2 最寄りのメガネ

「君の記憶を消せないみたいだ」

 昨日、着流しの男──うわんと名乗る男に言われた言葉を、僕は思い出していた。

 土曜の午後。学校は休みだ。母が作ってくれた昼食をたべ終わり、自分の部屋のベッドに寝転がる。

 昨夜、どういうことか問い詰めると、うわんは「そうムキになるな」と僕を宥めつつ説明した。


 まず、僕が小さい頃に強力な妖怪に取り憑かれていたせいで、妖怪に魅入られやすい“体質”になってしまっていること。

 怪我や事故が多かったのは、僕に寄ってきた幽霊とも怪物ともつかない、曖昧な妖怪や怪異がもたらしたのでは、というのがうわんの見解だ。

 そしてその体質のせいで、うわんを含む力の弱い妖怪が放つ術や呪いは僕に干渉できないらしい。

 僕の預かり知らぬ…いや、知る由もないのだが、そういったところでそんなことが起こっていたとは。世界が違いすぎて、未だ漫画の話を聞いているみたいな心持ちだった。

 そういえばうわんは昨夜、あの説明の後なんと言っていたっけ…確か、


「お客さんよー!」

 その時、母の呼ぶ声が聞こえた。

 こんな時間に誰が?同級生と遊ぶ約束はしていないはずだ。

 はぁい、とひとつ返事をして、昨夜から幾分軽くなった体を起こす。玄関先を覗いたところで、はらりと揺れる裾が見えた。


 …まさか


「あんたいつの間にこんなイケメンお兄さんとお友達になったの?あっ、学校の先輩?」

「まぁ、ちょっと…」

「こんにちは。さぁ、行こうか」

 落ち着いた緑色の着流しを着たうわんが、手をひらひら振りながらそこに立っていた。

 わけもわからぬまま、僕は手を掴まれる。よろけて踏んでしまった自分の靴をなんとか履き、母に「夕飯前にはお送りしますので」と爽やかな顔で言ううわんにそのまま引かれ、玄関の扉を閉めた。


 アプローチをずんずん進むうわんに慌てて話しかける。

「あの、行くって、どこにですか」

「昨夜言ったように、俺は君に妖術をかけられない。シンプルに言うと君の方が強いからだ」

 うわんの視線は僕に向いているが、話はまるで噛み合っていない。この男は本当に何を考えているかわからない。このまま人気のない所に連れて行かれて食われてしまうのだろうかとすら思う。

「話聞いてください」

「聞いてるさ。君の記憶をまるっと消すには、より強力な者が作り出す術が必要だ。そしてそれは俺が知る限り“札”の形をしている」

 うわんは家の門を出て、そのまま右へ折れる。

「じゃ、じゃあその方の作る札を僕に貼るんですか?」

「貼らずとも、肌身離さず持っていればいいだろう」

「は、はぁ……」

 このまま一生涯、ようわからんおっかない札を体にはっつけているなんて嫌だったので、うわんの返事を聞いてホッとした。しかしそんな札が本当にあるのか。あるとして、僕はこの男以外の妖怪とあいまみえなければならないのかと思うと、少々気が重かったし、怖かった。

「これからその札を作れる方に会いに行くんですか?」

「いや、違うよ」

 変な声が出た。では僕はこれからどこに連れて行かされるのか?

 違うよと言ったぎり黙ってしまったうわんについていくと、住宅街を出て大通りに出た。ここは桜詰、というか鯵田市のメインストリートで、田舎まちだがここでは平日もそこそこの人数が往来している。


 周りを見回すと背の高い雑居ビルや電気屋、本屋、スポーツ用品店などが並び、空の占有面積を多くとっている。初めて来たわけではないが、同級生と遊んだ時の数回しか通ったことがなかった。

 大型ショッピングモールのそばにある広場は、スケボーで遊んでいる学生や、待ち合わせをしているらしい人でまばらに埋まっていた。そこを斜に進み、しばらく歩くと商店街に入る。

 この商店街はいわゆるシャッター街で、今から何十年か前に作られたが、ショッピングモールが出来た折に少しづつ衰退の一途を辿っているそうだ。以前、同級生が親だか祖父母だかに聞いた話をそのまま僕にも聞かせてくれた時に知った。

