アオハル*マリッジ

とんそく

第1話 人と魔法の物語



──かつて、世界には『魔法』がありました。



魔法は心を持ち、世界に数多の恵みをもたらしました。



はじめに、土を。


つぎに、太陽と月を。


それから、火と水を。


やがて、生命が芽吹き、人が生まれました。



人は文明を築きました。



文明は世界に、魔法よりも多くのものをもたらしました。



いつしか、世界は魔法を忘れました。



忘却は、心を持つ魔法にとって、死も同然でした。


けれど、魔法は失われませんでした。



──世界のどこか片隅の、霧深い山と森に囲まれた『町』。



その『町』だけは、魔法を忘れていませんでした。


そして、今なお、人と魔法が共に在り続けていました──。







──はやく、はやく……!もうはじまっちゃうよ……!


──まって!まってってば……っ!



小さな子どもが二人、手を繋いで駆けていく。


あれは──昔の『俺達』だ。


夢は、いつかの記憶だった。


星が照らす草原を二人で走って、目指したのは──丘の上の図書館。


……あの日、俺達は『儀式』を覗くために、あそこへ行ったんだ。



──ほら、こっち!ここから見える!すっげえ……!


──『りょう』ずるい……おれにも、見せろよ……!



今でも覚えてる……幼馴染のあいつと、窓にへばりついて競うように見た光景。



青白い光が部屋いっぱいに舞って、銀河みたいにきらきらして──いつまでも、胸がドキドキしていた。



──いいなあ……おれもはやく大人になって『本』をもらいたいなあ……。


──……そうだな。



それから、あいつの寂しそうな顔も、覚えてる。


けど、どうしてそんなこと……今になって、夢に見てる?



──おれ……本当は……だって……。


──だから……大人になっても……もらえないんだって……。



──じゃあさ……!



俺……あいつに、何か、大事な約束を……。



──お前が大人になったら……その時は……。



その時は──……。








──ジリジリジリジリジリジリ……!



「──……っ!」


──耳をつんざくようなベルの音で、思わず飛び起きた。


音の主を止めようと、ヘッドボードの時計を振り返る。



『11月15日 7:00』



──ああ、この日が来たか……。


ディスプレイの日付に、ちょっとした感慨を抱きつつ、時計に手を伸ばしかけて──気付く。


「これが鳴ってたわけじゃない……?まさか」


俺はベッド下を覗き込んだ。すると──。


──ごんっ!


