第21話 牢獄の夜

 一日の労働が終わり、獄舎に戻ると徒労感がシンを覆った。家畜のように並んで身体を洗い、同部屋の七人が同じ餌を与えられた。こんな毎日を繰り返すのならば死んでるのと一緒だなと、自虐的な思いが身体を突き抜ける。


「おい、シン。早速心が病んできたか」


 房に戻ると、シンの冴えない顔を見て、ローガが揶揄うように笑った。

 シンは顔を上げてローガを見たが、怒る気もしなかった。


「一人で黙ってると、病が進むぞ。他の奴を紹介してやるから聞け。まずモーガンだ」


 ローガは、すぐ右隣に座る金髪で鷲鼻の男を、右手の平で指した。

 モーガンは極悪人が収監されるこの鉱山には場違いな、まるで大学に通うインテリのような知的な顔立ちをしている。


「名前はモーガン・スミス。この中で唯一の大学卒業者だ。シャンハでも指折の商会に勤めていたが、弱い者を踏み台にする階級社会に憤りを感じて、貴族専門の泥棒に成り、捕まるまでに五十を超える家から盗みを働いた。こいつの仕事の特徴は、必ずその家の家宝を一つぶっ壊すことだ。それがこいつの存在証明みたいな感じだ。頭は抜群に切れるぞ。大学に通ってた頃は、ブディストニアの国立神学校への留学を進められてたほどだ」


 紹介されている間、モーガンは終始無表情だったが、最後ブディストニアの国名が出ると、僅かに眉を潜めた。


「次ぎにマット・ホランドだ」


 スミスの右隣でシンの正面に座っている精悍な顔をした男が、囚人らしくない堂々とした声で「よろしく」と言った。


「こいつは俺と同じ元軍人だ。アルバイン連合との戦争で、敵のゲリラ攻撃に手を焼いた上官に、民間人襲撃を命じられて、上官を半殺しにして反逆罪を課せられた。悪いことにその上官って言うのが男爵家のボンボンで、不当に罪が重くなってここまで送られたというわけだ」


 マットは軍人らしく、己に恥じることはないと言わんばかりに平然と聞いていた。

 ローガの紹介が終わると、「ここに送られたことに、一片の悔いもない」と言った。


「次は、アダム・クロードだ」


 ローガの左隣に座る筋骨隆々の黒い肌の男が、白い歯を見せて微笑んだ。


「南方にある貧しい村で生まれ、戦争が始まってからの厳しい税の取り立てに不満を抱き、仲間と一緒に領主である侯爵家の蔵を襲撃した。最後は騎士団の討伐隊から仲間を逃がすために、一人で戦って捕まっちまったわけだ」


 アダムはごっつい身体が黒い肌と相まって、初見は乱暴者に見えたが、実際には仲間思いのいい奴みたいだ。シンが感心したように頷くと、強面の表情を崩して笑いかけてくれた。


「お前の右隣がチャーリー・ハンホーだ」


 他の者に比べるとやや小柄で、温和な雰囲気のエイジア系の男がシンに顔を向けた。その表情には思慮深い哲学者の趣がある。


「彼は思想家だ。シャンハで戦争反対の住民運動を起こして、政治犯として捕まった。普通なら二、三ヶ月の拘留で釈放されるところだが、反戦運動で書いたビラが、あまりにも筋が通っていて、公爵の怒りを買ってしまった。おとなしそうに見えるが、実はケンポーという体術の達人だ」


 マゴラのような地方都市には政治犯などまずいない。戦争に対しても、どこか遠い場所で起こっていることぐらいの認識しかない。シンは生まれて初めて会った政治犯に、驚きの表情を隠せなかった。


「そして、左隣にいるのがハリー・ルーン。シャンハでも有名な商家で働いていたが、主人の税金逃れのために横領の罪を着せられて、ここに送られた可哀想な奴だ」


 ハリーはエイジア系とユラリア系の混血のようだ。髪と瞳は黒いのに鼻は高い。紹介されて少し悲しそうな表情を見せた。シンは自分と同じ冤罪で送られてきたと知って、ハリーに同情と親近感を覚えた。


「そして俺はローガ・メルボ。元皇帝直属の近衛騎士をしていた。ジャパニア遠征で、逃げ出した味方の船に置き去りにされ、傭兵部隊に紛れてブラビアに逃げた。そこでの二年の暮らしで考え方がすっかり変わっちまってな。シャンハに戻って近衛騎士に復帰しても、疑問だらけの毎日を送るようになり、最後は反逆者としてここに送られてしまった」


