第25話 刺客
ガレリア鉱山の夏の陽射しは強く、坑道内の湿気と相まって蒸し暑い空気が漂っていた。シンたちは反乱後初と成る鉄鉱石の受け渡しを迎えた。ドニーが何事もなかったように、帝国の資源管理官に対しいつもと同じ対応をする。もしもドニーが裏切る、あるいは管理官に気づかれた場合に備え、シンたちは物陰から様子を窺った。
「無事に終わりそうだな」
シンは心底ほっとして呟いた。もし、ここでドニーが裏切ったら、管理官もろとも殺さなければならない。無駄な血を流すことは本意ではない。
「ドニーの奴、なかなかやりますな。最初はどうなることかと懸念しましたが、普段の仕事ぶりも優秀なようで、正直シン殿の慧眼には感服いたしました」
ローガはシンが棟梁に成ると決まってからは、言葉遣いがガラリと変わった。軍人気質ゆえにそれが当然なのだろうが、実力第一位の彼の変貌は他の者にも少なからず影響した。
「いつもお役目ご苦労様です」
引き渡しが終わり、ドニーは管理官の仕事を
厚顔無恥な管理官は、その場で袋の中身を確かめ、満足そうにドニーに言った。
「このような過酷な地でのまじめな仕事ぶりは、ちゃんと上に報告しておくから安心されたし」
「ご厚情痛み入ります」
絵に描いたような堕落した役人の姿に、シンは思わず声を出して笑いそうになったが、こういう芸当はローガには無理だ。ドニーだからこそ、何の疑いももたれずに自然に進む。
「ドニーを生かして正解でしたな」
ハリーは感心しきりだった。ドニーは新しいガレリア鉱山の運営に全力を注ぎ、事務官としても優秀な能力を発揮していた。
しかし、この鉱山が新たな国として、様々な行政機能を発揮できるのは、
「いや、ハリーの機能的な計画と細かいフォローあればこそ、全てが成り立って今がある。もっと誇られても良いと思うが」
シンがハリーの功績を褒めると、控えめな性格ゆえに、ただ笑うだけで何も言わない。
他のメンバーもそれぞれの役割を果たしていた。ローガとマットは五百人の元囚人から二百人を選抜し、ガレリア鉱山国の軍隊を編成した。彼らの厳しい訓練によって、強い軍が形成されつつあった。
シンがその成果を褒めると、ローガ首を振って言った。
「それも医療班があってこそです」
医療の心得があるチャーリーは、囚人の中から元医者を見つけ出し、医療班を作った。
「チャーリーの医療知識は相当奥深いようで、指導される他の医者の実力も日に日に増していっているようです。おかげで兵に対し厳しい訓練を心置きなく行うことができます」
「それだけではない。医療班の存在は、ここに住む全ての人々に潜在的な安心感を与えている」
シンは医者のいる日常のありがたさを、マゴラ鉱山の住人たちの笑顔を見て実感していた。
「後二、三年もすれば、国を動かすのに相応しい人材も揃いそうです」
泥棒に成る前は、大学で教鞭を執っていたという変わった経歴のモーガンは、この地に学校を設立した。その結果才能がある者が次々と見いだされ、人材不足に悩むハリーの助けに成っていた。
「学校というものは、自分が行ってるときは分からないが、不平を言いたいだけで政治犯に成った者が、あんなにもイキイキと輝く姿を見ると、存外大事なものなのだな」
シンは幼い頃を思い出して、感慨深そうに呟いた。
「クロードもよく働いてくれている。大きな身体に似合わない繊細な神経が、私と他の者たちとの間を円滑につないでくれる」
首輪の一件以来、シンに心酔するクロードは、護衛に秘書にと身を粉にして働いていた。
「ただ、気になるのはジンだ。どうも反乱以後精彩がないように見えるが」
シンの心配は、いつも自室に籠もりきりで、パタリと行動しなくなったジンに向いた。
「いつも何やら考えておられるようです。外に出ないせいか、顔色も日に日に悪くなっています」
クロードが近況を説明した。ローガやハリーは忙しくて、あまり気にかけてなかったのか、クロードの言葉に首を捻るだけだった。
管理官が帰ってから二日後、シンはジンから二人だけで会いたいと頼まれ、護衛役のクロードを置いて、一人でジンの部屋に向かった。
