第22話 再起の光
月明かりが細い鉄格子の間から差し込み、マゴラ鉱山の牢獄内を淡く照らしていた。石造りの冷たい壁に囲まれたこの場所には、湿気と鉄の臭いが混ざり合い、重い空気が漂っている。シンは硬い床の上に座り込み、手錠の冷たさが手首に染み渡るのを感じていた。
シンの冤罪の詳細を聞いて、ジンがふいに口を開いた。彼は普段から寡黙で、囚人仲間の中でも一線を引いた存在だった。それはシンが入獄して初めて聞く、彼の過去についての話だった。
「……わしはずっとジャパニアの亡命貴族だと言っていたが、実は違う」
ジンの低い声が牢獄内に響く。他の囚人たちはその言葉に耳を傾け、静まり返った。
「わしはジャパニアの神官だった。ジャパニアは異教の国とされるが、実は宇宙教の原理に忠実な国なのだ。国民は自然を尊び、宇宙の意思を畏怖している」
シンは驚きの表情を浮かべた。ジンの言葉に引き込まれるように耳を傾ける。
「帝国の二度の侵攻も、自然を味方につけたゲリラ戦で交戦し、最後は台風の襲来による艦隊の被害と、それに伴う洪水による敵基地の壊滅で、撤退させることに成功した。国民はみな、これも宇宙神の思し召しと信仰を強めた」
ジンの目には、過去の出来事が鮮明に映し出されているかのようだった。しかし、その瞳の奥には深い哀しみが透けて見えた。
「ジャパニアの王は二度の勝利の余韻が冷めないうちに、鎖国を維持したまま、ブディストニアと協議に入り、大量の献金を送って安全保証を勝ち取った。そのときの交渉役が、当時帝国のブディストニア駐在軍を率いていたリオエール男爵と、神官の筆頭に位置していた私だった」
ジンの声は低く、しかしその言葉には重みがあった。シンはその背後にある複雑な政治の絡み合いを感じ取った。
「交渉が成立した後、ジャパニアには平和が訪れた。しかし平和とは国民に安寧を齎すと同時に、政治への関心を薄れさせ、権力者の我欲を高める効果があるらしい。やがてジャパニアの王は権力を独占するために、神官たちを疎ましく思うようになった。何でも言うことを聞く者以外は排斥され、私は命の危険を感じて養子と共に帝国に亡命したんだ」
ジンの顔に苦悩の色が浮かんだ。彼の過去の苦しみが、その一言一言に込められている。
「わしは帝国で唯一の機知であるリオエール男爵を頼った。ところが男爵は、帝国に内緒でジャパニアとブディストニアの仲立ちをしたことの発覚を恐れ、私を捕らえてマゴラ鉱山に送った。養子はその時、私を逃がそうと奮戦したが……殺されてしまった」
ジンの言葉に、牢獄内の空気が一層重くなった。純粋なシンは、身勝手なリオエール男爵への怒りと、養子を失ったジンへの同情で拳を握り締めた。
「そこでじゃ、ブディストニアの使者がマゴラに現れたのは、リオエール男爵にとって歓迎できない事態だったのだろう。しかもシンに濡れ衣を着せたベルガは、その時のブディストニア有力者との連絡役として働いていたと聞いている」
そこでいったん話を止め、ジンは気の毒そうにシンを見てから、話を続けた。
「リオエール男爵は目的のためなら、我が子を犠牲にすることも厭わない非情な男だ。だが、もしベルガが中央教会に捕まって、リオエール男爵がつながるブディストニア側の有力者の政敵に拷問を受け、事件が明るみに出たら、家の存続が危ぶまれる。だから、シンを冤罪に落として評判が落ちるリスクと天秤にかけ……」
「俺に全ての罪を着せたんですね」
シンはようやく、自分が冤罪に落とされた全ての背景を知った。それは想像もできないほど、スケールの大きな背信と深い闇に包まれていた。そして運命と表現するには、あまりにも理不尽なできごとに怒りを感じた。
「酷い話だ……」
ローガたちはシンに同情の声をかけた。ローガたちには、信念に基づいて行動し、その結果ここに送られることになった。権力者に対する反発はあるが、ある意味納得もしていた。しかしシンは違う。自分が知らない陰謀に巻き込まれて、幸せの絶頂から突き落とされてここにいる。
仲間たちが口々にリオエール男爵の横暴を非難する中で、ジンは再び口を開いた。
