第26話 改名

 ガレリア鉱山の坑道は、鉄鉱石を採取する音で満ちていた。コーネル・ダートは黙々と作業を続けていたが、突然、マット・ホランドが兵を連れて現れた。


「コーネル、お前がシンを襲った刺客だな」


 マットの声が坑道の中で反響する。コーネルは冷静に顔を上げた。


「いったいどうしたんですか。俺を疑うなんて、何か証拠があるんですか?」


 わけが分からないと、白をきるコーネルに対して、マットは不敵な笑いを返した。


「とぼけても無駄だ。シンには動物の記憶を読み取る力がある。お前がシンの後をつけて、ジンの宿舎に入ったことを、カラスが見ていたんだよ」


 それでもコーネルは、表情を変えずにとぼけ続けた。


「それが証拠ですか? 俺はシンとは同じ馬車で来た知り合いだから、反乱の成功の祝いを告げようと思って、追いかけただけだ。ただ、ジンの部屋に入って行ったのを見て、重要な話かと思って戻っただけだ」


 あくまでも白を切り続けるコーネルに対し、マットは少しも動揺せずに部下に目で合図した。


「ではこれを見ろ」


 部下が取り出して見せたのは、シンの血がついた覆面だった。


「お前が怪しいと分かって、お前の部屋を調べたらこれが出てきた。もう言い逃れはできんぞ」


 言葉に詰まったコーネルを兵が取り押さえようと周りを囲んだ。コーネルはナイフを取り出して反撃の構えを見せる。

 殺気を孕んだコーネルに対し、マットがホウと感心する。


 「その構え、武芸の心得があるな。隙のないいい構えだ。刺客にしておくのは惜しい腕だ」


 マットは兵を下がらせ、自らコーネルの前に立った。ジリジリと間合いを詰めると、コーネルはナイフを振った。ナイフの先から零れたカマイタチがマットを押そう。しかし、マットは裂帛の気合いと共に、持ち前の金属性でびょうを扇子状に変形させ、それを素早く左右に振ると、カマイタチが消滅した。

 その直後、コーネルは跳躍し風の力で瞬間的に間合いを詰めたが、振り下ろしたナイフはマットの剣に払われた。武器を失ったコーネルは右の横蹴りを放ったが、マットはすり抜けるようにそれを交わし、腹に当て身を打った。コーネルはたまらず、そのまま地に伏して昏倒した。


 コーネルが気づいたとき、両手を縛られ、椅子に括り付けられていた。目の前にはシンとマットがいた。


「なぜ、殺さない? 俺は依頼主の名前など吐かんぞ」


 コーネルは強がりなどではなく、死ぬ覚悟を決めて言ったつもりだが、シンは眉根を寄せて、空気が震えるほど強い声で言った。


「あなたを殺す気などない。誰が頼んだかなんてこともどうでもいい。そんなことより、権力者を憎んでいたはずのあなたが、なぜそいつらのために刺客なんかしてるのか。私が知りたいのはそれだけだ」


 シンの言葉は、何にも動じないと覚悟を決めたコーネルの心を揺さぶった。コーネルはシンの貫くような視線に耐えきれずに、黙って俯いた。


「あなたが馬車の中で見せた感情は、演技などではなかったと思う。こんなことを引き受けるのは、やむにやまれぬ事情があるのだと思う。どうかそれを私に話してくれ。力になりたい」


 シンの表情は厳しく、しかしその目には憎悪はなく、コーネルへの心配が浮かんでいた。顔を上げたコーネルは、その目を見て、再びがっくりと項垂れた。シンが静かに待っていると、ポツポツと話し出した。


「俺は、昔、マゴラ騎士団の一員だった。騎士として国を守ることは、尊いことだと思っていた。ジャパニアへの遠征に行くまでは……」


 コーネルは話しながら、肩が震え始めた。


「ジャパニアの兵は強かったが、俺たちも正々堂々と戦った。嵐で大半の船がやられ、我々は数で勝りながら、兵糧がつき、戦うことが難しくなった。それなのに船がないから撤退もできない。俺たちは腹を空かしたまま、砦に籠もってジャパニアの兵と斬り死にする覚悟を決めた」


