あなたの傑作をエタらせないために

雲隠凶之進

あなたの傑作をエタらせないために


「後半まで読んだらちゃんと面白いから!」

 という小説が、本当に面白かったためしはない。



 私、タイ料理が大好物なんですよ。

 あのパクチーの匂いが、スッと鼻の前を通り過ぎただけで。「今日はハッピーな一日になるぞ!」という気持ちになります。スーパーに乾燥パクチーの調味料(\300くらい)があって、毎日持ち歩こうか本気で迷ったくらい。

 でも、家族は私以外みんな苦手なんですよね。山盛りのパクチーをもしゃもしゃ食べるの大好き!って話をすると、未知との遭遇みたいな顔をする。テテテテン、テーン。


 まあ分かりますよ。だってパクチーの匂い、結構独特だもんね。慣れるとあれが病みつきになるんだけどなー! 嫌いな人勿体ないなー!

 騙されたと思って一度食べてみなよ! 絶対ハマるからさぁーッ!

 ほら、食えよ! お前、俺の薦めるメシが食えねぇってのかよォ! オラオラァ!


 ……あなたの言ってること、これと一緒なんですよ。

 序盤で離脱した人に対して、後半まで読むように強いるっていうのは。つまり相手が苦手だって言ってる料理を無理やり口に突っ込むようなもので。世の中、通行人に「俺の飯を食えぇッ!」って無理やり飯を食わせる飲食店がありますか?

 ないだろ。突撃ラブハートをやって許されるのは熱気バサラくらいだ。


 まあね。気持ちは分かるよ。

 私も最初の一話だけ応援ボタン押してそれっきりの人とか、小説フォローだけして全く読まない人とか、締め●してやろうかといつも思ってるもん。

 でもね、最後まで読んでくれ!って自分から言うのってすごくダサいと思う。入口で人を惹きつけられないのは自分の実力が至らない結果なんだ。受け入れて次に進むしかない。

 だから今日は「次に進む」ための話をしたいと思います。



 あなたも本が、小説が好きなら、なんでページをめくりたくなるのかを知っているはずです。

 この前「三体」読んだんですけど、すっごい面白かった。

 未来の統一地球語が中国語と英語のミックスです、とか「そうはならんやろ!(なっとるやろがい!)」と思うことも多々あるんだけど。三体人の超兵器の数々、相変わらず阿呆な地球人、程心と智子に百合は見出せるのか……。すごい分厚いんですけどページをめくる手が止まらない。

 私たちが小説を読むときって、何かしら続きを読みたくなる理由があると思うんですよね。ミステリなら犯人は?真相は?事件はどう解決されるんだ⁉っていうのがページをめくる動力になるし、SFなら次のページにはどんな世界が展開されているのか気になるーッ!って思ってめくるわけですよね。


 小説の先を読んでもらえないのは、それがないからなんじゃないかなと。私も含めてね。

 次の話を読もう、と思わせるナニカがないと、読者は次のページに進まない。これは引きのテクニックとか後書きで「フォローお願い!」とか、そういう小手先の話じゃないんだ。もっと根本的な、アレだ。

 そもそも、昨今の創作界隈は、そういう「続きを読ませる」ための要素を小説の外に置いている傾向にある。



 なろう系を例にとってみましょう。なろう系批判の意見のうち、ただの罵詈雑言を排除して、その中でも作品に対して問題点の言語化を試みている人の意見を集めると、いくつか共通点が見つかります。

 たとえば「主人公に目標がない」とか。

 ひょんなことからチートスキルを得て無双する、ざまぁする。でも、最強の力を気ままに振るうことの先、行きつくべき目標がない。主人公がただ周囲に礼讃され、俺TUEEEしてそれで終わり。創作用語では「セントラルクエスチョン」なんていったりしますが、登場人物がその物語の中で何を為し、何を得、何を失うのか。そういったストーリーのゴールが存在しないというものです。

 それに対してファンはこう答えます。「ギャグとして見れば面白い」、「頭カラッポにして読めるからいい」、「こんなに売れている小説を批判するのは逆張りガ○ジだ」等々。


 なんでこんな対立が起きてしまうのかといえば、その創作物に何を期待しているのかが、アンチとファンで大きく異なるからです。アンチの中で批判的な視点を持っている人は、あくまでも小説の中で描かれる「面白さ」を求めているのに対し、ファンは小説の外にそれを求めている。コメディから得られる「笑い」や日頃のストレスを忘れさせる「頭空っぽ」、あるいは単に売れている作品を追いかける「流行の後追い」といったような。

 読み進める原動力が外にあるから、既存の作品と似たような内容でも問題ない。小説の中身なんて、読み進める原動力とは無関係だから。


 こういった話は例としてなろう系を挙げただけで、なろう系に限った話ではありません。読者の原動力が小説の外にあるのだから、小説のジャンルなんて関係なく起こりえます。

 SF界隈なんかそうですよね。最近「009トリビュート」を読んだんですけど、まあ酷い。面白い作家もいるけど、SFをナメているとしか思えない人や、商業レベルに達してないだろって人もいる(でも過去に賞とか貰ってるみたい)。

