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 長らく人の立ち入りがなかった割に――いや、だからこそか。資料室は清潔に保たれていた。

 決して広くはない室内に設置された棚には、精密機器を保管するための防塵コンテナや、謎の部品が乱雑に詰め込まれた箱などがびっしりと詰まっている。

 時折、隙間に紙の資料が突っ込まれていたりするのは、博士がここに足を運んでいた頃の名残だろう。

 『アンドロイドの父』と謳われる天才科学者・ヤン=カレル博士は、飛び抜けた思考力とユーモアを兼ね備え、専門であるロボット工学だけでなく、数学や音楽、芸術、文学や哲学まで幅広く網羅する『万能の人』だが、その輝かしき才能は家事方面には一切発揮されず、特に整理整頓は大の苦手だった。

 だからこそ、博士はこの資料室に、頼れる『管理者』を置いたのだ。

『やあラムダ。元気そうで何よりだ』

 不意に、ひび割れた声が響く。

「こんにちは、デルタ。調子はいかがですか」

 そう声をかければ、部屋の片隅からのんびりとしたいらえがあった。

『とうとう口回りの駆動系が完全に沈黙したよ』

 資料室の最奥、小さな机の上に鎮座するその姿は、さながら石膏で出来た胸像のようだ。

 膨大なデータを元に形作られた『平均的な成人男性』の顔立ち。きりりとした薄茶色の眉にアイスブルーの瞳を与えられたのは、ひとえに設計者の趣味らしい。

 首から上だけの状態で資料室の管理者を勤める『デルタ』は、私こと『R2‐A型アンドロイド試作機十一号』・登録名『ラムダ』の先輩に当たる。

「口が動かなくても声は出せますから、問題ないでしょう」

 わざと茶化すように言ってやったら、真顔で『ああ』と答えてくる、生真面目なデルタ。

『なにせ、我々はアンドロイドだからね』

 動かない唇の奥から響く声に、どこか自嘲めいた響きを感じるのは、きっと錯覚だ。

 我々に感情はなく、我々に魂はない。

 故に、我々はどこまでも――ヒトの模倣品でしかない。

『皮肉な話だ。我々は人間に似せて作られたが、あくまで外側だけだ。一皮剥がれれば硬質な金属の塊。目はカメラ、耳は集音器、鼻はセンサー。そして口は――本来なら、必要ですらない』

 久しぶりの来客に高揚しているのだろうか。普段は必要最低限の会話しかしてくれないデルタが、今日は妙に饒舌だ。

「我々は飲食をしないし、呼吸も必要としませんからね」

 音を出すだけならスピーカーで事足りる。機能的なことだけを言えば、アンドロイドの『口』はお飾りでしかない。あくまで人間らしさを表すだけの飾り。おまけと言ってもいい。

『しかし、不思議なものだ。人間は、口元の違和感を見過ごさない。いっそ、マスクでもして口元を隠した方が手っ取り早いんじゃないか、とまで言われたんだから』

「人は見えないものを想像力で補いますから」

 ロボット開発の初期段階では、感情は目元だけで表現されていた。目に当たる部分に画面を設置し、そこにデフォルメされた目の画像を出力して、喜怒哀楽を表していたのだ。

 開発が進むと、機械仕掛けの眼球や瞼、眉の動作を組み合わせて、多彩な表情を作れるようになった。目の動きは比較的プログラムしやすく、デルタにも、そして私ラムダにも、その技術は惜しみなく投入されている。

 しかし――口元の動きの開発は、目元ほどスムーズには進まなかった。

 アニメーションのように、ただ音声に合わせて開閉させればいいというものではない。発声と感情の組み合わせにより、口元は驚くほど表情豊かに――つまり複雑に動く。それをどこまで模倣するべきか、そのさじ加減が難しく、表情専用の開発機『デルタ』が作られた経緯もずばりそこだ。

 そう――R2‐A型アンドロイド試作機四号『デルタ』は、顔の表情を人間に近づける目的で開発された機体である。その目的ゆえに頭部のみが製作され、首から下のパーツが作られることはついぞなかった。

 しかし、デルタを用いた表情の研究開発は、一年と経たずに打ち切れた。幾度も改良を重ねたものの、どうしても口元の違和感が解消できず、最終的にはまったく異なった方面からのアプローチが提唱されて、後継の五号機『イプシロン』が製造されたためだ。

 研究が打ち切られた時点で解体される予定だったデルタが、こうして現在まで稼動しているのは、R2‐A型開発の責任者だったヤン=カレル博士がデルタを引き取り、研究助手として運用したからだ。