 80年代は多くの店と客で賑わい、この鯵田市の人口も今よりはるかに多かったらしい。

 今では閑散とした商店街の脇に入る。ほぼ路地裏のような小路で、室外機やなんらかの店の裏口が剥き出して見えている。その道の先の突き当たりに、木々に覆われたアンティーク調の古びた建物が顔を出した。


「そういえば君、名前は?」

 今更だけど、とうわんは続ける。この男に名乗られた時も僕は自分の名前を言っていなかった。

「羽木原、です」

「ハギワラというのか。わかった」

「あの、本当にどこへ行くか教えてください」

「もう見えているよ」

「え?」


 そう言うとうわんは、目の前のレンガで出来た建物を指差した。

 近くで見ると無数の蔦が外壁を走り、まるで今まさに緑に飲み込まれようとしているかのような出立ちだった。

 恐らく二階建てで、これまたアンティーク調の四角い窓が出入り口であろう扉を挟むように左右に二つ、上の方に三つ並んで見える。内部の様子はよく確認できなかったが、窓枠にも蔦が絡んでおり、まるで手が這っているかのように中からも緑が伸びている。

「ここの主人のクソメガネに会いに来たのさ」

「は…?」

 うわんは細やかな装飾が施された焦茶色の扉の前に立った。僕はその二歩ほど後ろに立っている。

 よく見てみると、上部に“ククノチ骨董品店”、扉の持ち手には“営業中”と書かれたプレートがかかっている。ここは店なのだろうか。

 うわんが扉横の呼び鈴を鳴らした。ブーという低いチャイム音が響いた。


───


「誰がクソメガネだ」

 僕たちを迎え入れて開口一番、クソメガネ呼ばわりされた男はそう言った。うわんは「やぁ、元気そうだね。残念だよ」と、男の怒りを飄々とかわし爽やかな悪態をついている。

 建物の中は意外と広く、なるほど骨董品店らしい作りになっていた。上から吊るされた鈴蘭のような形の小さな照明たちも、落ち着いた雰囲気を邪魔することなく静かに店内を暖かく照らしている。

 店に入ってすぐ目につく細長い台には一定間隔で古めかしい懐中時計や小物入れが置かれている。どれも高そうな逸品で、僕のお小遣いでは到底買えそうもないものばかりだった。

 店内を見回すとそれぞれ左右に上下二段ほどの棚がつってあり、壺や湯呑み、急須などが並ぶ。

 全体的に薄暗いが、間接照明が品物一つ一つを優しく照らしており、より魅力的に見せている。

 奥にはカウンターらしきスペース、その後ろには一人がやっと通れるくらいの、小さめの出入り口のようなものがぽっかりと開いていた。藍色の暖簾がささやかながらかかっている。バックヤードに続いているのだろうか。


 奥から現れた男はうわんより少し高いくらいの上背の持ち主で、髪をきっちり8:2に分けていた。神経質そうな切れ長のつり目には、おもたそうな一重瞼が乗っている。長方形の黒縁メガネをかけ、白いワイシャツにスラックスというシンプルな格好をしている。

