしか聞こえないボリュームで、もう一度呟いた。
「……畜生」
※
今回の昏睡は、長くはなかったようだ。僕が寝かされているのは、この施設で初めて僕が目覚めた時と同じ部屋のベッド。身近な人の気配がする。
誰かが僕の意識の回復を待っているとしたら、そんなに長い時間にはなっていないはずだ。
僕は、待機している人物を驚かせないよう、ゆっくりとカーテンを開けた。
そして、後悔した。
谷木と花宮がお互いに相手の肘に優しく触れながら、甘ったるい雰囲気を醸成していたのだ。
もちろん、言いたいことはある。
他人の部屋で何をやってる? 僕に見せびらかす必要はないだろう? それともこれは衝動的な行動なのか? だとしたら厄介だな……。出ていけとも言えないし、そもそも僕の存在が、二人にとっては邪魔である。
でも――気になる。
誤解のないように弁解させてもらうとすれば。
僕は他人の恋路にちょっかいを出す意図は全くない。だが、まあ、時と場合というものは把握しなければならないのではないだろうか?
試しに一つ、盛大に溜息をついてみたが、二人はそれを無視。というか聞こえていない。
ふむ……。やはり見るしかない、か。気を紛らわせるにはちょうどいいかもしれないし。
「……」
いや、よくない。これはよくないぞ、蒼樹凪人。二人はまだ若いのだ。
と言ってしまう程度には、僕の精神年齢は高いはず。いや、老けていると言った方がいいのか?
この気まずさを一瞬で瓦解させたのは、誰あろう大川室長だった。
インターホンが起動し、部屋の前にいる室長の顔を認識。
《谷木くん? 花宮さん? 一応お見舞いと思って果物買ってきたんだけど、凪人くんの容態は?》
まさかの来客に、谷木と花宮は相当焦ったようだ、互いの足が絡まり、バッタリと転倒する。
《ちょ、ちょっと、あんたたちは何やってんの? 早く開錠してよ》
「あー、すんません室長! 今開けます……」
とは谷木の言葉。
再びカーテンの隙間から状況を窺うと、スライドドアが開き切る前に二人は姿勢を正していた。まったく、キスシーンを室長に見られたらどうなることに……。
「大川室長、聞いてくださいよぉ! あたしたち、明日にも死んじゃうかもしれないから、せめてキスくらいしてもいいと思ったんですよ! それなのに、谷木先輩ったら全然応じてくれなくて……」
「バッ、そんなこと言ったら俺が恋愛初心者みたいじゃねぇか!」
「きゃん!」
固い音がする。谷木が花宮に拳骨でも見舞ったのだろう。
なんだ、両想いだったのか。いつもの僕なら、きっと呆れてしまうだろう。
だが、今は違う。谷木と花宮が互いを想う気持ちに、何か眩しいものを感じ取ったのだ。
僕は自分を朴念仁だと思ってきたし、その考えは今も変わらない。
しかし、それほど鈍感な僕であっても、何か胸に迫るものがある。
――ジュリ、僕は君を助けたい。
自分の身体は、とっくに脳の制御をぶち破っていた。気づいた時には、僕は勢いよくベッドから飛び降り、目の前にはスライドドアが迫っていた。
わきのパッド状の板に右手を押し当て、指紋認証をクリア。再び飛び出そうとしたが、勢い余って転倒しかかった。僕の後ろ襟を掴んだのは大川室長だった。
放してください、というのももどかしく、強引に腕を振り回す。が、倒れ込んだのは僕の方だった。直感的に、室長が何らかの技を繰り出したのは分かる。柔道だろうか?
ひとまず、僕の脳に打撃が及ぶ事態は避けられたようだ。
「職場の先輩として言わせてもらうけど、あなたたちはこれ以上、あのベニクラゲ変異体に関わるべきじゃない。危険すぎる」
「きけ、ん……?」
ぼんやりと呟く花宮だが、慌ててぴくり、と肩を震わせた。きっと今、室長の瞳には凄まじい熱気が籠っていたに違いない。
ここで動いたのは谷木だった。花宮を守るかのように、へっぴり腰になりながらも疑問を投げた。
「そ、そうだ! あんたは怪しいぜ、室長! どうしちまったんだ? 悪酔いしやすいって以外は、いい上司だと思ってたのに!」
「ざーんねん。あなたの読み、外れてるわよ。ま、知らずにいたのも無理はないけどね」
それから室長は、淡々と説明を始めた。これはジュリが教えてくれたことと大いに被る事柄がほとんど。僕は時々、こくこくと頷いて聞くことで、谷木と花宮の心配を和らげてやろうと思った。どれほど効果があったかは分からないけれど。
情報として被らない部分を考えるとすれば、残るのは彼女のプライベートだ。僕は言い淀んだが、察しのよい室長は簡単に語り出した。
自分もまた、政府に恩義がある身だということ。
きっかけは、十代半ばでその運動能力を買われて、政府からスカウトされたこと。
「うちの両親は不仲でね、こんな生活からはさっさとおさらばしたかった。渡りに船、ってやつ」
訓練施設内での生活は苛烈なものだったが、室長はあっという間に順応した。
それと同時進行で進んでいたもの。それこそがベニクラゲの捜索だった。
「だからあたいは、学歴詐称の上でここに配属されたの。まさか本当に、ベニクラゲ変異体が池ヶ崎水族館で見つかるとは思わなかったけどね」
「……!」
マズい、これでは首をへし折られる……!
「うおらあああああああ!!」
そんな雄叫びを上げながら、谷木がドロップキックを繰り出した。
流石にこれは想定外だったのか、室長は左肘を突き出すだけで防御を試みる。
谷木の右足の裏と、室長の左肘が、自分の目の前で激突する。
ミシリ、と嫌な音がして、二者は離れた。
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