第70話 湿った風
ベントは依頼書の整理をしていた。
カリナーリから受け取った依頼書をひととおり確認し、リゼに声をかけてから掲示板に貼り付けていく。
ベントの手には1枚の依頼書が残った。
それは受けられる人が限られているため、直接渡そうと思って残したのだ。
「アルチェさん、またエルフの里から来ていますよ」
「あー、それ、受けない」
アルチェはテーブルの上で左腕を放り出して突っ伏していた。
まるで暑さに溶けているような格好だが、べつにいまはそんなに暑いわけではない。
「いいんですか? エルフ族限定の依頼なので、アルチェさんが受けないとエルフの里を助けられる人はさらに少なくなってしまいますよ」
大きなため息をついてベントを見上げたアルチェは、鼻で笑ってビシッと依頼書を指さした。
「その依頼書に『助けて』なんて書いてある? あいつら、上から偉そうに『凶獣を討伐せよ』って言っているだけなのよ。だいいち、私もどこぞのマスターと同じで追放された身だから、もう関係ないわ」
アルチェはふたたび大きなため息を吐き出して顔を伏せた。
「なるほど。最近ずっと元気がないと思ったら、里で何かあったんですね」
ベントはそう言いながらアルチェの対面に座った。
さらにテーブルに肘をついて手を組む。
アルチェが伏せたばかりの顔を上げた。
「ん? ベント君、どうかした?」
「アルチェさんが愚痴をこぼさず抱え込んでいるのが珍しいと思いまして。追放だけでなく、何か恥でもかかされたんですか?」
ベントのその質問に、アルチェは吹き出し、そして腹を抱えて笑った。
目に涙すら浮かべてひとしきり笑ったあと、ベントの持っていた依頼書を奪った。
「ベント君って、もしかして歪んだ性癖の持ち主? あたしがどんな
「いえ。私の興味はエルフの里にあります。もしエルフの里が私の展望の障害になり得るのであれば、あらかじめ手を打っておきたいと思いまして」
「それはそれで、よくエルフのあたしに言えたわね。まあ、いいわ。教えてあげる」
アルチェはエルフの里で起こったことをベントに話して聞かせた。
凶獣ドギーから逃げた先で凶獣ベアルに出くわし、ホーリスに助けられたこと。
ホーリスと協力して凶獣狩りをしていたら、凶獣ティゲルを仕留めそこねてエルフの里内に逃げられたこと。
里内で凶獣ティゲルを討ち取ったホーリスを里長が高圧的に追い出したこと。
それについて文句を言ったアルチェが追放処分を受けたこと。
「なるほど。それは、なかなかですね」
「でしょう? だから、あたしが恥をかかされたんじゃなくて、里が恥知らずなの!」
ベントは話を聞いてふたつのことを考えた。
ひとつはエルフの里のこと。
ベントはシエンス共和国に対抗するためにウィルド王国内での影響力を拡大しようと努めているが、エルフの里がその障害となる懸念は小さい。
ただ、国内に不和があるのはあまりよろしくない。
ここ一番というところで内側から刺されないとも限らない。
できることならこの不安要素は取り除いておきたい。
もうひとつは凶獣の大移動の原因について。
移動元であるベルグバルト大連山で何かが起こっている。
これについてもエルフの里と同様、しっかりと原因を取り除いて決戦時の不確定要素をなくしておきたい。
ベントが考えていると、隣でパチンとかわいい音がした。
いつの間にか隣に座っていたリゼが手を叩いた音だった。
「それでは、ホーリスさんにお礼をしないとですね!」
リゼがニコリとほほえんだ。
状況にそぐわない笑顔にアルチェは一瞬キョトンとしたが、つられるように表情が柔らかくなった。
「たしかに。いい友達ができたことは喜ばないとね。でも、お礼って何をすればいいの? ランク1stに与えられるものなんて思いつかないよ」
「お食事に誘って御馳走してはどうですか? プログレスには最高の店 《プロトポリア》が隣接しているじゃないですか。保温煮沸。大事なのは気持ちですよ」
「おおー、さっすがリゼちゃん。いいこと言うねぇ!」
アルチェがリゼの両手を握り、上下にぶんぶんと振った。もういつもの元気なエルフに戻っている。
リゼもニコリと笑った。
「盛り上がっているところ恐縮ですが、リゼさん。保温煮沸って、もしかして報恩謝徳ではないですか?」
「はわわ!」
リゼはぴょこんと跳ねて赤面した。
いつもなら手で口を覆うところだが、いまはアルチェにつかまれているので隠せない。
うつむいてしぼんでしまった。
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