 全体的な印象は銀行マンとか、デキるサラリーマンみたいなかんじだ。

 口をへの字に曲げ、うわんをじっと視線で射抜く。

「紹介しよう。こちら人間のハギワラくん。」

 うわんが僕を手で示した。準備していなかった僕はしどろもどろになり、「ど、どうも」しか言えなかった。

「事情は把握している。全てはコイツ、うわんの失態だ。申し訳ない」

 メガネの男がそう頭を下げ言った。

 正直、怖い人と思っていたので驚いた。

 慌てて僕は言葉で制し、「そんな」と言うが、続く言葉が見当たらない。

 だってこの男が言うように、元凶は今もヘラヘラとこちらを見ているこのうわんなのだ。

「私はここ一帯の妖怪たちを監視・管制している木霊という者だ。君とうわんのやりとりも知っている」

 男はコダマというらしい。妖怪なのか人間なのかわからないが、うわんよりはまともそうだなと思った。

 いや、うわんの知り合いなのだから、この人も妖怪かもしれない。

 うわんのことが嫌いなのか、人間の僕に喋りかける声色は幾分柔らかなものだった。


「僕たちのやること全て覗き見している変態さ。あまり信用しない方がいい」

「ふざけるなよ。お前たちが人間社会に溶け込めるよう、私は根の限りを尽くして…」

「はいはい、わかったって」

 うわんとのこういったやりとりは日常茶飯事なのだろうか。どうやらこの木霊さんは、妖怪の手助けをしているようだった。


「うわんさん、お札のことは…」

 言い合いが続く二人に痺れを切らし、そろそろ本題をと僕は割って入った。

 するとうわんは木霊さんに向き直る。

「ああそうだった。もしかしたら、君なら知ってるかと思ってね」

「ヒジツの札だろう?奥で座って話す」

 恐らくそのヒジツ?ヒツジ?の札が、記憶を消すことのできる札なのだろう。木霊さんは僕に「狭いが我慢してくれ」と奥へ促すように進んだ。


「君は大変珍しい性質を持っているな」

 奥の休憩スペースらしい、3、4畳ほどの座敷に通された僕とうわんは、出されたお茶に手をつけることもなく座っていた。

 うわんに昨夜言われた、小さい頃に憑かれた妖怪のせいで身につけてしまった体質のことだろうか。小さなちゃぶ台の斜向かいに座るうわんは「そうなんだ」と肯定の意を示している。

「もしかしたら、俺の正体を見てしまったのもそのせいじゃないかと思ってね。ほら俺、今までそういうことなかったでしょ?」

「…まぁ、それはそうだが」

「俺は節度を守って妖怪としての本分を全うしているんだ」

 言いながらうわんは偉そうに胸を張り、揺れる袖を巻き込んで腕を組んだ。

「だが、そんな羽木原くんにもヒジツの札は効くと思う」

 うわんを無視して木霊さんは続ける。

「は、はい…。その札って、どこにあるんですか?」

「単刀直入に言うと、ここにはない。というか私にもどこにあるかわからない」

「えっ?」

 希望がまた一つ、潰えた気がした。うわんが自信満々で僕を連れて出たのに、僕は頭の片隅で“これで終わる”ような予感があった。が、間違いだったようだ。

「君も知らないのか。困ったな」

 うわんを見ると、驚いているとか失望しているよりは、面倒くさそうな顔をしていた。なんなんだ。

「力不足ですまない。しかしコイツに責任は取らせるから、安心してくれ」

 うわんの方を親指で差す。安心は全くできない。

「でも、どう探したらいいのさ」

「そうだな…年の功で言うと、小池クリーニングから行ってみるといい」

「はぁ、年寄りは苦手だけど…わかったよ」

 うわんは顎に手を当てて少し唸った。

 どうやらこの街にあるクリーニング店に、また別の妖怪がいるらしい。

「この街には私やうわんの他にも、人間になりすまして生活している者が数多いる」

 僕に向き直り、木霊さんが言う。

「そうなんですか」

「あぁ。かつて人から畏れられた妖怪の類は、文明の成長や変化に伴い、人と同じ社会を歩む選択をとった」


 木霊さんはスラリと伸びた細い指で湯呑みをつかみ、口に運ぶ。

 一口飲むと少々姿勢を崩して「君は狐狸妖怪とはなんだと思う」と僕に問いかけた。

「始まった、ヤマビコの人好きが」

「うるさい」

 うわんの茶々に木霊さんは睨んで返す。木霊さんはうわんに“ヤマビコ”と呼ばれているらしい。

 僕は少し考えて、

「昔からある伝説…とか、架空の生き物ですかね…?」と答えた。

 幼い頃から、無自覚ながら怪奇現象まがいのものに巻き込まれ続けてきたとはいえ、妖怪や幽霊の知識は皆無だった。

 そういったものは常にそこにいて、気が向いたらこちらにちょっかいをかけてくるもの達、くらいの印象しかなかった。わざわざこちらから手を伸ばすのは怖かったし。


 僕の答えに「ふむ、そうだな」と頷く。

「妖怪だなんだというのは、最初から存在するものではなく、人から生まれるものなんだ。」

 僕をまっすぐ見据えて言った。

「人から…?」

「ああ。例えば壁や天井のシミが人の顔に見えたとする」

「はい」

「それを人に伝え、さらに絵や文にして周りに見せ、共通認識を生み出す。何百年か前に君たち人はそうやって妖怪や幽霊を作り出してきた」


 僕は少し混乱した。妖怪や幽霊は、この世にいるともいないともつかない、おとぎ話のようなものではないのか?


