第17話 矜持、曲げてでも
――あぁ。これはダメなやつだ。
僕と彼女の手が硬く握りしめ合っていることにすら気付かないほどに、意識は鼻孔を絶えず侵してくる甘い香りに支配されていた。
唇に微かに当たっているのは白く艶めかしい首筋。少し視線を下げると熟れて豊満な二つの果実と見事な谷間が見える。
「ふふ。いいわよ。そのまま欲にどんどん溺れなさい」
視線をどこへやろうにも、彼女の女性としての魅力が詰まった部分にしか向かなくてもはや目を瞑る以外にこの光景から逃れられる術はない。しかし、視界の情報を遮ってもこの小悪魔の誘惑からは逃れられない。
何故なら僕はもう嗅いでしまったからだ。彼女の甘い香りを。
風に乗って香る時とは違う。故意的に身体と身体を密着させ、自慢する為ではなく相手を欲情させる為に、匂いの強い部分を鼻に押し付けられる。
「そうよ、センリ。好きなだけ、私の匂いを嗅ぎなさい。自分を抑えられなくなるくらいに。理性なんて捨てちゃいなさい」
「り、りす……」
感じる熱と彼女の優しい声音に、意識が
「んっ。ふふ。さぁ、センリ。私に何をしたい? 私と、ナニをしたい?」
「ごくりっ……欲しい。リリスが、リリスの全部」
「くふふ。えぇ。いいわよ。美味しく召し上がってちょうだい」
理性が瓦解していく。本能が刺激されて、醜悪な欲望を掻き立てられる。毒のように全身に回った彼女の甘い香りはやがて僕の意識を完全に失わせ、ただ眼前の熟れた果実を貪らんとする、性の獣へと成り果てさせ――
「――っ⁉」
「きゃっ」
口唇の隙間から伸びた舌先が滑らかな首筋に触れた瞬間、ハッと我に返って反射的にリリスを突き飛ばした。
「あっぶなぁ。あとちょっとで誘惑に負けるところだった」
「むぅ。正気に戻っちゃったのね。残念」
頭を振ってどっと重たい吐息を落とす。それから少しずつ呼吸を整えていき、失う直前だった理性を呼び戻していく。そうして時間を掛けて冷静さを取り戻した僕は、不服そうに頬を膨らませる吸血鬼を睨んだ。
「もお! 急に変なことしないでよ!」
「変なことじゃないわよ。センリを誘惑しようとしたの」
「なんでよ!」
さっぱり訳が分からず困惑する僕に、リリスはわざとらしく頬に指を当てて答えた。
「なんでって、そんなの決まってるでしょ。センリとセックスしたいからよ」
「セッ⁉ ……正気?」
照れも恥じらうことなく。それこそ僕とリリスが日常的にそれをやっているノリで言われた。
あまりに堂々と言ってみせたリリスに、僕は驚愕よりも呆れが勝る。
「そういうのは普通、恋人同士がするものでしょ。付き合っても、それもまだ出会って間もない僕たちがするのは、ちょっと倫理観的にどうかと思っちゃうよ」
「ふぅん。でも否定する割にはさっき乗り気なように見えたけど?」
「あ、あれはリリスが僕を誑かしてきたからでしょ!」
僕は顔を真っ赤にしてリリスの指摘を否定する。
「仮にだよ? 僕とリリスが恋人同士ならそういうことするのは全然いいけど、でも僕たちは旅のパートナーで、それ以上の関係ではまだないでしょ?」
「ふーん。随分とお堅い思考なこと。センリはあれね。
「そっちがビッチなだけでしょ!」
「否定はしないわね」
「しないんだ⁉」
分かってる。恋愛感情を抜きにして、ただ娯楽として性行為を楽しんでる人たちがこの世の中にはいるってことくらい。そしておそらく、リリスはその思考の持ち主だ。
「僕は、リリスとは違う。そういうのはちゃんと、好きな者同士でしたい。好き人と心から結ばれて、快楽の為だけじゃなくて、お互いをもっと理解して、心の底から愛し合う為に。僕は、ただ欲に溺れてリリスを抱くなんて嫌だよ」
初心と、
「意固地だと思ってくれて構わないよ。でも、僕はちゃんとリリスのことを好きになって、するなら恋人になってからやりたい」
「ふぅん。じゃあ、その間に私がどれほど他の男と身体を重ねても文句はないんだ?」
「……うぐ」
それは嫌だ。それを想像しただけでゾワッと全身の産毛が逆立って、溜まらず嫌悪感を覚える。
顔を青ざめさせる僕を見て、リリスは呆れた風に嘆息をこぼした。
「センリの意見は立派だと思うわよ。大抵の人は皆、貴方と同じ考えでしょうね。そういう意味で言えば、私はあぶれ者ね」
さっき突き飛ばして離れてしまった距離。それを縮めるようにリリスが僕の元に近づいて来る。
また誘惑か何かされるんじゃないか、そう察知して反射的に身構える――そんな僕を、リリスはぎゅっと抱きしめた。
今度は先ほどと違って、何か、温もりを求めるような、助けを乞うような、そんな儚さが垣間見えた抱擁だった。
「何か誤解させているようだから言っておくけど、べつに私は男なら誰かれ構わず股を開くようなビッチではないわ。私は気に入った相手としかやらない」
「それは、うん……分かった」
まだ少し、さっきのがトラウマになっているせいか身体が震える。
抱きしめ返さず硬直したままの僕に、リリスは構うことなく話を続けた。
「私はセンリのことを気に入ってる。それも特別に。貴方はセックスをするなら旅のパートナー以上の関係を求めているようだけど、私からすれば旅のパートナーってだけでもすごく特別なのよ?」
