第19話
※
「ええ、そうですね。観察結果から考え得るに、結論としては……」
「了解した。後は我々が引き継ごう。よく頑張ってくれたな、大川嶺子くん」
「はッ、身に余るお言葉です」
僕の耳に入ってきたのは、そんな厳めしい会話だった。
片方、女性の声は大川室長のもので、もう片方は老齢の男性の声。
僕はといえば、またしてもベッドで目覚める羽目になった。確かに、盗み聞きにこれほど適した場所もないだろうな、とは思ったが。
自分は何を知りたいのか。そこから考えてみることにした。
まずはジュリの消息。どんな姿になって、どんな事故を起こしたのか? 今はどこにいて、どんな扱いを受けているのか?
まだ地球、というより人類の行く先を見届けるつもりなのか、それとももう愛想を尽かして、いい加減去っていくつもりなのか。
考えたいことはもう一つある。大川嶺子室長の立ち位置だ。
ベッドのカーテンの向こうを見通すことは不可能だから、誰が意識を取り戻し、誰が気絶しているのか、それは分からない。
しかし大川室長が、僕や谷木、花宮の知らない何某かの事柄について知っていることは確かなようだ。
「待てよ……?」
僕は頭皮に電流が走るような震えを覚えた。
もしかしたら、僕たちは知りすぎてしまったのではないだろうか?
それはすなわち、政府から注目されたり、軟禁されたり、最悪暗殺されたりする可能性がある、ということではあるまいか。
マズいことになった。誰か、こんな僕の駄論を粉砕してくれはしないだろうか。
ごくり、と唾を飲む。すると緊張のせいか、唾が気道に入ってしまった。大きな咳が、僕を中心に広がっていく。
「げっ、やばい……!」
と思うや否や、僕の眼前でシャッ、と引き開かれた。そこにいたのは――。
「あら、凪人くん!」
「大川室長……!」
「どうしたのよ? って、今気がついたのねえ」
「あ、はい、どうも……」
「あたいも結構探したのよ? それを労う言葉が『どうも』って……。本当に変わらないのね」
僕は頷き、軽く後頭部を掻いた。
「本当にどうなるかと思ったんだから。あなたを見つけたはいいけど、もう夜中だったでしょう? 十分な医療機器のある病院を探すのに手間取ったのよ」
「ん……。すみません……」
「声が小さい!」
「すっ、すみま――」
「ストップ!」
「……え?」
「ここは病院なのよ! 大声出すのは止めなさい!」
おいおい、僕の声が小さいと叱咤してきたのはあんたの方だろうに。
それにしても。
「僕の治療に手間取った、ってことは、僕はもうすぐ死ぬとか、一生身体を動かせないとか、そういうことですか」
「なあに! そんなことないわ。確かに、鎮静剤や鎮痛剤の処方は少なくて済むようになったけれど。あなたも他の皆もピンピンしてるわ。軽い打ち身くらいだから」
ええっと、と言いながら室長は振り返った。谷木や花宮もここに寝かされているのだろうか?