「リオエール男爵の性格からして、このまま君を放置しておくとは思えない。刺客を送ってくるはずだ。そして、ターゲットは君だけでなく、わしや話を聞いた可能性のあるローガたちも含まれるだろう」
返り討ちにすると意気込むローガに、ジンは首を振った。
「危険すぎる。暗殺を防ぐ手立ては古来から確立しておらぬ。誰かも分からぬ者が襲ってくるのだ。返り討ちにするとしても、犠牲が出るのは免れぬだろう」
ジンの悲観的な言葉に、ローガは恐ろしくドスが利いた声で尋ねた。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
それはシンの身体が震えるような殺気の籠もった声だった。
「生き残るには、この鉱山を乗っ取るしかあるまい」
思ってもみない言葉に、囚人たちは静まり返った。しかしジンの瞳には確固たる決意が宿り、その言葉が冗談ではないことを物語っていた。
さすがのローガも、途方にくれたような顔でジンに説明を求めた。
「俺たちは脱走についてずっと考えていた。だが、この山を乗っ取るって、いったいどうすればいいんだ? 何か策はあるのか」
ジンは特に気負う風でもなく、淡々と話し始めた。
「おまえも軍人ならば、ここの地勢的な状況をもう一度考えて見ろ。ユラシドの北の高い山脈を越え、人など住まぬ氷獣たちの国だ。確かにそのせいで、ここを抜け出すことはまず不可能だ。だが逆に考えれば」
「そうか、分かった。ここを治める側も、政府軍から遠く離れ、孤立した状態だということか」
ローガは何か分かったようだ。他にモーガンも気づいたようで頷いている。
シンは軍事経験はなかったが、彼の脳に新しく宿った論理的な思考が働き、ジンの計画の全貌を理解し、懸念すべきことにも気づいた。
「しかし、月に一度政府から鉄鉱石を受け取るために使いが来るのでしょう。そのときにバレて、ここを取り戻すための軍が派遣されるのではないですか?」
ジンは、シンの明敏さに目を見張り、そしてうんうんと頷きながら答えた。
「よく気がついたな。そこがこの計画の唯一の難点じゃった。ここは難所だから政府も大軍は送れぬだろうから、一戦交えることも考えた」
「それは無理だな。ここの囚人は政治犯ばかりで、軍人は少ない。鍛えるとしても半年やそこらでは戦力にならない。ここの鉄鉱石は政府にとって貴重な資源だから、精鋭を送られたら、少数でも制圧される」
ローガはさすがに、戦いの見通しを立てることにかけては長けていた。しかしジンはそれも見越した風に話を続けた。
「エッフェルト公爵あたりに軍を率いて来られては、手も足も出んな。ジャパニアの戦いでもその用兵の確かさは群を抜いていた。そこで、別の策を考えた」
ジンはそこで結果を話す前に、いたずらっ子のように周囲を見渡した。この老人はこんな生きるか死ぬかの話をしてるときも、深刻にならない気風を持つ。
みながじれったそうにしている中で、シンが口を開いた。
「いつもと変わらぬように鉄鉱石を渡せば、政府は気づかないかもしれないですね」
周りの者は、ここに来て間もないシンの柔軟な発想に驚いた。中でも仕掛けたジンが一番驚いていた。
「よく気づいたな。やはりお主には神の如き智謀が備わってるらしい。わしもそこに気づいた。政府からの受取人は、囚人の様子にはまったく関心がない。鉄鉱石を受け取ったら、こんなところに長居は無用と、さっさと帰って行く」
ジンの策略にローガたちは、もう一度検証を始めた。細かい点も含め話してみると、成功の可能性はかなり高いことに気づいた。
「賭けてみるか」
ローガがそう呟くと、全員が頷いた。ジンは深く息を吸い、言った。
「我々の王国を建てよう。そして、もう一度社会に復帰するのじゃ」
シンは牢獄に送られて、いったん閉ざされた人生の扉が再び開いたような気がした。もう一度、母親とリーシアに会えるかもしれない。そして自分をこんなところに送った者たちに復讐をする。新たな希望と決意を胸に抱き、シンは再び立ち上がった。その瞳には強い光が宿っていた。
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