 胸に錐が貫くような痛みが走った。


「しかし、思いとは裏腹にジャパニアの兵は取り巻きにするだけで、攻めてこなかった。そのまま俺たちが飢え死にするのをずっと待っていた。三日目に成って、一人の兵士が砦を飛出て行った。すぐに四方から矢が飛んできてその兵士は死んだ。ところが、その死が俺たちの狂気に火をつけた」


 コーネルは天を仰いだ。許さないことを話すのは辛い。だが、話さなければならないと思った。


「俺たちは誰が言い出したわけでもなく、全員で打って出た。何人も敵の矢に倒れたが、怯む者はいなかった。ジャパニア兵は、勝ちが決まった戦に命を賭ける者などいなかった。そのまま退却していく。勢いに乗った俺たちは、そのまま近隣の村へ走った」


 もうコーネルに躊躇いはない。軽く息継ぎをするとそのまま勢いよく話を続けた。


「そこには食べ物があった。突然現われた敵国の兵に、村人は抵抗もできず呆然としていた。俺たちは狂気に取り憑かれて、抵抗しない村人を虐殺した。殺し尽くした後で、夢中になってそこら中の食糧を食った。俺も……、生きるためにその食糧を食べてしまった」


 コーネルは自分の声が震えていることに気づいた。狂気がスーッと静まっていく。


「そのとき、一人の少女が震えて俺を見ていた。その横には両親と思われる男女の死体があった。俺は他の兵士に害されないように、夢中で少女を抱き上げた。俺たちは残りの食料を持ち帰って、再び砦に籠もった。一月後に国から船が来た。俺たちはその船で帰国したが、俺は保護した少女を連れて故郷に帰った」


 シンはコーネルを瞬き一つせず、じっと見ていた。その表情には怒りも悲しみも同情さえなかった。ただ全てを包み込むように、コーネルの告白を聞いていた。その目を見ていると、全てを聞いてもらいたくなった。戸惑いが消え、声もはっきりと出る。


「帰国したら俺は軍を辞め、連れ帰った少女を娘として育て始めた。そして、反戦を主張しながら権力者との戦いを始めた。その間に少女は成長し美しい娘になった。俺はその成長を見ることが生きがいだった。それなのに……」


 コーネルは挫けそうになる自分の心を叱咤した。


「娘は病に冒された。治すには高価な薬が必要だった。俺はリオエール家に盗みに入ったが、シャウ・リッツエに取り押さえられた。アムスは俺の剣の腕を覚えていて、シンを殺せば娘を助けるために金を渡そうと、持ちかけてきた」


 全てを話し終えて、コーネルは深いため息をついた。


「暗殺に失敗した以上、娘は死ぬ。もう生きていても仕方ないから殺せ」


 それは願望に近かった。シンは静かに答えた。


「そんな事情があるなら、なぜ早く言わない? この山の人間はみんな仲間だ。コーネルもその一人である以上、力になるのは当たり前だ」


 コーネルはそのまま解放された。


 翌日、シンは珍しく太陽が顔を出した広場に、五百人の山の住人を集めた。シンは脱出用に用意されていた抜け道を掘り進め、マッター山の裏側に開通したことを伝えた。


「これからは定期的にトレノの町に行くことができる」


 喜びに沸く住人たち。


「鉱山運営はこのまま順調に進むだろう。今後の運営をドニーに任せ、私はローガたちとマゴラに行くことにした。憎むべき貴族の一人リオエール家を討つ」


 そしてシンは高らかに宣言する。


「ことの始めに当たって、自分は亡きジン・クジョーの息子となり、これからリュウ・クジョーと名乗る」


 住人たちは意気高くこれを支持し、歓声を上げた。渦巻くような声に包まれて、コーネルは全てを察して泣きだしていた。彼は気づいたのだ。こんなに早くマゴラに戻るのは、娘の命を救うためだと――。


「俺は生ある限りこの命をクジョーに捧げる」


 祈りのような誓いだった。

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