第69話 越境と里の掟(アルチェSide)

 アルチェとホーリスが凶獣ティゲルに追いついたとき、そこはもう集落の中だった。


 怯えるエルフ族たちに見守られ、ひとりのエルフが凶獣ティゲルと対峙している。


 剣を構えるその少女は、緑の服の上に赤いケープをまとっていた。


「ディーア!」


 赤いケープはギルド・ピオニールのトレードマーク。


 ホーリスが里の内外で手分けをした知り合いのエルフというのは、ディーア・テス、彼女のことだった。


 ディーアは凶獣ティゲルから視線を外さない。

 言葉も発さない。

 最高危険度の相手に全神経を集中している。


 凶獣ティゲルはホーリスが動くより先に走りだした。


 ディーアの方へと全速力で走る。


 ディーアはギリギリまで引きつけ、牙をむき出しにした大口を横に避けた。


 同時に剣を顔面へと叩きこむ。


「あっ!」


 凶獣ティゲルは剣を咥えてディーアから奪った。


 それから振り向きざまに強靭なあごでそれを噛み砕き、残骸を吐き出した。


 ディーアは剣を奪われた衝撃で尻餅をついている。

 立ち上がる暇も惜しんでズルズルとあとずさる。


 凶獣ティゲルがそんな彼女ににじり寄る。


 そのとき、ディーアの横をホーリスが駆け抜けた。

 ジャンプすると同時に、両手持ちした剣を大きく振りかぶる。


「はあっ!」


 ホーリスが剣を振り下ろした。


 凶獣ティゲルはまた大口を開いて受けとめようとしたが、鼻からあごにかけてズパンと斬り裂かれた。


 ホーリスは止まらない。目にも留まらぬ速さで銀色の剣閃が舞い踊る。


 その様子があまりにも美しく、アルチェは思わず見とれた。


 気づいたときには凶獣ティゲルは四肢をすべて斬られ、その巨体は大地に沈んでいた。


おごれる獣よ、静かに眠れ」


 最後にホーリスは凶獣ティゲルの首を斬り落とした。


 自然と拍手が起こった。

 端の方で怯えていたはずのエルフたちは、みんなホーリスの華麗な狩猟に見入っていたのだった。


 しかしそのとき、カーンという天を突くような音が響いて場は静まり返った。


「里長!」


 誰かが言った。

 さっきの音は里長が杖で敷石を叩いた音だった。


 エルフの里長は人一倍長い耳を持ち、深緑の長髪が特徴的な男である。


 光沢のある白いシャツの上に金の装飾が入った革のベストを着ていて、それが貴族気取りのように思えてアルチェは好きになれなかった。


 ただ、彼は世界一美しい男と評されるだけあって、その格好は様になっていた。


 その里長がホーリスの前までやってきて、鋭い視線で見下ろした。


「凶獣ティゲルを始末してくれたことに免じて、今回ばかりは里への侵入は不問とする。だが早々に立ち去れ!」


 ホーリスは一瞬固まったが、軽く会釈をして無言で歩き出した。


 すぐにディーアが追従する。


「師匠、うちの里長が失礼なことを言って申し訳ありません。こんな所は早く出ましょう」


 ディーアの言葉を聞いて里長は顔をしかめた。

 一度鼻を鳴らすと、彼は無言で元来た道を戻っていく。


 アルチェは我慢ならず、叫んだ。


「ちょっと待って! それはないんじゃないの? 助けてもらったんだから、ちゃんとお礼を言いなよ」


 全員の足が止まった。

 そして全員の視線が集まった。


 里長が戻ってきてアルチェの正面に立った。

 そしてやはり高い位置から見下ろす。


「里を救ったことと里に侵入したことは別問題だ。侵入者に対して礼を述べるわけにはいかん」


「ホーリスは勝手に侵入したわけじゃない。あたしが頼んで来てもらったんだよ。ホーリスがいなかったら、ここにいる全員が死んでるよ」


 里長が深いため息を吐き出した。


 アルチェは里長が折れてくれたかと期待したが、そうではなかった。


「掟破りめ! アルチェ、おまえは追放だ!」


 信じられない通告を受け、アルチェはしばし呆けてしまった。


 ようやく理解が追いついて里長をにらむが、里長もアルチェを強くにらみ下ろしてくる。


 アルチェが周囲を見渡すと、みんな視線を逸らした。


 アルチェはふたたび里長をにらみ上げた。


「信じられない! とんだ恥知らずの里ね。こっちから縁を切ってやるわ!」


 アルチェも鼻を鳴らし、里の外へと駆けだす。


「アルチェ!」


 女性の呼び声にアルチェは思わず足を止めた。


 振り返ると、不安そうに自分を見つめてくる両親の姿があった。


 そこには小さな妹もいて、母親がその両肩に手を置いている。


 妹は何が起きているか理解していない様子だった。


「ごめんね」


 アルチェは家族の視線を振り切るように、ふたたび里の外へと駆けていった。

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