僕の角度からは何も見えない。が、どうやら室長は向こう側へ向かって大きく頷いてみせた。
「凪人くん、突然で申し訳ないんだけれど、歩けるかしら?」
「多分、大丈夫だと思います。よっ、と……」
ベッドから足を下ろすと、確かな感覚が足の裏から伝わってきた。
「ちょっと会議室に移ってほしいの。メンバーはあなたと私、それにカウンセラーの三人」
「僕は何を――ああ、ジュリのことですよね。分かりました。話せるだけのことは話します。ただし」
「ただし?」
僕は一旦俯いて、室長のスリッパの先端を見つめ、それからゆっくりと息を吸った。
キッ、と目を上げ、室長を睨みつける。
「ただし、僕が話せるのは、ジュリにとって有利になることだけです。構いませんね?」
「だそうですよ、和田先生。よろしいですか?」
「ああ、構わんよ」
僕の視野の外側から返答があった。声から察するに、さっき室長が話をしていた初老の男性だ。
「失礼するよ」
その言葉と同時に、隣のカーテンが開かれた。
そこに立っていたのは、浅黒い肌の上に眼鏡と無精髭を生やした男性だった。
和田先生、と室長は言っていたな。声の割には随分若く、四十代だと言われればすぐに信じてしまいそうだ。
「初めまして、だね、蒼樹凪人くん。私は精神科医の和田紀夫という。ドクターとでも呼んでくれ。今日は疲れただろう?」
「ええ、ま、まあ……」
「私だったら疲労困憊で面会謝絶にしてもらうところだ。しかし、記憶というのは移ろいやすく失われやすい、儚いものなんだ。可能であれば、君にインタビューをさせてほしい。まさに今、この瞬間に。それが凪人くんにとっても有益だと考えるが……どうかね?」
確認されずとも、僕の意志は固まっている。警備員室メンバーとジュリの無事を確かめなければ。
僕が大きく頷くのを見て、ドクターは笑みを深くした。
「それじゃ行こうか。異星人とのコンタクトに」
※
僕は廊下の手摺を掴みつつ、時折ドクターに支えてもらいながら廊下を歩いた。すぐ後ろを大川室長がゆっくりとついて来る。
すると、ドクターはやんわりと僕の腕を掴んだ。進むな、ということらしい。
「こちら和田二佐、一階廊下の損傷はまだ復旧していないようだが、どういうことだ?」
《はッ、現在は宇宙生物の通過した二階の修繕作業に人員を割いておりまして……》
「了解した。こちらの修繕も迅速に頼む」
《了解!》
振り返りがてらに廊下を見渡すと、天井が陥没していた。部分的ではあるが、崩落している。水が流れてきたり、パチパチと光るものが見える。
きっと天井上部の配管や電線が破損して、天井からぶら下がっているのだろう。
「すまないね、凪人くん。部屋を変えよう。こっちだ」
僕たちはくるりと転進し、別な部屋へと向かう。再度、ドクターの肩越しに振り返ってみると、寒気が尾骶骨あたりから頭蓋の背部までせり上がってきた。
「これを、ジュリが……?」
「そうよ、凪人くん。こういう事態を避けるために、あたいらがいる予定だったんだけどねえ」
「じゃあここって、僕らが車で突っ込んだ建物、なんですか? 研究所だって聞きましたけど」
「ご明察。ただ、これ以上の話はちゃんと防音壁でできた部屋の中で行うから。うっかり廊下でべらべら喋らないように」
僕ははっと口に手を当て、こくこくと首を縦に振りまくった。
※
改めて僕が連れ込まれたのは、全面が銀色の金属でコーティングされた立方体の部屋だった。
床も壁も天井も、あらゆる面が銀色だ。ただし、適度に艶消し処理が為されており眩しいというわけではない。むしろ、ドアを閉じたら余計に暗くなるんじゃないかと思うほどだ。
部屋の中央にはテーブルがあり、その手前、入り口側にドクターが、テーブルを挟んで反対側に僕が腰を下ろした。大川室長は、ドアの前で『休め』の姿勢を取ったきりそのままだ。立った状態で僕とドクターを監視しているのか。
「では早速だが、もし答えに窮するようなら遠慮なく申し出てくれ」
「ドクター、あなたに伺いたいんですけど」
「なんなりと」
「大川嶺子室長は、あなた方が放ったスパイなのですか?」
僕が切り込むと、ドクターは軽く指先でテーブルを叩きながら即答した。
「そうだ」
これくらいなら答えられて当然だ。大川室長とドクターの会話を思い出せば。
「大川くん、非常用の付着式エアバッグは役に立ったようだね?」
「はッ、お陰で無傷であります」
付着式、ということは、関節や内臓を重点的に守ることができるように改良したのだろうか。
それはともかく、僕の脳内では真っ赤な溶岩がうねっていた。
水族館の警備員として働き始めて約四年。室長は、ずっと身分を偽ってきたのか? そして、それをなんの罪悪感もなく過ごしてきたのか?
「……」
僕は怒りを通り越して、急激に頭が冷えていくような感覚に囚われた。
「まあ、大川くんとの確執はおいおい解決してもらうとして」
ドクターは自分の手の指を組み合わせ、ずいっと身を乗り出してきた。
「君にはもっと気にすべきことがあるんじゃないか? ジュリさんや谷木くん、花宮さんのことだ」
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