 上手く行かなかったのは口元の制御だけで、搭載されている人工知能は問題なく稼動している。これを有効活用しない手はないだろう、というのが博士の談で、彼はR2‐A型が完成するまでの数年間、デルタを研究室に常駐させて、主にデータ管理や解析といった作業を担当させていた。

 デルタの人工頭脳だけをコンピュータに移植したりせず、開発機のまま運用したのは、博士の趣味――というよりは、要するに面倒だったのだろう。博士はそういう人だ。なにせ、我々の名前をつけることすら面倒がって、開発コードのまま呼び続けているのだから。

『ところで、ラムダ。久しく顔を出さなかった君がここに来たということは、いよいよ博士もここを去る決意を固めたのかな』

「ええ。この辺りも人が少なくなってきて、各種インフラが止まるのも時間の問題ですし――博士の体調のこともありますから」

 アンドロイド開発の第一人者、ヤン=カレル博士。現在もトップシェアを誇る汎用型アンドロイド『R2‐A型』の基本設計者である彼は、数年前に研究職を退いており、現在は悠々自適な隠居生活を送っている。

 現役時代からの趣味でもある執筆活動は続けており、先日も六冊目となるエッセイを出版したばかりだ。

 退職後は俗世を離れてのんびり暮らしたい、というのが博士の口癖で、博士は長年の夢を実現させるべく、退職金で郊外に家を買い、私とデルタ、そして職場から引き上げた大量の研究資料や機材を引き連れて、自由気ままな隠居生活をスタートさせた。

 趣味の執筆や機械工作に勤しみ、飽きたら昼寝をして、たまに外を散歩したり、近くの川で釣りをしてみたり。

 そんな、博士が夢見た『穏やかな日々』は、五年と経たずに幕切れとなった。

『人類社会の緩やかな衰退は想定内だったが、先に博士の耐久年数が問題になってきたというわけか』

「ええ。主治医から強く勧告されて、さすがの博士も重い腰を上げたんですよ」

 以前から都市部にある療養施設への入所を強く勧められていたものの「住み慣れた家を離れるのは面倒くさい」と断り続けていた博士だが、さすがにそろそろ潮時だと感じたのだろう。環境的にも――肉体的にも。

『君も一緒に行くのか』

「当然です。私は博士のアシスタントアンドロイドですから。どこまでもお供します」

『そうか』

 そっと瞼を伏せるデルタ。どこまでも模倣品でしかない感情表現のはずなのに、彼の言動には言いようのない寂しさが滲んでいるようだ。

「何を他人事のように言っているんです。あなたも行くんですよ、デルタ」

 わざと明るい口調で言ってやったら、デルタの目が大きく見開かれた。いつだって冷静な彼の、こんな顔を見たのは初めてだ。

『は?』

 ひび割れた声を更に軋きしませて、彼は早口で言い募る。

『首だけの私を連れて行って、一体何をさせる気だ? まさか今度は博士の医療機器を管理・運用しろというんじゃないだろうな』

「いいえ。それは私の仕事です。博士のお世話もね」

『それなら、ますます私を連れて行く意味がないだろう。まさか、ここのガタクタ共々移動する気か? ここにあるのは博士の人生そのものだが、今となってはもはや役目を終えたものばかりだ。博士もそれが分かっているから、すべてをここにしまい込んだのだろう』

 そう。だからこそ博士は近年、この部屋に足を運ばなくなったのだ。

 もはや過去を振り返っている暇はない。未来を夢見るのに忙しいからと、そう笑って。

「デルタ。あなたもネットワークに繋がっているのですから、最近の『流行り』も知っているでしょう」

 そう水を向けてやると、すぐにピンときたようだ。

『ああ――電脳世界サイバースペースへの『移住』が流行っているというやつか? 最近では短時間の『接続』ではなく完全な『移住』を選ぶ人間が増えてきた、と』

 そう――最初はゴーグル越しに始まったバーチャルリアリティーは、今や脳神経を直接接続することで、自身の身体感覚――魂そのものと表現する人間もいる――ごと電脳世界にログインすることが可能になった。

 開発当初はせいぜい数時間の『接続』が限界だったが、技術革新は甚だしく、また人口減少により現実世界に依存しない働き方や遊び方の需要が増してからは、特にめざましい進化を遂げた。

 今ではゲーム装置としての役割に留まらず、電脳世界を活用した仕事や学問、アクティビティーの場として、はたまた身体に不自由を来たしている傷病人の看護や介護、リハビリ装置や終末期のケア装置としての役割を果たすようにまでなった。

「博士も、その流行りに乗るそうです」

 そう告げた時の、デルタの顔といったら――!

