ストーカー被害
@wataru803
愛しき日々、愛しき人
「最近、ストーカーに付けられてる気がするの。」
彼女がそう言うのを聞いて、僕は冷静にコーヒーを一口飲む。
今日はショートの髪にウェーブをかけており、服装もピンクのニットカーディガンといういつも以上に可愛らしい装いになっている。
少し寒そうにも見えるが、女の子には我慢をしてでもおしゃれにこだわる事は珍しくない。
さすがに気のせいだと思うけどな。最近は僕が一緒にいることも多いが、そういった気配は一向に感じないし。
それでも綾(あや)は真剣な眼差しで話す。どうやら昨日の夜も後を付けられて、走って帰ったらしい。僕は昨日、綾を家のすぐ近くまで送ったはずだけど、その後に襲われたと考えると責任を感じてしまう。
「でもほんとに最近多いらしいからね、ストーカー被害。昨日だってほら。綾もちゃんと自分の身を守らないと危ないよ?」
対面に座る友達の如月(きさらぎ)さんは携帯画面を綾に見せながらそう警告する。そうやって警告してくれるのは嬉しいけど、僕はこの如月さんのことも少し疑っている。
贔屓目なしでも綾の顔は整っている。勉学もスポーツもできて、後輩からバレンタインに大量のチョコを貰うくらいに慕われている。
確か79個って言ってたかな、どうやって処理したのかは聞いていないけど、大変だった事は想像に難くない。
そんな綾に友達が嫉妬をしたとしてもなんら不思議ではない。僕は如月さんの顔をジッと見つめる。
「そろそろ行こっか。」
おっと、もうこんな時間か。綾は大学に資料を取りに行く用事があるらしく、僕はその付き添いだ。教授が1週間ほど出張に出るらしく、今日しか取りに行ける日が無いらしい。
「そうだな。」
僕は少し残っていたコーヒーを一気に飲み干し、大学へ向かった。
うちの大学のキャンパスは広くない。むしろ狭い部類だろう。
私立のように建物が綺麗なわけでもなく、交通の便も悪い。国立でなければ絶対に来なかったであろう学校だけど、学食のカレーだけは驚きの美味しさで、キャンパスライフ唯一の楽しみだった。
4年生になってからは大学で昼ご飯を食べること自体が減ってしまって残念だけど、今は綾との時間を大切にしたいと思っている。
如月さんとは学部も棟も違うので、キャンパスに入ったところで別れた。
「おお、綾くん。遅いから心配したよ。」
綾が「田辺研究所」の扉を開けると、そんな聞き覚えのある声が聞こえた。おそらく田辺先生本人で間違いない。
「すみません先生!ちょっと道が混んでまして...。」
さも車で来たような返答をしているけれど、綾は車どころか免許も持っていない。いつも遅れた時の言い訳にしてるけど、怪しまれていないか心配だ。今のところ、先生は疑っていないからいいけど。
田辺先生はこの学校一の教授と名高い人で、主となる学問は心理学である。
その研究室で綾は研究をしている。題名は確か、「SNS利用が自己認識と幸福感にもたらす影響」という、なんとも現代的なテーマの研究をしていたはずだ。
もちろん先生には先生の部屋があるはずだが、資料を渡すためにわざわざ待っていてくれたみたいだ。
少し開いた扉からチラリと見えた程度だが、井上の姿は無かった。井上は3年生の頃のチーム学習で、一緒になったことのある僕の数少ない知り合いだ。
その時は幾度となく助けてもらったものだ。調査資料作成や発表時の原稿など、今でも感謝をしている。
それと同時に、綾の唯一の研究室仲間とも言える。悪い奴ではないので心配はしていないが...というのは嘘だ。
僕の心の中には少しだけ疑念がある。ストーカーの犯人である可能性が。
と、いけないいけない。こういうことを考えてしまうからストーカーの事はあまり考えたくなかったのだ。
綾は少し作業もしていくと言っていた。
入口で待つのも変だと思い、僕は自分の研究室でもある隣の扉を開けた。
「あれ?珍しいね。」
そこには1ヶ月ぶりの顔があった。コーヒー片手にこちらを向いている。
「こんにちは宮本さん。今日も研究?」
「あぁ、少し行き詰まっていてな。気晴らしに、少しお話に付き合ってくれないか?」
メガネに白衣を着た”ザ・研究員”という見た目の宮本さんは、少しお疲れのご様子だ。
長い髪は結ばずボサボサになっており、隈がメガネ越しに見える。別に化学実験をするわけでもないので白衣を着る必要は皆無だけど、「この服装の方がやる気が出る」と研究室に入った時に教えてもらったので何も言わない。
宮本さんの研究は、「ビッグデータにおける消費者行動分析」という、この学校で先輩からの引継ぎになっている研究を行っている。熱量は凄まじく、僕の研究なんかとは比べものにならないような傑作が完成するだろう。
そんな研究の一助ができるのであれば、喜んで引き受けよう。
「僕でよければ。」
宮本さんの会話は知的なものになるかと思いきや、意外と女の子らしい話題が多かった。先週作っていた研究データを全てデリートしてしまった話から始まりはしたが、実家で飼っている犬の話、最近流行りの韓国アイドルの話を楽しそうにしていた。
