第19話 運命の出会い

 人の手が入っていない氷原を、一台の馬車が北に向かって進んでいた。普通の馬車でないことは、馬車を引く四頭の馬が薄い鋼鉄の鎧で武装され、四つの車輪がついた箱も鋼鉄製であることで分かる。

 ここはマゴラのはるか北方の人が住めない大地だった。この地とマゴラの間には、標高四千メートル前後の氷獣さえ住めない高山が屹立し、人の往来を遮断している。荒れ野には高山から大河が流れるが、川面は一年を通して氷に覆われている。夏の一時期を除いて氷点下となる厳しい寒さと、魔物と見間違うような凶暴な氷獣が生息する場所だ。


 目的地に向かって走り続ける馬車の御者台の後方には屈強な三人の兵士が、鋼鉄の箱の中には生気を無くした若い男と、ふてぶてしい面構えの中年の男が乗っていた。若い男の名はシン・タカヤ、中年の男はコーネル・ダートという名だ。シンはマゴラの町では新進気鋭の鍛冶師として、輝く未来を約束された男だった。


 シンは恋い焦がれた女との結婚式という、人生最良の舞台から引きずり下ろされ、まったく身に覚えのない罪で裁判にかけられて有罪になってこの馬車にいる。

 与えられた量刑は、これから向かうガレリア鉱山で五十年の使役という、終身刑、いやむしろ死刑と言っていいものだった。


 服役中の死亡率九六パーセント。現在服役している一二四名を含み、採掘開始以来三百年間でここに送られた延べ千七百人余りの囚人の内、釈放された者は七十名に満たない。釈放された者も過酷な労働と高齢から、まともな社会復帰などしていない場所だ。


 七日間の旅を終え、シンとコーネルはガレリア鉱山入り口にある囚人監視局に着いた。

 この監獄は敷地の周囲を高さ六メートルの分厚い石の壁で覆い、初めて来た囚人たちは門を入る時点で最早脱出不可能と悟る。


 シンも例外ではなく、門が閉じられる音を馬車の中で聞きながら、マゴラに住む全ての愛する人たちとの絆を絶たれたと実感した。

 押し寄せてくる絶望が、シンの心を蝕んでいく。もう人ではなく、生物としての最低限の生存本能だけが身体を動かしている。


 最初に通されたのは、このガレリア鉱山を統べる鉱山所長の部屋だった。


「シン・タカヤか。若いな」


 所長の名はドニー・ブラッド。小柄だが顔は大きく、発達した顎はどこかしらガマガエルを連想させる。

 ドニーはシンの身体に不躾な視線を這わせた。

 コーネルから聞いた話では、この鉱山の絶対的な君臨者であるブラッドも、女にだけは不自由する。

 従って押し寄せる本能の疼きは、一部の囚人の尻に向けられる。シンのような若い囚人は少ないだけに、まず性の対象として興味を惹いたようだ。


「ここではわしが法律だ。生きてここを出たいと思えば、わしを頼れ」


 そう言ってドニーは醜い笑顔を見せた。


 次ぎにシンは別室に通され囚人服に着替えさせられた。

 囚人服は鉱山での作業着を兼ねているので、思っていたより丈夫な布で作られていた。この地には不可欠な防寒着仕様だ。

 ガレリア鉱山は帝国でも有数の良質の鉄を産出する地だ。シンも鍛冶師として何度かガレリア産の鉄を打ったことがある。それは強い硬度と適度なしなやかさを兼ね備え、しかも加工しやすい良質な鉄だった。


 この大事な資源を獲得するために、ここの囚人たちは大切な働き手だった。だから衣服だけではなく、働くための食べ物は監獄にしては立派なものが与えられる。

 その程度は、生きる楽しみから隔絶されたこの地で、過酷な労働を無賃金で強いることができるメリットを考えれば、取るに足らない出費と言えた。収益が全て――この鉱山の重要な運営方針だ。


「あれがお前の獄房だ」


 看守棟から囚人棟にシンを導いた看守が、三十平米程度の部屋を指さした。部屋の中には幅の狭いベッドが七つ置いてあり、それ以外のスペースはほとんどない。まさに寝るためだけの部屋と言えた。


