#32 明けない闇夜 その3

 両親が私たちに苦行を課すのは、娘を『天国』に行かせてやりたいという親心もあったのだろうが、最大の理由は、我が子を『天国』に行かせることこそが、自分たちの『天国』行きに欠かせない功徳くどくと信じていたからだ。



 我が子のためと言いつつ、結局は自分のため。

 恐らくは祖父母も両親に同じことをしていたのだろう。



 それが彼らなりの愛情だということは理解していたが、押し付けの善意は相手を苦しめている自覚が無い分、純粋な悪意より罪深く始末が悪い。



 このままでは、私に未来は無い。



 終わり無き苦行に耐え切れず、心身が崩壊して廃人になるか。

 家族のように魂まで洗脳され、骨の髄まで搾取される奴隷になるか。



 どちらも悲惨だが、何があっても後者にだけはなりたくなかった。



 しかし、警察や役所に行ってもまともに取り合っては貰えず、インターネットで現状を発信しようにも、私はスマートフォンどころか携帯電話すら持っていなかった。



 教団が多額の献金を要求して信者たちの経済力を奪い、同時に嗜好品の所有や使用を固く禁じるのは、運営資金を搾取するためであると同時に、外部との繋がりを遮断することで世俗への興味を持たせず、洗脳をより強固にするためでもあった。

 アルバイトで稼いだ給料は全て父に徴収され、教団の献金に当てられていたが、バイト先の店長にお願いして一部を現金支給にして貰い、ヘソクリを作った。



 少女マンガを買って読み、音楽CDを買い、それらを家族にも勧めた。

 新幹線に乗って一人でディズニーランドへ行き、写真とお土産を持ち帰った。

 教団発行の『聖書ハンドブック』を燃やしたり、子供の頃のように、両親が教団から買った壺やら皿やらの品を破壊した。



 当然、それらは直ちに処分され、教義に逆らったとして、私にはきついお仕置きが待っていた。



「お前は悪魔の子だ! 悪魔に魂を売った罪人だッ!」



 子供が不信仰な真似をすると、親や先祖たちが苦労して重ね続けてきた信仰や功徳までもが台無しになって『天国』に拒絶され、それどころか『地獄』に堕ちてしまう。



 我が子が教団や教義に反抗的な態度を取った場合は、どんな手を使ってでも矯正せよ、と両親たちは教え込まれていた。



輝夜カグヤを惑わす悪魔よ、出て行けッ!」



 三日間、食事を抜かれたこともあった。



「これもあなたの為なのよ。あなたを悪魔から救うためなの」



 何日もクローゼットの中に閉じ込められたこともあった。



「そんなに意地を張って、一体何がしたい訳? 理解できないわ」



 薄布一枚渡されて、冬の夜の玄関先に裸で放り出されたこともあった。



「「悪魔退散! 悪魔退散! 悪魔退散!」」



 複数の信者達から鞭打たれたこともあった。



 痛かった。

 苦しかった。

 辛かった。

 寂しかった。


 暴力が、罵声が、軽蔑が、孤独が、怪物となって私をさいなんだ。

 もうやめてしまおうかと、受け入れた方が楽ではないかと、心が折れかけたことも数知れず。



 何度も吐血した。

 何度も入院した。

 何度も死を覚悟した。



 しかし、私が屈してしまえば、私たち家族は完全に教団の闇に呑まれてしまう。



 教義に逆らい続けることこそ、己の正気を保ち、家族の目を醒まさせる唯一の手段だと信じていた。

 その気になれば、家族や教団でも連れ戻せない遠い地へ一人で逃げて、人生をやり直すこともできただろう。



 しかし、私が救いたいのは自分だけではない。

 偽善も欺瞞も無い、平穏な暮らしを家族全員で送る。



 それが私の望み――私が目指す『天国』だった。



 そんな風に、何度制裁を加えても一向に屈服する様子の無い私に悩んだのだろう、両親が手を打ってきた。

 何と、教主自らが私と対面して、直々に意識改革を行う、ということだった。



 少し怖かったが、教団のトップと一対一になれる機会など二度と無いと思い、両親に連れられるまま教団の施設へ向かった。

 私たち一家を脱会させてくれ、などと頼んでもどうせ無理だろうから、せめて文句の一つでも言ってやろうと決心していた私だったが――待ち受けていたのは最悪の展開だった。



 部屋を訪れた私は、いきなり手錠を嵌められ、その勢いでベッドに押し倒された。



「やあ、久し振りだね」



 それをしたのは教主だった。



 薄暗い密室で、手錠を掛けられて身動きが取れなくなった女がベッドに押し倒され、他には男が一人。

 どんなに知能の低い者でも、これから何が行われるかは想像できる。



 教主は七十代、祖父が生きていれば同じくらいの年齢だ。



「君には手強い悪魔が憑いている。だから私が直々に『浄化』してあげよう――」



 そんな言葉と共ににじり寄って来た教主の、好色な眼差しが、歪んだ笑みが、生臭い吐息が、老醜な体が――今でも忘れられない。



 どんな拷問にも精神力で何とか耐えてきた私だったが、この時ばかりは違った。



 今までとは違う恐怖が押し寄せ、叫んだ。

 必死に抵抗した。

 しかし現実はどこまでも非情だった。



「これは君を救うためなのだ。君やご家族が『天国』に行く為に必要な行為! 神の御意思なのだッ! 悪足掻きはやめて、大人しく受け入れなくてはならないのだよ!」



 嘘だ。

 この男は、私を救おうとなどしていない。

 神の教義の下、ただ己の欲望を満たそうとしているだけだ。



 聖人を装って幸福を説きながら、人々を欺き、操り、縛り付け、利を貪ってブクブクと無尽蔵に太っていく――それが真の悪魔でなければ何だと言うのか。



 そんな悪魔に、私は両親によって生贄として捧げられたのだ。

 娘を差し出し、尊厳を奪って恥辱を味わわせる許しを与えるなど、親の所業ではない。

 如何に信仰に傾倒しているとは言え、まさか私も彼らがこんなことをするとは思わなかった。



 誰も彼も狂っている。

 この世には神も仏も無く、居るのはただ悪魔とその奴隷のみ。



「誰か、誰か助けて……! 誰かーーッ!!」



 部屋は防音で声は外に届かず、届いたとしても全員が教主の忠実な奴隷であり、私の味方は誰も居ない。



 服も下着も、尊厳さえも剥ぎ取られた。

 顔を舐め回された。

 体の至る所を触られた。



「さあ、浄めの儀式を……! これで君は救われる! 『天国』へ行けるのだ!」



 恐怖と屈辱が極限に達したその時、私は生まれて初めて暴力を行使した。



「やめてええええええええええええええええええッ!!」



 最後の、決定的な行為をされる寸前で、枕元にあった置時計を引っ掴み、教主を殴り飛ばした。



 昏倒した彼から手錠の鍵を奪って外し、服を取り戻し、骨折覚悟で三階の窓から飛び降りて逃げ出した。

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