「……痛ぁっ!?」


……額に勢いよく『何か』がぶつかってきた。


「っ、この……!」


じんじん痛む額を手で押さえながら、『何か』──もう一つの『目覚まし時計』を必死に追いかける。


だが『目覚まし時計』は俺を弄ぶように部屋を飛び回り、ついには、俺の頭の上に乗っかって──。


『オハヨウ、リョウ!オハヨウ、リョウ!ハヤクオキロヨ、コノスットコドッコイ!』


……煽ってきやがった。


「……はあ」


ため息を吐いて、俺はようやく……頭の上で跳ねる時計を捕まえる。それから──。


「……ふんっ!」


『ギエッ!?』


部屋の壁に、勢いよく投げつけてやった。これでしばらく静かになる。


『オボエテロヨ……』


「はいはい」


壁際で呻く時計を尻目にベッドを降りる。全く……毎日毎日、迷惑な奴だ。


けど、仕方ない。


──『物』が喋り、飛んで跳ねる……こんなことは、この『町』の日常なのだ。



――人と魔法が共に在る町・『カナウ』。


俺が生まれ育ってきたこの町には、何百年も昔から、今に至るまで『魔法』が在り続けている。


『魔法』っていうのは、ざっくり言えば『ありえない奇跡を起こせる精霊』のことだ。


心があり、気まぐれに生きる彼ら──『魔法』は、姿を持たない。

だから『魔法』は、この『時計』みたいに──そこらにある『物』を依り代にして、人と交わる。


そうして、人を利用したり、人に利用されたりする……そんな『共生関係』を、この町でずっと築いてきたのだ。


例えば、こんな風に──。


『リョウ……今日は特別な日よね?なら、今夜は昔みたいに、私の中に入って、二人きりで過ごしましょう……?』


「結構です。もう予定があるので」


『つれないのね……こうやって毎日、私を開いて触れてくるくせに……』


「そうだな。今のお前、クローゼットだからな」


『私はモノ扱いってこと……?!陰湿な人……っ!』


「痛っ!?おい、扉を閉めて、腕を挟むな……っ!?どっちが陰湿だよ!」


……いや、これは『共生』と言うのか疑問だけど。


とりあえず、さっさと寝間着から服に着替え、部屋を出る。



「おはよう、母さん」


「あらぁ、おはようりょう。そこに座ってなさい。今、朝ご飯出すわね」


台所で母さんに声をかけてから、居間のテーブルにつくと、独りでに椅子が自らを引いて、俺を座らせてくれた。


程なくして、台所から皿とコップが飛んでくる。

トーストが載った皿と空のコップだ。コップはテーブルに着くと、底から勝手に牛乳が湧いてきて満たされた。もちろん、これも『魔法』。


母さんの前では、厄介な『魔法』達も、こうして従順になる。『魔法』は、器を認めた大人にしか力を貸さないのだ。


それはつまり、俺の母さんは、若作りしてるけど結構歳──。


──さく……っ!


「!?」


「まあごめんなさい、遼。元気なフォークが不躾な息子の方に飛んでいってしまって」


「だ……大丈夫。トーストに刺さっただけだから」


「ふふ。今日はあなたの誕生日でしょう?皆張り切ってるみたいだから……気をつけるのよ?」


「は、はい……」


『怒られた!怒られた!』


『ママに逆らうなんてリョウは学ばないなあ』


『お馬鹿さんだもんねえ?』


……この家のヒエラルキーを『魔法』はよく分かってる。要するに、奴らに舐められてる俺は、ひよっこってことだ。


──ま、あんまり『魔法』の扱いに慣れたくもないけどさ……。


何とも言えない気持ちでトーストを齧っていると、ふと、いつもならこの時間、食卓にいるはずの存在が見えないことに気づく。俺は母さんに尋ねた。


「あれ……父さんは?」


「昨夜から『診療所』の方に詰めてるわぁ」


『診療所』──というのは、うちの家業だ。


『アオイダ診療所』。


俺の父さんは、ここの町医者だ。でも、ただの町医者じゃない。人ももちろん診るけど、専門は……『魔法』。


例えば、どういうのを診てるかっていうと──。


「出来心でパンツに憑いたら抜けられなくなった『魔法』が来たそうよぉ。このままじゃタマの垂れた爺さんに穿かれる!って大騒ぎなんだって。パニックになって、力が上手く出ないせいね〜……今、必死に父さんが宥めてる」