僕も最近、綾の影響で韓国アイドルの知識を蓄えていた。先月はライブに付き添いで行ったりもした。最初は全員が同じ顔に見えていたのが、最近では全員区別できるようになった。
合致する部分が多かったからか、宮本さんとの話は大いに盛り上がった。
「あっ!」
つい時間を忘れて会話をしてしまっていた。気が付けば綾との約束の時間をとうにすぎてしまっていた。
「すみません宮本さん。ちょっと用事があるので、話はまた今度しましょう。」
「あぁ。こちらこそ話につき合わせてしまったな。楽しかったぞ。」
少し元気が戻った宮本さんの顔を見て、ホッと一息。
綾を追いかけなければならない。この後はバイトの時間だったはずだ。時間が迫っていたから一人で行ってしまったようだ。
別に追いかける必要はなかった。結局追いついても綾はバイトなので、僕は家に帰ることになる。それでも、少しずつ僕の頭に棲みつくストーカーの存在が、僕をバイト先へと向かわせる。まだ陽も出ているし、心配はないと思うけど…。
夢中で走っていると、店の前まできてしまった。綾が働いているのは喫茶店チェーン。いつも呪文のように商品名を唱えている彼女の影響で、僕もこの店の商品は大体覚えた。
「あっ。」
外のガラス越しに店を見てみると、そこには緑色のエプロン姿に着替えた彼女が立っていた。いつもと変わりない笑顔を見せる彼女に少し見惚れてしまう。
お客さんの注文を復唱している最中のようで、外は全く気にしていない。
無事注文を取り終えたようで、少し気の抜けた表情に変わった。
よかった。何事もないのであれば僕がここにいる必要はない。
踵を返して家に帰ろうとしたその時だった。
綾の隣に、井上の姿があった。同じ緑色のエプロンを付けて、綾と何かを話している。そして、あろうことか腕を綾の肩に回して耳元で何かを囁いているようだ。
僕は自分の中から湧き上がる体温を必死に沈めていた。
いくら研究室が同じでも、あんなに親しげにしていいものだろうか。もしかして、井上も綾のことが…。なんてことを考えてしまうと、色々なことが頭を過ってしまう。
僕の頭はさらに嫌な妄想に支配されてしまう。
頭を振る。
井上はいいやつだ。信頼できるやつだ。
俺は家に帰ることにした。一度、頭をスッキリさせたかった。
家に帰り、ベッドで携帯をいじっていても、なんだか落ち着かない。考えるのは良くないと思いつつも、意識すればするほど考えてしまうものだ。
意図もなくニュースアプリの記事を流していく。
外はすっかり陽が落ち、街は眠りにつこうとしている。
綾のやつ、そろそろバイトが終わった頃か…
ーー都内でストーカー被害がーー
僕はベッドから飛び起きた。
ニュース記事の題名を最後まで読めないくらいに、僕は焦っていた。
どうして僕はいつもこんなに行動が遅いんだ!自分の情けなさに苛立ちを覚える。
玄関にかけてある厚めのコートを一枚着る。ポケットを確認して外へ出る。
綾、どうか無事でいてくれ。
うちからバイト先までは約20分。すでにバイトを終えて帰宅途中だと考えれば、綾の家に直接向かい、帰路を逆向きに辿る方が効率がいい。
僕は30分ほどかかる綾の家まで全力疾走した。
少し雪がチラついてきた。僕は咄嗟にフードをかぶる。
綾は雪が好きなので、きっと今頃テンションが上がっているだろう。そう考えて、最悪の可能性から目を背ける。
どうか無事でいてくれ。
街灯もひと気も少ないこの場所なら、綾はすぐに見つかるはずだ。僕は家の近くまで到着し、周りを見渡す。
「綾…!」
運よく見慣れた後ろ姿を見つけた。30メートル近く離れていても、綾のことは見間違えない。
もう家に着くところだったのか、自分の白い息がようやく目にはいる。
綾、綾…!
さっきまで一緒にいたのに、またこんなに会いたくなるなんて。
恋は盲目、他が何も見えなくなる気持ちが22歳になって初めて実感できた。
僕は疲れも忘れて、一目散に彼女の元へ向かう。
走った勢いで、僕は彼女の背中を包み込んだ。
「綾!!」
僕は静まり返った道で叫んだ。すぐにでも綾に今の自分の気持ちを伝えたかった。
好きだ。大好きだ。絶対僕が守ってみせる。
モコモコとした服と綾の体温を感じ、触れているだけで体が温まる。
「あなた…だれ…。」
そう呟いた綾の背中からは、真紅の液体が漏れ出していた。
やけに温かく感じる生々しい感覚だ。
「綾、愛してるよ。これからもずっと一緒だ。」
包み込む左腕にさらに力を入れる。
さっきまで温かかった背中は、液体と入れ替わるようにすっと冷たくなっていく。
ポケットに入れておいたナイフは、綾の背中から右手で引き抜かれる。
「どう…して。」
薄く積もった雪の上に、彼女は倒れ込んだ。雪に液体が染み込み薄い赤色になっている。
僕にはそれが、何よりも美しく見えた。
「大丈夫、僕も今からそっちにいくから。」
抜いたナイフを自分の心臓めがけて突き刺す。
ナイフにこびりついた血から、綾を感じる。
やがて視界はぼやけ始め、僕も綾に被さるように倒れ込んだ。
「これで、ずっと一緒だ。」
僕は最後の力で、冷たくなった唇を重ねた。
ストーカー被害 @wataru803
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