「妖怪はいわば“実体を持った集団幻覚”に過ぎないんだ」


 僕は言葉の意味がよくわからなかった。幻覚ということは、本当はいないのだろうか。しかし僕の腕を強く掴んだうわんの手の感触は確かにあるし、骨董品店の扉を開ける木霊さんの姿もはっきり見ている。

 彼らが“実体を持った集団幻覚”とすると、もうそれはひとえに“存在している”ということと相違ないと言っては、いけないのだろうか。


────


「札がなかったのが、そんなに悲しかったかい?」

 ククノチ骨董品店を後にした僕たちは、すでに日が落ちかけている帰路を歩いていた。

 夕焼けに照らされるうわんは、僕にそう聞きながらいつもの飄々とした笑みを浮かべている。

 艶やかな黒髪は橙色に染まり、強い光を受けてその整った目鼻立ちが強調されていた。特にパッとしない顔で生まれた僕は羨ましいなと思う。

 僕は昨日今日会った妖怪にもわかるほど、浮かない顔をしていたようだ。

「いえ…まぁ、それもありますが」

「が?」

「なんだか、自分たちのことを幻覚と言い切るなんて、寂しいなと思って」

 うわんは「そんなことか」と呟いて、首の後ろをかいた。

「まぁ、さっきアイツが言っていたことは、あくまでアイツの見解に過ぎない」

「うわんさんは、どう思っているんですか」

 僕が問うとうわんは暫し考え、少し照れたように言った。

「あのねぇ、ハギワラくん、その呼び方やめてくれないか。なんだかくすぐったくて」

 拍子抜けした。いきなり名前の話にすり替えられて一瞬固まる。

 嫌だったのか。確かに人と妖怪で種族は違うが、なんとなく年上っぽい格好だし呼び捨ては横暴かと思っていたが。

「は、はい」

「そこかしこで本当の名前を呼ばれるのは困る。俺のことは、外では…そうだな、ウエヤマとか…なんか、そんな名前で呼んでくれ」

 どうやらさん付け云々ではなく、うわんという名前そのものがマズかったらしい。昔見たアニメ映画でも、主人公が異界のものに名前を取られる…といった話があったが、妖怪もそんなものなのだろうか。

 なら最初から偽名を名乗っていればよかったのに、と思うが、まあそういう所は妖怪の礼儀なのかもしれない。

「わかりました、上山さん」

 そろそろ家に着く。なんだか上手くかわされた気がするが、なんとなく、もう一度聞くことは憚られた。

 うわんは「ありがとう」と言って微笑んだ。さぞモテるんだろうなと思った。そういえば骨董品店への行きがけに、女性からの視線や“カッコいい”などという声が多々あったな。僕はなんだかやるせない気持ちになった。

「さぁ、明日から街中の妖怪をあたって探そう。もちろん、君にもついてきてもらうよ。俺には君が他言しないか見張る義務があるからね」

「は、はぁ…。次は誰と会うんですか?」

「それはお楽しみさ。まぁ、しょうもない綺麗好きのジジイだからそこまで怖がらなくていい」

「そう、ですか」


 うわんは「そうだ」と袂を探ると、何やら黒っぽい宝石のようなものを差し出した。

「なんですか、これ」

「俺の歯だ」

「歯!?」

 受け取ろうと伸ばした手を反射で引っ込めた。歯?本物の?

 うわんは驚いている僕をニヤニヤと見つめ、「これにまじないをかけてある」と言った。

「君が見聞きした、妖怪に関する一切のことを少しでも喋ろうとすると恐ろしいことが起こるまじないだ」

「しゃ、しゃべりません。僕の今までの人生に誓って、しゃべりません」

「信用できない。ほら、これは君のものだ」

 僕はうわんに無理やり歯を押し付けられてしまった。嫌がる僕をよそに楽しそうにしている。冗談じゃない、何が悲しくて妖怪の歯なんて持ち歩かなければならんのだ。

 第一そんなピンポイントな効果があるおまじないがあるのか?

「そんな嫌そうな顔をするなよ。本当に君は面白いなぁ」

 何がどうツボに入ったのかよくわからないが、僕の顔がウケたらしく、笑い声を漏らしている。

「この歯は一度でも約束を破ると消えるから、札のような持続性は無い。気休めみたいなものだが肌身離さず持っていてくれ」

「わかりました」

 家の門扉の前。

 僕が観念して渋々ポケットにしまうと、うわんは満足そうに「ではまた来る」と言って踵を返した。

 また来るのか…。

 僕の心の呟きは、夕暮れの桃色の空に消えていった。

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最寄りの桜詰 藍原 @1hara

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