「相変わらずアホくさい理由だな……」


姿を持たない『魔法』は、怪我こそしないが、心があるから、病気にはなる。


要するに『魔法医』としての父さんの仕事は『魔法』のメンタルケアなのだ。


……日頃、振り回されてる俺からすると、あいつらにそんなケアがいるとは全く思えないんだけどな。


『ああ心が痛い!痛いよお!』


『バカにアホって言われたら、もうおしまいだあ』


そんなことを考えれば、すぐに『魔法あいつら』から声が上がる。


「……うるさい」


俺はじたばたするカップを両手で押さえつけて、牛乳を一気に呷った。


すると、それを見た母さんが、俺に微笑む。


「……遼もそろそろ将来のこと、準備しないとね」


──将来。


「……まだ、だいぶ先のことだろ」


避けたい話題を誤魔化そうと、俺は返事を濁す。

けど、今日の母さんは俺を逃してくれなかった。


「……でも、遼も今日で十六歳になるのよ?今晩の『儀式』を終えたら、この『町』ではもう成人になるんだから。診療所うちのことも、少しずつ覚えないと──」


「それは……そうだけど」


……母さんが言いたいことは分かってる。


けど、俺自身、それに何て答えるべきか、そもそもどうしたいのかさえ、まだ分からないのに──。


押し黙る俺に、母さんは追い討ちをかけるように、言った。


「……まさか、他に考えてる将来でもあるの?」


「っ、それは……」


喉元に剣を突きつけられてるみたいに、唾を飲むのもままならない。カラカラの喉で言葉を絞り出そうとした、その時──。



──カラン、カラン。



玄関の方で、呼び鈴が鳴った。


「……あら、こんな時間に誰かしら?」


母さんが俺から視線を外す。

これ幸いと、俺はカップを置き、席を立った。


「たぶん『千蔭ちかげ』じゃないかな?も、もう行かないと!」


「あ、ちょっと……遼!まだ話が……」


「約束してるんだ!帰ってから聞くよ……行ってきます!」


母さんの制止も聞かず、俺は逃げるように家を飛び出す。


玄関のドアを閉めたところで、ほっと息を吐くと、俺は呼び鈴を鳴らしてくれた『救世主』に声を掛けた。


「……マジで助かった。ありがとな──『千蔭』」


「──別に、助けてはねーよ」


そう、ぶっきらぼうに返すこの男こそ、『千蔭』こと『佐倉千蔭さくらちかげ』……俺の幼馴染だ。


物心ついた時から、この『カナウ』の町で一緒に育った千蔭は、幼い頃の俺にとって、唯一の『人間』の遊び相手だった。


今でも、一番、心を楽にしていられる存在だと思うし、なんて言うか……通じ合ってるなって思う。


それはきっと、千蔭の方も、同じ──。


「何ニヤニヤしながらこっち見てんだよ、キモ。寄んな」


……同じ、だよな?