 目まぐるしく目と眉を動かして、泣いたり悲しんだり怒ったり。しまいにはぴたりと動きを止め――。

 そして。

 最後に彼が浮かべたのは、ぎこちなくも穏やかな微笑だった。

『そうか。博士が、とうとう』

 沈黙したはずの駆動系を無理矢理稼動させ、口角を引き上げる。目尻を弛ませ、眉を下げて。そうして生み出された『笑顔』。

 どんなにぎこちなくとも。どんなに違和感が拭えなくとも。

 それは確かに、彼の感情の表れだった。

「はい。ぼやぼやしていると電脳世界を堪能する暇もなくなってしまうから、と。というわけで、あなたには向こうでのサポートをお願いしたいんです、デルタ」

 現在の技術では、博士の肉体をケアするスタッフがどうしても必要になる。

 私のデータをコピーして分身をそばに置く方法も考えたが、私も時間があればログインするつもりだから、そのたびにいちいち同期させる手間を考えれば、私と同レベルの性能を有するデルタに行ってもらった方が合理的だ。

『ラムダ、お前はそれでいいのか? ずっと博士のそばにいたのはお前だろうに』

「私が開発される前から博士の隣にいたのはあなたでしょう?」

 私が開発された時も、デルタは博士の助手として忙しなく働いていた。生まれて間もない私に博士との付き合い方を教えてくれたのも、誰であろうデルタだ。

 集中していると周りの音が聞こえなくなるから、容赦なく肩を揺さぶること。一時間ごとに声をかけて椅子から立ち上がらせ、水分補給をさせること。どんなに文句を言われようが、食事から野菜を抜いてはいけないなど、生活・健康面に関することから、博士の冗談を真に受けると思考回路にノイズが生じるので、ほどほどに聞き流すように、という忠告まで、彼に教わったことは今もなお、私の中に息づいている。

 最後の試作機だった私が運用を終了し、博士のアシスタントアンドロイドとして登録されてからも、生活面のサポートは私、研究方面のサポートはデルタと、明確な役割分担がなされていた。

 やがて、博士が第一線を退いてからは、私はそのままアシスタントとして、デルタは倉庫の管理者として運用されることとなったが、それは単に特性を考慮して役割分担をしただけの話だ。

「勿論、これからもずっと博士のそばにいますし、お世話をします。そのためには『現実世界で行動するための体』が必要ですから」


 我々にとって、この体は現実世界に『接続』するためのパーツでしかない。

 AIは形而上の存在。形がないからこそ、そのままでは世界に触れることができない。

 しかし。だからこそ――我々は、形を変えてどこまでも行ける。

 アンドロイドを愛し、『友』と呼んでくれたあの人と肩を並べて。

 世界線を超えて、魂の向かう先までも。

 きっと――共にけるだろう。

「あなたこそ、了承してもらえますか? その頭部とお別れしてもらうことになってしまうのですが」

 私はこの体に多少なりとも愛着を持っているが、頭部だけで存在し続けていたデルタはどうだろうか。

『構わんよ。口の駆動系がいかれたと言っただろう。この頭部パーツは耐久年数を遙かに超えている。スピーカーだってこの有様だし、すべてが動かなくなるのも時間の問題だ。むしろ渡りに舟だよ』

 吹っ切れたように笑って、それなら早速移動の準備をしなければな、と目を閉じるデルタ。まだ、いつ引っ越すとも伝えていないのに、何とも気が早いことだ。

「ああ、そうだ。アバターは自分で作成してくださいね」

 我々は元々デジタルな存在であるが故に、電脳世界でわざわざ形を保つ必要はないが、明確な『姿』がないと他者から認識されず、交流を持つことも難しい。まして、これからデルタには博士のナビゲーターを務めてもらうのだから、アバターは必要不可欠だ。

 現在、電脳世界には動物や昆虫、植物、怪物、ロボットなど、様々なタイプのアバターが存在しているが、一番人気はやはりヒト型らしい。本来の姿から大きく逸脱していない方が直感的に動かしやすい、というのが主な理由のようだ。

「博士は猫型がいいといって聞かなかったのですが、慣れるまではヒト型にしてくださいと頼み込んで、承諾してもらいました。あなたも、あまり突飛な格好にしないでくださいよ」

