第30話 領主・コミス伯爵との取引②

「私が伯爵さんに持ちかけたい取引というのは、私に対して投資をしていただきたいということです」


「投資? まあ、とにかく話を聞きましょう」


 コミス伯爵は一度姿勢を正すと、左右の肘をテーブルにのせて手を組み合わせ、少し前傾して傾聴の意思を示した。


 ベントもコミス伯爵と同じ姿勢を取って話を始める。


「先ほども紹介したとおり、私は開発が得意なのです。しかし現状、こちらのウィルド王国にはそのための設備が整っておらず、新たな開発ができません。それどころか、既存の開発品の製造すらできません。そこで伯爵さんには開発環境を整備するための資金援助をしてほしいのです。もちろんその見返りとして、伯爵さんには私の開発品の恩恵を最優先かつ最大限にもたらすことをお約束します」


「つまり、ベント殿専用と言っていたあの武器も量産可能になるし、それを譲ってもらうことも可能になるという理解でいいですか?」


「はい。可能にはなりますが、私はそれをするつもりはありません。伯爵さんにはもっと大きな恩恵をお約束しますよ。伯爵さん、エアバイク、欲しくないですか?」


「エアバイクって、シエンス共和国での移動手段のアレですか?」


 エアバイクはシエンス共和国における主な交通手段となっている。

 しかし国家的に独占しているため、ウィルド王国にエアバイクは輸出されない。


 ウィルド王国の交通手段といえば、ウィルドの馬ことアローゴや、ウィルドのロバことダロスが主である。


「そうです。あのエアバイクです。あれ、私が開発したんですよ。あのエアバイクは浮いてはますが、実際のところ地上しか走れません。でも私の頭の中には水上も走行可能となるエアバイク改の構想があります。伯爵さんにはそのエアバイク改の独占販売権を差し上げます」


 コミス伯爵は口をあんぐりと開けて固まった。隙のない紳士らしからぬ表情である。


 だがそれも無理からぬこと。


 科学大国であるシエンス共和国よりも優れた技術を一領主が独占できるなんて、そんな馬鹿みたいにおいしい話が実在するなど容易に信じられることではないだろう。


「ベント殿、私を騙そうとしていませんか?」


「していませんよ。たいそう驚かれているようですが、私にとっては今後の展望の小さな一歩にすぎません。私としては早く話を進めたいのですが、もし伯爵さんが検討する時間が欲しいというのなら、数日待ちますよ」


 コミス伯爵はひたいに汗を浮かべていた。


 ベントはロボットのように表情を変えない。


「わかりました。ひとまず契約する前提で話を進めましょう。ただ、正式に契約するのは吟味ぎんみしてからにさせてください」


「それで構いません」


 コミス伯爵はハンカチでひたいをぬぐってベントの方を見た。

 その目に宿る色は、歓喜よりも不安の色のほうが強い。


「仮にすべてうまくいったとしましょう。私がベント殿に投資し、ベント殿がエアバイク改を開発し、私がそれを独占販売する。ただそうなったとき、その先に不安要素があります。技術が技術だけに、王家に独占を禁止されるかもしれません」


 それはコミス伯爵にとっては大きな懸念事項なのだろうが、ベントにとっては想定内どころか問題ですらないものだった。


「そうなったらそうなったで構わないじゃないですか。エアバイク改なんてほんの一例です。私は今後いろいろなものを開発しますが、伯爵さんの投資を受けて活動している以上、量産するものはすべて伯爵さんに最優先で提供しますよ。それに独占が禁止されたところで伯爵さんは莫大な先行者利益を得られますし、何か技術的なトラブルがあった場合にはお抱えの開発者当人が万事解決してくれるわけですから、独占の禁止なんてものは小さな問題でしかありません」


 コミス伯爵は両手で顔を覆って天井を仰いだ。

 その状態のままつぶやく。


「私はいま、産業的大革命が始まる瞬間に遭遇しています。ウィルド王国の、いえ、世界の歴史的転換点です。すごいプレッシャーを感じつつも、ワクワクしている自分がいます」


 独り事のようにも聞こえるが、敬語なのでおそらくベントに語りかけていたのだろう。


 ベントは相槌あいづちも打たずに黙って聞いている。


「ベント殿がもたらす未来の可能性を潰そうものなら、私はその罪をいかなる方法によっても償いきれないでしょう」


 ベントはいまだ無言のまま。


 コミス伯爵は顔を両手から開放し、まっすぐにベントを見て言葉をつないだ。


「ベント殿、先ほど言った検討は不要です。いま契約しましょう! もしこれで私が騙されていたとしても、それはうっかり失敗してしまっただけのこと。すべて本当なのに詐欺だと疑って大変革の可能性をついえさせては、私は自死をもってしても償えない大罪人となってしまいます」


「それは大袈裟おおげさな気がしますが、契約を決めてくださってありがとうございます。伯爵さん、いえ、コミス伯爵」


 ふたりは立ち上がり、固い握手を交わした。


 ふたたびソファーに座ると、コミス伯爵はメイドを呼んで紅茶のおかわりを用意させた。


 空気がやわらいで雑談モードの雰囲気が漂っている。


「しかしベント殿、開発設備のないウィルド王国になぜ移住したのですか?」


「実は私、シエンス共和国から追放されまして」


 コミス伯爵は口に含んだばかりの紅茶を盛大に吹き出した。

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