「ジン殿、いったいどうされた?」
ジンは思い詰めた顔でシンを迎えた。
「シン、わしはあなたを棟梁として評価しておる。こんな小さな国だが、権力争いに終始する貴族たちの専横に、風穴を開けてもらえると期待も膨らむばかりじゃ」
「もちろんだ、ジン殿。二人で共に頑張ろう」
シンが応じると、ジンは血の気のない顔のまま頷いた。次の瞬間、ジンは大きく咳き込み、血を吐いた。
「ジン!」
シンは慌てて医者を呼ぶために部屋の外に出ようとした。ドアを開けた瞬間、待ち伏せていた賊が斬りつけてきた。
「くっ!」
辛うじて急所は交わしたが、右腕を浅く斬られた。不用意にも今日のシンは武器を所持していなかった。
シンは賊と向かい合う。賊は覆面で顔を隠していたので誰かは分からぬが、この鉱山のどこにいたのかと思うほど、強い殺気を放っていた。剣については素人のシンでも、その腕前は達人の域にあると分かった。
絶体絶命と言える場面で、シンは意外と落ち着いていた。医者を呼ぶために早く決着をつけたいシンは、斬られた右腕を激しく振り、血を飛ばすと同時にサンクトゥリウム級のネイチャーフォースを駆使して、血の中の鉄分と大気中の窒素から窒化鉄を合成した。強力な磁力を有した窒化鉄は、賊に向かって飛んで行く僅かな間に、強力な磁界と電流を発生させ、賊に対して強烈な電撃を喰らわせた。
「ぐあっ!」
賊はショックで剣を手から落とし、戦闘不能となった。完全に痺れて動かなくなった腕では、これ以上戦えないと思ったのか、賊は剣を置いてよたよたと逃げ出そうとした。
シンは医者を呼ぶ方が優先だと考え、賊を追うことを諦めた。
「医者を、早く医者を呼んでくれ」
シンが外に向かって叫ぶと、近くにいた衛兵がかけつけ、二人の様子を見て「ただいま」と叫んで去って行った。
シンは意識のないジンの元に駆け寄り、「しっかりしろ」と抱き起こした。
意識を取り戻したジンは、両手を伸ばしてシンの腕を掴む。
「どうも心臓がそろそろもたぬようじゃ。死ぬ前にシン殿に言っておきたいことがある」
「ジン殿、気をしっかり持て。すぐに医者が来る」
シンの励ましの言葉に、ジンは笑みを浮かべながら首を振る。
「既に一度チャーリーに診てもらった。手の施しようがないようじゃ。それはいい。シン殿、わしはジャパニアを出るときに、クジョー家の財産を金塊に変えた。帝国に着いてから、トシローにその管理を任せた」
「父にですか」
「そうじゃ。お主の身体のどこかにタトゥーがあるじゃろう。トシローは息子の身体に金塊の隠し場所を彫ったとわしに告げた」
「あります。左の脇腹に故郷のヤクー山と星が彫ってあります。これがそうなのですね」
ジンはホッとしたように安堵の表情を浮かべた。
「その財産はお主に与える。野望を成就させるのに使ってくれ」
「なぜあなたは父にそれを託されたのですか?」
シンの問いにジンは幸せそうに笑った。
「神官として妻を持たぬ私は、リュウという養子がいた。利発な子で、わしはリュウを溺愛した。リュウは、ジャパニアに刀鍛治の修行に来たトシローが、現地の娘と愛し合ってできた子じゃ。帰国にあたって、帝国に女と息子を連れ帰れぬから、トシローはリュウをわしに託したのじゃ」
「では、私の腹違いの兄なのですか?」
「そなたはリュウにそっくりだ。その顔を見ていると、不憫なリュウを思い出す。リュウは可哀想に、父の故郷でわしを守るために、リオエール男爵の手にかかって死んでしまった」
その言葉の後で、ジンは大きく咳き込んで、再び血を吐きぐったりとして目を閉じた。
シンはジンの名を叫びながら、真っ赤に染まった両腕でジンの身体を抱きしめる。
チャーリーが駆けつけて、ジンの脈をとる。しばらくして顔をあげ、シンに向かって首を振った。
シンは無言のまま、ジンの身体を横抱きにして立ち上がった。
「今日は天気がいいから、ガレリアの頂が美しい。父さんの魂がそこで安らかに眠れるように、この部屋を出て外に行こう」
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