そうさ、千蔭は素直じゃないからな。


俺は「行こうぜ」と千蔭の肩に手を回した。それはすぐに振り解かれたが、俺達は自然と並んで歩き出す。


今日は学校が休みで、夜まで特に予定はない。

……ついでに、家には何となく居たくない。


そんな日は大抵、どっちかがどっちかを誘いに行って、いつもの場所で、何をするでもなく過ごすのが流れだ。



朝陽に照らされるカナウの町中を抜けて、俺達は高台にある『いつもの』喫茶店に入った。


澄んだ空に冷たい空気。


緑やオレンジが鮮やかな、切妻屋根の木造建築が点々とする町並み。


色づいた紅葉や銀杏並木、遠くにそびえる青い山々……ここからの眺めは悪くない。秋はカナウが一番美しい季節だ。


色々と変な田舎町だけど、それでも、俺が町を嫌いになれないのは、この景色が心にあるからだと思う。


──だから、迷うんだよな……。


コーヒーにミルクを入れながら、ぼんやりと窓の外を眺めていると、ふいに、千蔭が口を開いた。


「……てか、さっきの『助かった』ってマジで何のことだよ。説明しろ」


そういえばまだ話してなかったな。俺はコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、言った。


「あー……まあ、いつものだよ。進路のことで、母さんに詰められてた……みたいな」


すると、千蔭が「はあ」とため息を吐いて首を振る。


「……そりゃ仕方ないな。お前、ちょっとぼんやりしてるように見えるし、おばさんも心配するだろ」


「……う」


「ま、そうじゃなくても、進路のことはぼちぼち考えとけばいいんじゃね?遼って、何決めんのも時間かけるし」


「……ぐぬ」


呆れ混じりに言った千蔭に、返す言葉もない。


とは言え、言われっぱなしも癪なので、俺は反論を絞り出した。


「ぼんやりはしてない。俺にだって、それなりに将来の展望はある」


「へー、例えばどんな?」


「それは……」


コーヒーを啜り、窓の外に視線を遣る。


あー………小鳥が鳴いてるなー……。


「遠い目をするな」


「う……お、俺の将来は……」


……たっぷり溜めてから、俺は言った。



「……今日の『儀式』で分かる」



──この町では、十六歳を迎えた子に『本』が与えられる。


『本』とは、カナウで子が生まれた時に、大いなる魔法によって、町の大図書館に収められるもので、生まれた子の前世から未来までの全てが記録されているらしい。


その『本』を、町での『成人』となる十六歳の誕生日の晩に、子に還すのが『儀式』なのだ。


そして、今日が……俺の十六歳の誕生日。


つまり、『儀式』で『本』を手に入れて──。



「『本』に書かれた未来のページを見れば……俺の将来が分かる!」



「……要するに、自分では特に決めてないってことだな?」


「見方を変えれば……そういうことかもな?」


「だっせえ」


バッサリと千蔭に切り捨てられる。


……まあ、俺だって、自分の未来をまるっきり『本』任せにするつもりじゃない。


呆れ顔の千蔭に「まあ待て」と俺は続けた。


「このままだと、俺はたぶん……家業を継ぐことになる。でも、『本』に記された未来が、それ以外の可能性を俺に示していれば……また違う道も考えやすくなるだろ?」


「……なるほどな」


俺の言いたいことは察してくれたらしい。

千蔭は砂糖のたっぷり入ったコーヒーを啜って、頷いた。


「……『本』に書かれた未来は、町の大人達にとっては絶対だ。例えば、遼が……町を出る未来が書かれてたとしても、それが『本』に書いてあったことなら、誰も止めねーだろうな」


