六、そうか。だから僕は小説を書いたんだった。
姫の言葉を信じて、僕は小学生の頃の作品と今の作品とを見比べた。姫の絵で描かれたものだけど、僕の書いた物語がどれだけ拙かったかはよくわかった。
だけどわかったのはそれくらいだ。
姫が言う『変化』が何を指しているか、僕にはわからなかった。
昔の僕になりきって書いてみればいいという姫の台詞が頭の中で鳴り響く。
当時と同じように? 僕は当時、どうやって小説を書いていただろう。そもそも、どうして小説を書き始めたのだろう。
僕は一つ思い出してクローゼットの扉を開けた。服や鞄の奥にしまい込んでいたおもちゃ箱を引っ張り出す。
お目当ては一際大きな箱に入ったブロックだった。誰もが知っている有名なやつだが、商標とかの関係がいろいろ面倒なので商品名は伏せておく。
僕が持っていたのは『何とか砦』みたいなものが作れるセット商品だ。だけどパッケージの写真の通りに組み立てたことはない。この通りに作ってしまったら用意された物語しか味わえないと思ったからだ。
だから僕は自分の作りたいようにブロックを並べ、そこにオリジナルの物語を添えた。付属の人型ブロックに当てる設定も、もちろん元のものとはまるで異なる。
「こいつはたしか『悪代官』だったなあ」
異世界の話だったのに、悪代官。じいちゃんの家でいつもかかっていた時代劇の風景が頭のどこかにこびりついていたのだろう。小さいころの僕にとって悪役といえば「おぬしも悪よのお」だった。
幼い僕の遊びは、物語をつくることだった。
初めからたどってみれば答えにたどり着けるんじゃないかと、藁にもすがる思いでこの方法を選んでみたが、どうやら、あながち間違いではなかったらしい。
思い出すという作業をしながらも、頭の中では物語が生まれどんどん育っていく。
おぼろげなイメージだけの物語を安定化させるために、僕は人型のブロックを動かした。
頭の中で台詞をつける。小さいころにはきっと実際に声に出していたのだろう。何となくだがそのときの風景が思い出された。
みんながやる『ごっこ遊び』みたいなものだった。だけど僕のは、他の子たちのものよりも設定が複雑で、決められた時間の中ではエンディングにたどり着かなかった。だからといって『明日またつづきから』ということにはならず、次の日にはまた新しい物語が生まれ、そして消えた。
その再現を僕はしている。
今日はどこまで行けるか。最後までたどり着けるか。
ノックの音がした。
間を空けず「具合どう? ご飯できたけど食べられそう?」と母さんが言う。年頃の息子を尊重して許可が出るまで開けたりしないが、もし今の部屋の状況を見たらどう思うだろう。授業中に倒れて早退した息子が、昔のおもちゃを広げて遊んでいるのだ。
おかしくなったと心配するかもしれない。
「だ、大丈夫。すぐ行くよ」
動揺が少し出てしまった。
だけど母さんは気にした様子もなく「わかった」とだけ言って部屋の前から立ち去った。パタパタとスリッパの足音が遠ざかる。
その音を聞きながら、僕はブロックで組み立てた僕の物語を眺めていた。
続きを取り上げられてしまった物語。
「そうか。だから僕は小説を書いたんだった」
保育園のブロック遊び。せっかく生まれた物語は制限時間のせいで中途半端。誰も「前の日に遊んだ設定の続きから」なんて言いやしない。小学校にあがってもそれは変わらない。放課後の友だちとの時間には制限があって、おまけにその日その日で遊びが入れ替わるから、エンディングのない物語が増えていくばかりだった。
だから僕は小説を書いた。
僕がつくった物語のエンディングを見るために、小説を書いた。幼い子どもの書くものだから『小説』なんてものにはなっていなかった。夏休みの絵日記みたいな幼稚な言い回しで物語を書き留めた。
それが、僕が書き始めた理由。
他にも楽しいことはいっぱいあっただろうに、幼い僕はどうしてそこまで物語をつくることにのめり込んだのだろう。
今一度、古いノートを見た。
拙い物語の中にその答えはあった。さっきはわからなかったのに今ははっきりと感じられる。
ああ、と僕は声をもらした。
この感覚を忘れないうちに書き出したい。今すぐパソコンに向かいたい!