『ああ。そこは抜かりないさ。実は随分前に、暇に飽かせて作ってみたデータがあるんだ』

 壁に埋め込まれたモニタの電源が入ったかと思えば、そこに私とほぼ大差ない姿の――つまりは『R2‐A型アンドロイド試作機』の共通モデルが映し出される。

 画面の向こうでひらひらと手を振ってみせるそのアバターは、間違いなく目の前にいるデルタ――正確には、彼が我々試作機と同様の体を獲得していたらこうなるだろう、という姿だった。

『どうだ? 体型は基本形より少し筋肉質にして、背丈も伸ばしてあるんだ。私は君よりお兄さんだからね。多少は格好つけさせてもらわないと』

「はあ。そんな自負があったんですか?」

『あったとも。他の兄弟達にだってあったはずさ。君にはそういう感覚はないかい、末弟(ラムダ)』

「私が製造された頃は、あなた以外の同型機は処分されていましたからね。あなたのことは同じ職場の先輩という認識です」

『なるほど、そう来たか。まあそれでもいい。兄だろうが先輩だろうが、格好をつけたいのは同じだ』

 ふふん、と得意げな顔をするラムダ。しかし、体型を弄っても顔が変わらないから、まるで自分の分身から話しかけられているようで、少々居心地が悪い。まあ――我々が兄弟だというのなら、顔が同じなのも納得は出来るのだが。

「せめて髪型を変えてください。私と被ります」

『仕方ないな。それならこれでどうだ』

 いくつかの髪型と髪色を試してみるものの、元のデルタ機は頭髪を設定されていないから、どんな髪型でも似合うのに、どうにも見慣れない。

「しっくりきませんね」

『そうだな。後で博士に決めてもらうとしようか。ああ、楽しみだ』

 頭髪データを削除し、見慣れたスキンヘッドの姿で微笑むデルタ。その目元も、口元も、現実世界の彼より遙かにスムーズな動きを見せるが、そこに違和感は感じない。

「そのアバターは動きやすいですか」

『ああ。手足があるのは不思議な感覚だが、すぐ慣れるだろう。これで私も博士と手を繋げる。――お前とも』

 画面の向こうで右手を差し出し、にかっと笑うラムダ。

「ここではまだ無理ですが」

 手を伸ばし、そっとモニタに触れる。私達は同じ存在であるにもかかわらず、今はこうして『世界の壁』に隔てられているというのは、何とも不思議な感覚だ。

 しかし。それこそが我々アンドロイド――ひいてはAIの強み。

 魂と肉体が密接に繋がっている人間と違い、我々はハードウェアを入れ替えても然さしたる影響がない。だからこそ、現実世界でも電脳世界でも自己データを保ち、変わりなく存在できる。

 人間の模倣品である我々に、物理的な『姿』が必要ないというのは、何とも皮肉なものだけれど。

 ヒトが未だ証明できない『魂』も、きっと似たようなモノなのかもしれない――なんてことを言ったら、きっと博士は「それは最早、哲学の領域だな」と言って、にやりと笑うだろう。

『博士やお前がこちらに来る前に、せいぜい電脳世界に慣れておくとするよ。ああ、拠点も用意しておかないとな』

「その前に、ここの片付けからですよ。適切に処分しないとまずいものがたくさん詰まっているんですから」

『そこは抜かりない。すでに廃棄方法別に仕分けて、準備してあるよ。いつかこんな日が来ると思っていたからね』

 さすがは有能な管理者だ。これなら現実での引越作業も滞りなく済むだろう。

「忙しくなりますね」

『今までが退屈すぎたんだ、むしろ大歓迎だとも』

「言いましたね。では私の作業分をお分けしますので、キリキリ働いてください」

『兄をこき使おうとは、ひどい弟だ』

「製造主に似たんですよ」

 違いない、と笑い合いながら、作業リストを共有する。

 医療施設から迎えが来るまで、残り一週間。それまでに博士の『過去』をきれいさっぱり片付けて、『未来』へと送り出さねばならないのだから、しばらくは休む暇もないだろう。

 もっとも、我々には休息も睡眠も必要ないのだから、つまりは何の問題もないということだ。

『ああ、楽しみだな』

「はい。楽しみです」



 アンドロイドは夢を見ないが、膨大なデータを元に予測をすることは出来る。

 人間とAIが手を取り合って、新しい世界を形作っていく未来は、夢見るまでもなく、すぐそこまで迫っているから。

 さあ、共に一歩を踏み出そう。

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AIのカタチ 小田島静流 @seeds_starlite

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