頬杖をついた千蔭が、カチャ、とカップを置く。

俺は、つい否定した。


「いや、町を出たいとか、そんな具体的には考えてないけどさ……」


「いいって、隠すなよ。俺も止めねーし」


「それはなんか寂しいな。泣いて引き留めろよ」


「キモいこと言うな」


「いて」


……デコピンされた。


だが、額を抑えていると、千蔭がぽつりと言った。


「……遼にとって、この町の『魔法』は鬱陶しいだけだろ」


千蔭が顎でしゃくって、俺の手元を差す。

視線を落とすとカップと目が合った。知らぬ間に、カップはソーサーの上でくるくると踊っていたらしい。


回るカップは俺の視線に気づくと、回るのを止めて、代わりにこう歌いかけてきた。


『あなたもこの町で回り続けるのよ』


「……先のことは分からないだろ」


『分かるよ。魔法は全てを知ってる』


『さいしょからきまってるんだよ』


「!」


気がつくと、窓の向こうの銀杏の木も、店の隅のオーガスタも、俺に向かって喋りかけてきていた。……千蔭と話していたから、気づかなかった。


声は一度耳に入ると、止めどなく、俺の頭に流れ込んでくる。


『抗うなんてムダだよ』


『出て行くなんてダメダメ』


『今さら外で生きていけるわけがないよ!』


──うるさい……。


「こいつら、お前に何か言ってるのか?」


俺の反応を見て、千蔭が眉を寄せる。

……千蔭には、こいつらの言ってることは聞こえないのだ。


この町で『魔法』の声が聞けるのは、俺と父さんだけだ。

だからこそ、うちは町で唯一の『魔法』の医者をやってる。


俺は奴らの声を頭から追い出しながら、千蔭に言った。


「いつものうるさいお喋りだよ。大したことない……」


『愚かな子』


『ここでしか開かない花だけがリョウの取り柄なのに』


『ずっとここにいればいいのよ!』


「……」


「……ふん」


黙る俺に、千蔭は鼻を鳴らすと、突然──ドンッとテーブルに拳を叩きつけた。


カチャンと鳴ったカップの中でコーヒーが跳ねる。


──途端に『魔法』の声がしなくなった。


「これでいいか?」


千蔭が俺に尋ねる。すっきりした頭で、俺は頷いた。


「……かなりマシになった」


「じゃあいい」


そう言うと、千蔭は手招きしてメニューを呼んだ。

赤い革張りの表紙のそれをペラペラと捲る千蔭に、今度は俺が尋ねる。


「何か食うのか?」


「……遼が」


「俺?何で?」


「だって、今日誕生日だから……」


言いかけて、千蔭がハッとする。

その顔で察した俺は、口の端が緩むのを感じながら、あえて訊いた。


「誕生日祝いに千蔭が奢ってくれるってことか?」


「い、いらねーなら、俺一人で何か食う!」


「何でだよ!いるいる!嬉しいよ、ありがとう!『ちーちゃん』大好き」


「その呼び方やめろ!クソ……ッ!」


顔を真っ赤にして、メニューを振りかぶる千蔭を「まあまあ」と宥める。


それから俺達は、陽が落ちるまで……何をするでもなく、いつもの場所でいつも通り、適当に過ごした。


──やっぱり、千蔭は俺の『救世主』だな。



けど、まさか……この時は思ってもみなかった。


その『千蔭』の存在が、俺にとんでもない『未来』を呼ぶことになるなんて──。





葵田遼あおいだりょう……前へ」


「はい」


夢で見たいつかの『儀式』の記憶と同じ──青白い光が舞う、大図書館の真ん中で、俺は一歩を踏み出す。


ふと、窓の外を見ると、よく知った奴の頭が見えた気がした……きっと、千蔭だ。


『儀式』は、俺と『司書様』の二人きりでする決まりだから、外から見守ってくれてるのだ。


──「適当に時間潰してくる」とか言ってたくせに……。


「……こちらを向いて」


「あ……はい」


『儀式』を執り仕切る老翁──『司書様』に促されて、俺は視線を戻す。


夜空のように深い濃紺のローブを被った司書様は、俺の目を見据えて言った。


「今から、貴方に『本』を還す。今日をもって、貴方は成人……今までは、この図書館で大切に護られてきたこの『本』も、これからは貴方と共に在る」


「……はい」


俺が頷いたのを見て、司書様は懐から『本』を取り出した。


光が舞う部屋の中で、ひときわ輝くその『本』を司書様が俺に差し出す。


俺は、恐る恐る、『本』に手を伸ばした。


『本』が放つ光は、近づくと、ほのかに温かい。

厚い革の表紙に触れ、司書様から俺に『本』が渡ると、手にずっしりとした重さを感じた。


──ここに、俺のこれまでと……『未来』が、詰まってるっていうのか……?


手の中の本を見つめていると、司書様は俺に言った。


「……『未来』が見たいなら、その頁を開きなさい。『本』はもう貴方のもの。貴方には知る権利がある」


「は、はい……」


「だが一つ……大事なことがある」


「大事なこと?」


司書様は深く頷き、こう続けた。



「ここに示されている『未来』は……まだ『可能性』。本当の『未来』は、己の手で開きなさい」



──……俺の、手で。



できるだろうか?


だけど、俺は……俺にどんな『可能性』があるのか知りたかった。


それを知って、俺の中に何が生まれるのか、知りたかった。


「……っ」


覚悟は決めた。

目で合図すると、司書様は俺に教えてくれた。


「目を閉じて、『未来』を思い、『本』を開きなさい。さすれば、次に目を開いた時、『本』は貴方に示すでしょう──」


言われたまま、俺は目を閉じた。


──見せてくれ……俺の、『未来』を……!


表紙に手を掛け、ゆっくりと『本』を開く。


それから、こわごわと瞼を持ち上げると、白く眩しい光が俺の視界を覆い、やがて、ある光景が浮かび上がってきた──。






『……あー、今日も疲れたなあ』


『毎日、毎日……本当、嫌な仕事だよ』


──暗い夜道を、ぶつぶつと愚痴を吐きながら歩いているスーツの男がいる。


あれは……俺、か。


暗いからはっきりとは見えないが、直感的に、あれは俺だと分かった。『本』が俺にそう伝えているのかもしれない。


……スーツ着てるし、働いてるんだな。どんなことしてるんだろう?


口ぶりからして、好き好んでやってる仕事じゃなさそうだけど。


……ということは、家を継いだのか?


俺は、町に……居続けているのか?


ややくたびれた『未来』の俺の姿に、様々な憶測が頭を巡った……その時だった。



『……ダメだ、ダメだ!せっかく……と……できたのに、こんな顔で家に帰ったら……に怒られる』


『早く帰ろう!……が待ってる』



『未来』の俺の口調が、明るいものに変わる。


肝心なところが聞き取れなかったが、『未来』の俺にはどうやら……家で待っている人がいるらしい。まさか。


──け、結婚してるんだな……俺?


これも、直感的にそう感じたから間違いない。


『本』は俺に……『未来の伴侶』を示そうとしているようだった。


──町に歳の近い女子は、いない。『外』の学校には、クラスメイトとか……女子はいるけど。いや、年上かもしれないし。そもそも、今知ってる相手とは限らないよな?