「荷物をベッドの上に置いて来い」


 荷物と言われても、脱いだ服と先ほど渡された着替え用の囚人服以外、何もなかった。

 とりあえず指示に従い空きベッドの上に服を置くと、再び看守に連れられて囚人棟を出た。そこには、複数の採掘場の入り口があった。


「これがお前への最後のプレゼントだ」


 看守はそう言って、シンの首に鉄の首輪を着けた。


「この首輪には金属性のドニー様のネイチャーフォースが付与してある。くだらないことを考えたら即座に首が無くなると覚えとけ」

「お前の受け持ちは七番だ。早速働いてこい」


 看守が指さした入り口の上には、七と記されたプレートが埋めてあった。

 そこからシンは一人で採掘場に入っていった。


 入り口は全部で十二あり、それぞれがガレリア山を掘り進めた坑道に続いている。

 シンは看守の指示通り、七番の入り口に向かった。

 坑道の中に入ってみると、想像よりもしっかりとした木枠もくわくが組まれていた。

 地面には鉱石を運ぶトロッコのレールが敷かれ、所々に水抜きの穴があいている。

 おそらく夏の雪解けの時期には、この坑道は水が溜まって、採掘が中止になるのだろう。


 それは大雨でも同じことが起きそうだ。

 北部はあまり雨は降らないが、それでも真夏に数度は豪雨が起きる。

 そのときに坑道の奥で作業していたら、最悪溺死だなと思ったが特に恐怖はなかった。

 謂れのない罪で全ての幸せを失った――この絶望感を感じずに済むのなら、死さえもシンには忌むべきことではない。


 五十メートルほど進むと、十三人の男が採掘作業をしていた。

 どんな罪状でここに送られてきたのかは分からないが、全員がまじめに働いていた。

 その活き活きとした姿を見て、シンはこんな地獄に似合わないと違和感を覚えた。

 虚ろな目で突っ立っているシンに気づき、働いている男が手を止めた。


「おい、お前。新入りか?」


 痩せているが頑丈そうな身体。それがここで過ごした日々の長さを物語っているのか、それとも元から持ち合わせていたのかは分からない。ただ、自分はこんな姿に成る前に死ぬだろうと、ぼんやりと考えながら、シンは力なく頷いた。


「ボーっと見てないで働けよ」


 その男は特に他意もなく、鉄鉱石を積んだトロッコを指さした。


「入り口の傍に鉱石置き場があっただろう。あれを運んでそこに置いてこい」


 シンは言われるがままに、トロッコに向かって進み、手押し棒を掴んでからブレーキを外した。


「ウグ」


 坑道はやや下に向かって掘られている。ブレーキによる支えが無くなった途端、積まれた鉱石の重みがシンの両手にのしかかった。


 顔を真っ赤にして、両手に全力を込める。しかしトロッコは前に進まず、逆に後ろに向かって下がり始める。

 ガツンと音がして、レールの終端の車止めに当たって、トロッコは止まった。シンは力を込めてトロッコを前に進めようとするが微動だにしない。


 いったん押すのをやめて、額に噴き出た汗を二の腕で拭った。周りでは作業していた男たちが、手を止めてニヤニヤしながらシンを見ていた。

 この刺激の無い場所では、トロッコに悪戦苦闘している自分の姿も娯楽なのだろう。悔しさで頭に血が上った。


 気合いを入れて再び手押し棒に手をかける。


「それじゃあ、無理だな」


 近くで声がした。

 シンが振り向くと、白髪の老人が背後に立っていた。

 こんな老人がどうしてここにと、シンは思わず口をポカンと開けて、目を泳がせた。


「自己紹介は後だ。そのトロッコの押し方を教える」


 そうだ、これを進めなければならないんだ。シンは我に返った。

 シンが手押し棒に手をかけると、白髪の老人が再び話し始めた。


「いいか。少し腰を落として、前に進めるんじゃなくて、車輪に力を伝えることを意識して押すんだ。まずは意識するだけでいい。筋肉の微妙なコントロールは、最適な力の加え方を身体が探し出して教えてくれる」


 無心で言われるとおりにした。車輪に力を伝えることを意識して押すと、トロッコはゆっくりと進み始めた。

 おーっと、周りで驚きの声が上がる。

 シンはそんな周囲の反応を気にもとめず、夢中で車輪に力を伝えることを意識しながら押し続けた。

 不思議なことにさっきの半分の力で前に進んでいる気がした。


「うまいもんだな。最初から意思の通りに身体を動かせる者はそうはいない。君は力を込める方向とタイミングを何かで身につけたのかな。さっきは手だけに力が入って、前方向のベクトルが失われてたのに、今は腰を中心に力が配分されて効率良く動いておる」


 老人は驚きながら、大げさなぐらいシンを褒めた。これはおそらく鍛冶師の修行のおかげだ。熱くなった鉄の声を聴き逃さず、大事な場所に確実に槌を振るう。シンの筋肉はそういう訓練を長年受けていたようなものだ。


 老人の言うとおりに、トロッコを押すと思ったより疲れが少ない。この動きに身体が慣れれば、トロッコ押しで苦労することはないだろう。

 余裕ができたので、老人に質問をした。


「いったい、あなたは何者ですか?」

「わしはジン・クジョー、ジャパニアから来た。これでも貴族でのう」


 ジャパニアと聞いて、シンは絶句した。ベルガに着せられた濡れ衣を思い出した。もちろんこの老人は関係ない。むしろ親切な人だ。頭では分かってはいるが、心は拒否した。

 懸命に落ち着こうと、思考を停止してトロッコ押しを続けた。

 それを察したのか、ジンも話しかけるのをやめた。

 心に静けさが戻り、トロッコだけが前に進んでいった。

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