 大御所が書いたから、賞を取った人だからってみんな読むけれど、内容は正直クソだ。未だに星新一や藤子F不二雄の後追いしか出来てないのが日本SFの限界なんですよ。作家はこれまで積み重ねてきたネームバリューという座布団の上に胡坐をかいているだけで、大喜利の技量は座の高さに似合ったものじゃない。山田君、座布団全部持って行って。



 そろそろタイトルの話をしようね。

 カクヨムでもよくいますよね。「ウン百万字の超長編を書いてます!」とか言ってる人。「この作品を書くのが私のライフワークです!」とか。

 うん。そういうスタンスも良いよ。そういう過去の名作もたくさんあるからね。ただ、私は、個人的な意見としては、そういう作者が無限に書ける話は読みたくない。


 永遠に続く物語の末路は、100%「エタ」だ。

 だって、終わりがないんだもの。作者がエタることでしか、作品は止まらない。ある日突然続きを書かなくなる。あるいは、新作にかまけて放置される。永遠に続く物語は、いつだって再開もできるから、気軽に休止できる。「いつか書きますぅ」と言っておけば、作者は簡単にエタれる。

 あなたの傑作がエタってしまうのは、読者が反応をくれないからじゃない。作者であるあなたに、最後まで書くつもりなんか最初からなかったからだ。あなたの傑作は、生まれた瞬間からエタることが宿命付けられていた。


 話は、広げるより畳むほうが難しい。公募勢ならみんな知っていることです。物語のセオリーは小さな起承転結の連続なのに、畳む技術のない人は起承の無限ループをやってしまう。それで文字数だけ膨大になって「超大作です!」みたいな顔をするけれど、中身はぐだぐだのだらだら。「キャラと設定は斬新だけど、話は面白くないし何がしたいのか分からない」という物語が出来上がる。

 作者が永遠に続く物語を書くつもりで創作していると、主人公からは目標が無くなる。永遠に続く物語において、成長や変化は害悪でしかない。話を動かすということは終わりに向かうことであって、作者が書きたいものとは違うから。



 さっきの話と何の関係があるのかって?

 そりゃあ、「なんで永遠に続く物語が評価されるのか」って話だよ。


 永遠に続く物語が評価されるのは、それは評価基準が作品の外にあるからに他ならない。永遠に続くコメディ、永遠に続く頭空っぽ、永遠に続く流行の後追い。それは読者にとって安心感につながる。変化しないこと、終わらないことは、永遠に同じ快楽を供給してくれるってこと。

 虚しい。本当に虚しいよ、それ。

 小説を読んでいるつもりでいても、ファンにとっては中身なんてどうでも良くなってるなんて。


 なんでそんなことになっちゃったんだよ、というと。週刊連載マンガが原因ではないかと私は仮説を立てています。

 人気の作品は超長期連載になる。次から次へ新しい敵や味方が現れ、ほのぼの日常ものが能力バトル路線に行ってみたり……。だけど、ジャンプなんかは話に細かい区切りは作られていて、「○○編」みたいな銘打たれ方をする。

 あっちはスタート時点で大のオトナが額を集めてあーでもないこーでもないって会議してますし、ダメなものはボツになりますからね。そりゃ長々続いていても、細かい部分で物語のセオリーは守られています。


 でも、素人創作はそうじゃない。

 長く続くことが名作の証だって勘違いした人は、無限に続く話を書こうとする。

 復讐ものなのに序盤で復讐を遂げてしまって後の話が蛇足になる。能力バトルものなのにインフレしないで、主人公が余裕で勝てる相手しか出てこない。ラブコメなのにいつまでもヒロイン一人を選ばないで、主人公はハーレムを維持することに全力の脳ミソ海綿体ヤローと化す。

 そしてエタる。続きを書こうとしても書けない。どうすれば……そうだ! 仲間に褒めてもらって承認欲求を満たして、モチベを回復しよう!

 あなたが続きを書けないのはモチベーションが足りないんじゃなくて、話を畳む技術をおろそかにしてきただけです。

 読者が続きを読んでくれないのは、どうせページをめくっても同じような展開を繰り返すだけだから。永遠の快楽を供給してくれるのはあなたの小説だけじゃないから、読者は居付かなくなってしまう。



 あなたの傑作をエタらせない、一番簡単な方法。それは終わらせられる話を書くことです。

 登場人物に目標を設定し、それを遂げさせる。もしくは頓挫させてもいい。とにかく、目標を設定しそれの成否を追う。これだけ。


 無限に続く物語なんて、何の意味があるんでしょう。永遠の命を得た登場人物が、生きるのが退屈になって死を求める――――なんて手垢の付きすぎたアイデアですよね。

 小説でも同じことが起きています。永遠の命を持った小説は、続けるのが退屈になって終わりを求める。でも作者には小説の命を奪うことができない。命を終わらせられるように、設定されていないから。

 最初から限りある命にしたほうが、物語は面白い。永遠の命を人は求めるけれど、それよりも人の心を動かすのは、いつか消える命の灯の輝きだ。

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