 ローガは自分の下手な世渡りを、自虐するかのように笑い飛ばした。しかし一片の暗さも見せないその笑顔は、諦めという言葉とは遠い感じがした。


「あのこちらの方は?」


 シンが一人だけ紹介されてないジンを指さした。


「ああ、この爺さんはジン・クジョー。俺もジャパニアの貴族だったことぐらいしか知らん。ただ、もの凄い物知りで、俺たちはここで生きるための知恵を授かっている」


 坑道にいるときとは打って変わって、ジンは物静かなまま、シンに微笑みかけた。


「ガレリア鉱山というと、極悪人の集まりのように思ってましたが、そういうわけでもなさそうですね」


 驚きの表情を見せるシンに対し、モーガンが言った。


「ここには自身の快楽のために、十数人を殺した殺人狂もいるが、大半は政治犯だ。世間から隔離するためには、ここに送るのが一番と言うことだ」


 チャーリーがモーガンの言葉に頷きながら続ける。


「お前もそうする必要があるから、ここに送られたんだろう。どう見ても冤罪で送られたとしか思えんからな」


 シンの脳裏に、有罪と言い渡されたときの悔しさが蘇った。

 その様子を見て、ローガが言った。


「どうやら、嵌められたときの怒りを思い出したようだな。どうだ、お前も自分のことを話してみないか?」


 このときシンは自分だけでなく、理由は分からないが、この場にいる全員が緊張したように感じた。その感覚が、無理してでも自分の話をしなければならないと迫っているように思えた。しかし口を開こうとすると、ここに送られる時に感じた世の中に対する不信感が蘇ってくる。なかなか話す決心がつかないシンに対し、ローガが諭すように言った。


「今日初めて会った人間を信用しろと言っても、無理があることは分かる。ましてや我々は罪人だからな。だがもう時間があまり残ってないんだ。俺たちがお前を信用できると判断できなければ、殺さなければならない」


 ローガが放つ気配が変わった。今までの近所の人の良い親父の様子から一変して、戦場に立った軍人のそれに成った。話さなければ死ねという、かなり理不尽な要求に対し、シンは反発心を抱いたが、戦を経験したことがないだけに、本物の軍人が放つ殺気に押され、それも口に出すことができない。

 無言のままでいるシンに対し、威圧する様子をいささかも隠すことなく、ローガは言葉を重ねた。


「ここにいる七人は既に心を一つにして、ある目的を持って生きている。入所したばかりのお前には気の毒だが、その目的のためには俺たちは鬼に成れる」


 先ほどからローガが言ってることは相当むちゃくちゃのように思えたが、ここに来てシンは彼の言葉の裏にある強い覚悟に気づいた。すると不思議なことに、今無理強いされてるこの場面に、一種の心地よさを感じている自分がいた。それは、心の内を隠すことなくぶつけてくる姿に、裏切られ続けた痛みが反転して生じた感情なのかもしれない。


「話します」


 シンは居住まいを正して、自分の生い立ちから話し始めた。途中で一度、ジンが話を遮り、「お前の父はトシローか?」と尋ねた。「そうだ」と答えて、なぜジンが父の名前を知っているのか不思議だったが、話の続きをしなければと思い、わけを聞かなかった。


 父の後を継ぎ鍛冶屋になって成功の道が開きかけ、思い切って幼馴染にプロポーズしたこと。結婚式の最中に教会の僧侶に連行されて有罪にされたこと。馬車の中でコーネルから聞いた、自分の冤罪の真相など、シンは夢中でしゃべった。


 全てを話し終わると、ローガがおかしいと言った。

 シンはこれ以上話すことはないので、きょとんとしてローガの顔を見てると、首をひねりながら話し始めた。


「俺は近衛騎士だった頃ブディストニアに駐在したことがある。そのとき、中央協会に頻繁に出入りしていたリオエール男爵をよく知っているが、奴は自分の理のためなら身内の情も捨て去る男だ。それが息子のためとは言え、リスクを冒すとは思えぬが」

「それだけベルガのことを愛してたのではないですか?」


 シンが肉親なら当たり前のことを口にすると、ローガは眉を潜めて首を振った。


「俺が知ってるリオエール男爵なら、肉親の情には左右されない。せっかくマゴラの領主に成れて、善政の評判を勝ち取っているのに、露見すれば爵位も剝奪されかねないことに、どうして加担する必要がある。第一、シンは鍛冶師として男爵に貢献していたのだろう」

「はい、だから不思議でした」

「男爵なら間違いなく息子を逆告発して、身の安全を図るはずだ」

「しかし、事実として俺はここにいます」

「うーん……」


 さっきから、ずっと黙って聞いていたジンが口をはさんだ。


「その種明かしは、わしがしよう」

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