第5話 追放初日の放浪
ベントは1日だけ荷物整理の猶予を与えられ、追放通達の翌日には警察に連行される形で国境の向こう側へと押し込まれた。
シエンス共和国とウィルド王国の間には険しい山脈群があり、山のふもとがそれぞれの国境になっている。
両国境の間の山脈地帯は、凶獣が多いので人が住める環境にはないし管理も難しいので、中立区域とされている。
だから、ここを歩くのは実は命懸けなのだ。
ちなみに、ウィルド王国からシエンス共和国へは侵入困難だが、逆は容易である。警備技術が段違いだからだ。
ウィルド王国は動物に乗った兵士が国境山脈に沿ってふもとを見回りするザル警備だが、シエンス共和国は侵入者があればセンサーが感知する。
侵入場所もわかるので、即座に武装した警備員がエアバイクで駆けつけることになる。
「はぁ……」
ベントがあの議会での出来事を忘れることはないだろう。
嫌な記憶だが、シエンス共和国の在り方を変えたいとは思っていたので、その契機になったと考えれば前向きに捉えることもできる。
そういうわけで、ベントは白衣を微風に揺らして山道を下っていた。
キャリーバッグの車輪が泥にまみれて変形し、カタカタ、キュルキュルと音を鳴らしている。
ここはウィルド王国の兵士が見回っている領域なので早めに抜けたいところだが、歩き詰めのベントはもう疲れてしまった。
2時間ぶりにキャリーバッグを寝かせ、その上に腰を下ろす。
顔を上向けてシャワーを浴びるように木漏れ日を浴びる。
目を閉じていると、前方から獣の唸り声が聞こえてきた。
「おや、あなたはさっきの」
唸り声をあげていたのは犬型の凶獣だった。
ベントは先ほど盗賊団に襲われて返り討ちにしたのだが、こいつは彼らが
「グルルルルルゥ!」
凶獣はさっきから唸っているが、襲いかかりはしない。
ベントはその理由をわかっている。
さっき吹きつけられたスプレーの成分が恋しいのだ。
ベントは太ももに肘を置いて前傾し、凶獣に顔を寄せる。
「クセになっちゃいましたか。自分だけ抜け駆けとは、いけない子ですねぇ」
ベントはポケットから黒いスプレー容器を取り出し、凶獣の顔に向ける。
そして、ボタンを軽くプッシュ。
ほんの少しだけ赤い霧が噴射された。
「クゥウウウンッ!」
犬型の凶獣は地面に転がってジタバタしはじめた。
苦しんでいるようにも喜んでいるようにも見える。
実際、その両方である。
じきに凶獣は立ち上がり、ふたたび唸り始めた。
警戒しているようにも催促しているようにも見える。
実際、その両方である。
「いまはこれだけです。もっと欲しいのなら私の役に立ってもらいますよ」
ベントは腰を上げた。
キャリーバッグの側面からベルトを引っ張り出し、それを自分の体に巻き付けて荷物を背負う。
そして、凶獣の背中に乗る。
「グルルルゥ……」
通常の動物とはかけ離れた大きなパワーを持つ凶獣でも、ベントとその荷物を乗せるとさすがに重そうだった。
それでもやはり凶獣。一度走りだして加速すると、荷物の重さを感じさせないほどの速さで疾駆する。
山を完全に抜けると、そこにはウィルド王国の広大な景色が広がっていた。
まっさらな草原が広がるこの土地は、ウィルド平野というらしい。
平野が建築物で埋まっているシエンス共和国とはぜんぜん違う。
まるで異世界。いや、実際にここはシエンス共和国とは文化や生活様式がまったく異なる世界なのだ。
心なしか空気が澄んでいるような気がするし、空の青も美しく見えた。
ベントは凶獣に平野を西へと走らせた。
空を飛ぶように風を切る。
風が気持ちいい。
シエンス共和国であくせく働く国民たちも簡単にウィルド王国に来られたらいいのに、とベントは思った。
両国の国交は断絶こそしていないが、シエンス側の規制がかなり厳しい。
技術の独占のために情報管理を徹底しているのだ。
入国どころか出国についても審査が厳しく、要人以外には政府の承認を得たシエンス側の商人などがまれに行き来するくらいで、両国の交流はほとんどないと言っていい。
「凶獣さん、川沿いに進んで小さな村を探してください。シエンスから国外追放されたといっても、ウィルドからすれば不法入国になるので、王城付近や都市部は避けて行動してください」
平野を抜けたところで改めて指示を出した。
凶獣がどこまで言葉を理解しているのかわからないが、脇を軽く叩けば進行方向を修正してくれる。
具体的に行くあてはないが、とにかく入国記録を照合できないような辺境の村や集落を探す必要がある。
それもできるだけ早く。
路銀がないので、着いたら即日払いの仕事を探して宿代を稼ぎたい。
不法入国という事実をもみ消すには、ウィルドに移住して長く暮らしているという既成事実を作る必要がある。
ちょっとした不手際で入国や移住に関する申請が抜けていただけという状態にしたいのだ。
「それじゃあお願いしますね。私は仮眠をとりますので」
凶獣の背中は揺れが大きくて安らげる場所ではないが、ベントは疲れたら寝る主義なのでお構いなしに寝ることにした。
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