思いがけない方向の『未来』を示されることになり、胸がドキドキしてくる。この先を見たいような、見たくないような気持ちが、ないまぜになる。


……が、そんな『今』の俺の気持ちも知らず、『未来』の俺は、ついに家らしき場所の玄関前に立っていた。


──い、一体、誰が、この向こうに……!


『未来』の俺がドアノブを捻る。そして──。








『ただいま──【千蔭】!』





──……パタン(本を閉じる音)



「……ん、何か見えましたかな?」


「いや……ちょっと、見間違えたかも……」


「では、もう一度、開くとよいでしょう」


「……そうします」


よく瞼を擦ってから。

俺はもう一度、目を閉じ、本を開いた──。


──見せてくれ……俺の、『未来』を……!





『ただいま、【千蔭】』


『おかえり……ちょっと遅いんじゃねーの?遼──』



見 間 違 え じ ゃ な か っ た 。



……ドアを開けた先にいたのは、間違いなく、我が幼馴染の『千蔭』だった。


今より少し大人びているが、間違いない。

これは絶対に千蔭だと『本』は俺に伝えてきている。



──つまり『未来』の俺は、千蔭と結婚した……ということ。



……待て待て待て、待って?



俺と千蔭は幼馴染で、全然、全くそういう関係じゃない。そりゃ、町の『外』じゃ、男同士は別に珍しくないって聞くけど!けど……!


と、ここで俺はある『可能性』を閃く。


……そうだ!ただ単に、千蔭と『ルームシェア』ってのをしてるだけかもしれない!


友達同士とかで一緒に住むの、流行ってるって聞くもんな。そうだよ、だって俺と千蔭の仲だぜ?うん、そうしかない。そうに決まって──。





『ん……ちゅっ……千蔭……っ、悪い……ちょっと仕事が立て込んで……ん、ふ……寂しかったか……?』


『は、はあ……っ?ば、馬鹿……っ!そ、そんなわけ……っ、あ、この……っ!?ん、帰ってきてすぐ……っこんなキス……ぁっ、ん……ぅ、ダメなのに……っ』





──……パタン(本を閉じる音)



「……ん、何か見えましたかな?」


「いや……だいぶ、見間違えたかも……」


「では、もう一度、開くとよいでしょう」


「……そうします」


よくよく、ごしごしと瞼を擦ってから。

俺はもう一度、目を閉じ、本を開いた──。


──見せてくれ……俺の、『未来』を……!





『はあ、はあ……っ、千蔭……っ、千蔭っ!俺、もう……っ!』


『あっ♡ぁ……んっ♡この、バカぁっ♡変態……っ!?ひっ……あっ、あっ、そんなにっしたらっぁ♡んっ♡あぁっ、ひぃっ♡』




──……パタン!!(勢いよく本を閉じる音)



「何でさらに進んでるんだよッ!!!」



「……え、な、何か見えましたかな……?」


「見てません……っ!!何も……っ!!」


俺は本を投げ出し、床に膝をついた。


──嘘だろ……?本当に今のが、俺の『未来』だって言うのか?


到底、受け止めきれない光景に、俺は呆然とするしかない。


……すると、そんな俺に、司書様が優しく声を掛けてくださった。


「どうやら……何か良くない『未来』が見えたようだが……大丈夫かね?」


「し、司書様……その……なんていうか……」


「話してみなさい。私にできることなら、いくらでも力になろう……」


そう言って微笑む司書様は、まるで慈悲深い神様のようで……俺は思い切って、全てを打ち明けようと口を開いた──。


「司書様、実は俺、『未来』で──」


「……遼くんは、何よりも大事な大事な可愛い私の孫──千蔭といつも仲良くしてくれているからね。さあ、どんなことでも言ってみなさい」


「──ごめんなさい何でもありません大丈夫です」


「え?本当に?」


……「あなたの大事なお孫さんを襲ってる未来を見ました」なんて言えるわけないだろ!



ああもう──どうなるんだよ……俺達の『未来』は!




〈 つづく 〉

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