「そう、なんだ」
「うん。私の旅は一人が基本だから。一人で自由に動くのが好きな私は、誰かと共に行動するのなんて窮屈で耐えられないから」
「僕といるのは窮屈じゃないんだ?」
「えぇ。貴方といる日々はとっても新鮮で面白いわ」
「リリスの重荷になってなくてよかったよ」
「そんなことないわ。流石は私の見込んだ男ね。こんなにも誰かと一緒に居て安心したのは初めてよ」
「――――」
それが嘘偽りなくリリスの本音だと、何故か分かった。
理由は分からない。ただ、感じたんだ。微かに
リリスのその言葉が嘘ではなく本心だと、心の底からそう思ってくれていると感じた僕は、気付けば無意識に彼女のことを抱きしめていた。
「こんなこと聞くと、勘違い野郎だと思われるかもしれないけど、それでも聞いていい?」
「なにかしら?」
「……リリスは、僕のこと気に入ってるって言ってくれたけど、それに僕への恋愛感情は含まれてる?」
「それは、どういうことかしら?」
「つまりさ、僕のこと、好き?」
恐る恐る、返答によっては僕らの今後の関係に亀裂に入りかねないほどの問いかけをリリスにする。
僕のその問いかけに、リリスはしばらく沈黙したままだった。返事を待つ間、僕の心臓は五月蠅いほど早鐘を打ち続けた。
やがて、耳元に「ふっ」と笑い声が聞こえた。ようやく返事をもらえると身体が反射的に身構えたが、
「――リリス?」
リリスは僕の問いかけに答えることはなく、さらには
彼女の真意が全く読めない僕はただ茫然とするばかり。
「私はセンリが望むような、好きとか愛情とか、そういうのがよく解らないの。私が人や物に抱く感情は気に入ったか否か」
一人語り、僕から離れたリリスが向かった先はベッドだ。縁に腰を降ろした彼女は、わざとらしくこてん、と首を傾げて僕を見つめてきた。
「私が何かを気に入った時は、必ずこの胸が弾む。それから気分が高揚して、何がなんでもそれを手に入れたくなる」
「…………」
たんたん、とリリスがベッドを叩く。それはまるで僕にこっちに来てと誘うように。
一瞬、リリスの誘惑に乗るべきか苦悩する。しかし、
「センリ」
見つめてくる紫紺の双眸が何かを熱望するように揺れて、僕を呼ぶ。
抗えない。しかし今度は先と違って、僕の意思でリリスにリリスの誘惑に応じた。
「恋人以上とか、正しさとか、そんなこと私に求められても困るわ。でも、これだけは言ってあげる。私はセンリを特別だと思ってる」
「――――」
「ね、それだけ、十分じゃない?」
椅子から立ち上がって、木板を鳴らしながら進む。一度音が止み、すぐに何かが軋む音が部屋に響いた。
「僕は、好きだよ。リリスのこと。ちゃんと、異性として好きだって思ってる」
「……そう。気持ちは嬉しいけど、でもごめん。私はやっぱりそういうのよく解らない」
「いいよ。そういうのは、これから知っていけばいいんじゃないかな」
その言葉にリリスは面食らったような顔をした。そしてすぐにくすっと笑って、
「ふぅん。なら、それはセンリが教えてくれるのかしら?」
「できるかは分からない。でも、頑張るよ。リリスを振り向かせられるように」
「ふふ。やっぱりいいわ。貴方。とても面白い」
リリスは心の底から愉快そうに笑った。それを見て、僕も釣られるように笑みをこぼす。
「いいの? 出会って三日目の女としちゃっても?」
「やっぱりまだ飲み込み切れないのは正直にあるよ。でも、ここでリリスから目を離したら、他の男の所に行ってしまう気がするから」
「ふふ。可愛い。嫉妬?」
「うん。リリスが他の男とするのはすごく嫌だ。だから、僕の
「私に襲われても?」
「うん」
試すような問いかけに、
「――もしかしたら、私の旅のパートナーは、貴方で最後の男になるかもしれないわね」
「くすっ。それはとても光栄だね」
手放したくという想いは互いに同じ――否、吸血鬼の方がほんの少しだけ強かったかもしれない。
いずれにせよ、僕らのこの会話が、互いにこの先に進むことを承諾していて。
「あぁ、久々の男だわ♡」
「えっと、こういうこと今言うのもせっかくのムード壊しちゃうかもしれないからあえで黙っておくべきなんだろうけど、でも後々が怖いから打ち明けるね。僕、こういうの初めてなんだ」
「ふぅん。やっぱり童貞だったんだ」
「なんか納得されてるみたいで釈然としないんだけど、うん。だからお手柔らかにお願いしたいです」
「安心していいわ。初めての夜が一生忘れないくらい、とびきりに鮮烈で今まで味わったことのないほどの快楽を、センリの身体に刻み込んであげる」
「僕の話聞いてた?」
たぶん、リリスは今夜僕を襲おうと決めてたんだろう。新品の寝間着に匂いの強いボディソープがそれを如実に物語っている。
結局吸血鬼の誘惑に負けてしまったけれど、でも後悔はない。理由は多々あれど、やはりその最たる理由は、
「「――んっ」」
キミを手放したくない。そんな、焦燥と不安に
憧れの異世界で極楽至上のハーレムを!! 結乃拓也/ゆのや @yunotakuya
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