しかし母さんに「すぐ行く」と言ってしまった手前そうするわけにもいかなくて、僕は後ろ髪引かれる思いでリビングに向かった。
小学生の僕がつくった物語はとても拙かった。かろうじて物語になってはいるが、姫の絵がなければとても読めたものではない。
それでも僕は書いていて楽しかったし、自分の作品ながら、読んでいてわくわくした。
なにせ、そこには僕の好きなものがこれでもかと並んでいるのだ。僕が生み出した物語の世界は、僕のための楽園のような場所だった。
幻想世界の生き物や、魔法使いの女の子。勇者は聖剣をたずさえ魔王を倒すし、主人公はいつも僕で、出てくる女の子はみんなかわいくてみんな僕を好きになった。
……今考えれば、そこそこ痛いやつだ。自分にとって都合のいいものを並べてそれを読んで喜んでいるわけだ
だけどそれこそが僕が物語をつくってきた理由だったのかもしれない。
こうなって欲しいとか、こうだったらいいのになとか、そういう希望や願望を物語の中で叶えた。キャラクターも設定も台詞も、好きなものばかりを登場させた。それが楽しくて仕方なかった。
今の僕とかつての僕で違うことというのは、もしかしたらそういうことなのかもしれない。
今の僕は物語をつくるときに好きなものばかりを入れたりしない。
こう書いたらくどいだろうかとか、僕らの作品を好きな読者ならこっちの展開の方がいいかもしれないとか、何より、こう書いたら姫はどう料理してくれるだろうと、そんなことばかり考える。僕の好きや願望や欲望よりそちらを優先させる。
物語という場所が僕にとっての楽園かといえば、今はけっしてそう言えない。
あの子はそれが気に入らなかったのだろうか。だから姿を見せなくなったのだろうか。
「とにかく、姫の言ってたことを試してみるか。昔の僕になりきって、かあ。姫はああ言ったけど、これはこれで結構難しいぞ」
何も考えず思いつくままに、書きたいものばかりを詰め込んだ物語をつくるということなのだが、これを意識してやろうとするとどうしても余計なことを考えてしまう。
「もう、これはあれだな。昔の僕というよりは、そういうキャラクターとして考えた方がいいな」
そういうことなら得意分野だ。俄然やる気が出てきたしうまくできそうな気がしてきた。
ただしそれで本当にあの子が現れるかは、姫の言うところの『知らんがな』というやつだ。
晩ご飯を大急ぎでたいらげると僕は部屋にこもって小説を書いた。
今日の晩ご飯は僕の好きな鶏粥だった。ナンプラーと干しエビの風味が食欲をそそるエスニックなやつで、僕の好物だ。倒れたあとだから気遣ってくれたのだろう。有り難く思いながら、好きなものを詰め込む小説を書く前に、好物が食卓に上がるなんて幸先がいいなと僕は笑んだ。
さて、好きなものばかりでどんな物語を書こうか。
異世界の食事を想像して描くのは好きだから、そういうシーンは入れよう。
勇者が冒険の旅に出る話がいい。
仲間は、キザな奴とお調子者と、元気な女の子と、内気で無口だけれど主人公と二人のときにだけ楽しそうに話してくれる女の子。
主人公はそんなにカッコイイわけじゃない。誠実なだけが取り柄のような、そんな男だ。
でも勇者だから、彼にしかない特別な力があるし、みんなにも慕われる。もちろん仲間の女の子たちにも。
……こんな、男子の願望ばかりを詰め込んだ物語が面白くなるのか? と今の僕はどうしても考えてしまう。
「いやいや。これでいいんだよ。もとはこうだったじゃないか」
そして同じような嗜好の男子にはウケていたじゃないかと自身を励ます。……いや、ウケる必要もないのだ。ただ僕が楽しければそれでいい。
ちらりと背後を振り返った。散らかしたままのブロック。そこから生まれた物語は支離滅裂でも僕を幸せな気分にしてくれるのだろう。
僕は小説を書いた。
誰のためでもなく、自分のためだけに小説を書いた。すっかり忘れてしまっていた、懐かしい感覚だった。
たった三時間ほどでは勇者が旅立つくらいまでしか書けなかったが、そこまででも僕の好物は詰め込めた気がする。
明日書くシーンはどんな風にしようか、どんなフォルムでどんな特技を持つモンスターを登場させようか。そんなことを考えているうちに眠気がやってきた。
大きなあくびをした僕は、ノートパソコンをそっと閉じた。
次の更新予定
僕が物語をつくる理由 葛生 雪人 @kuzuyuki
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