第17話 領主の秘密

 ルドルフ・ジット――二十代半場で僧都になった男。

 中央教会では、十代で下働きに入り、見込みのある者は見習いに認定される。そこから僧都に上がるには、一般的に二十年はかかると言われている。一生見習いのままで終わる者も多いと聞く。

 これまで多くの僧侶をマゴラに迎えたが、ルドルフほど若い者をアムス・リオエールは他に知らなかった。

 その男が急用と言って面会を申し込んできた。


「男爵閣下におかれては、ご多忙の中拝謁いただき、ありがとうございました」


 急用と言いながらルドルフの隙のない態度に、アムスは軽い警戒心を抱く。


「ルドルフ殿は私などより何倍も忙しいはず。こうして当邸にわざわざお出でいただくとは、よほど火急な用件なのでしょうな」

「聡明な男爵閣下には取るに足らない些事かもしれませんが、主人メナムは大層な心配性でして、ぜひとも閣下のお耳に入れておいた方がいいと、危惧する案件がございます」

「ほう、学識高いメナム殿が迷われることを、私などでお役に立つとは思えませんが、ぜひにとあらばお伺いいたしましょう」


 ルドルフの回りくどい物言いに、苛立ちを押さえるのを必死なアムスであったが、どうにか本題を聞くところまでたどり着いた。いったいどんな難題かと、興味半分、不安が半分の気持ちでアムスは集中した。


「話というのは異教信仰の疑いがかかった鍛冶師がおります。名はシン・タカヤ。本人は否定してますが、現状では有罪が濃厚です。ただ異教信仰については、状況だけで審判を下すのは、あまりにも大きな問題なので、ここは是非とも閣下のご意見を頂きたい次第です」

「シンが、まさか……」


 さすがのアムスも驚きを隠せなかった。


「信じられませんか。しかし状況証拠は揃っています」


 ここでルドルフは、得意の客観的説明を始めた。ほぼ全ての事実が、決定的ではないがつながっている。主観がほとんど入らないだけに、アムスはこの一件のあらましがよく理解できた。


「なるほど。良くできてる話ですな。特に片刃の剣については、研究熱心なシンがジャパニアとつながりを持っても、さして不自然ではない。しかし、それは推測に過ぎない。事実と断定できる証拠が、何かあるのですかな」

「お話ししたとおり告発状がございます」

「それも差出人が記されてない不確かなものだ。日に日に高まるシンの名声を妬んだ中傷と捉えるのが妥当ではないか」


 アムスは戸惑っていた。こんな当たり前なことをルドルフほどの男が分かっていないはずはない。何かとんでもない裏があるのだと、警戒のあまり額に汗が滲んだ。

 懸念したとおり、ルドルフはいささかも動じる様子はなく、とんでもないことを口にした。


「普通ならそうです。ただ、この告発状を持ち込んだ主が普通とは異なります」

「いったい誰が告発状を教会に届けたのだ?」

「ご嫡男のベルガ様です」

「ベルガが……」


 アムスは再び思考が停止した。これほどの大事を、ベルガは自分に相談なく教会に届けた――その事実が思考を止めたのだ。

 追い討ちをかけるようにルドルフが言った。


「我々としましては、独自に裁判権を持つリオエール家からの依頼ですから、告発状の真偽は保証されるものとして扱わざるをえません。ただ男爵閣下もご指摘の通り、差出人不明の告発状に頼るのは余りにも危うい。ですから男爵閣下ご自身の意見を頂いた上で、裁定したいと考えます」


 畳みかけるような説明だった。論旨が通って、逃げ場所がない。しかもベルガが関係していることを、今この場で明かされたため、その事実に動揺して思考が止まった。もはや受けざるを得なかった。


「分かりました。当家の見解は必ず差し上げます。ただ少し時間をください。一日、二日でいい」

「もちろんです。じっくりと検討ください」


 難題を預けることに成功して、ルドルフは満足そうに男爵家を辞去した。

 自室の窓からルドルフたちが門の外に出たのを見届けると、アムスは大声で筆頭執事のランス・クローゼを呼んだ。


「御前に」


 アムスの前に黒いスーツに長身痩躯の身を包んだランスが現われた。相変わらずその目は冷たく光っている。


「ベルガをここへ」

「ベルガ様は昨日からシャウ・リッツェと共に外出されて、まだ戻られておりません」

「ふむ」


 ランスの低く沈んだ声を聞くと、先ほどまでのアムスの怒気が薄れた。


「鍛冶師のシンが異教信仰の疑いで教会に拘束されていることは知っているか」

「はい。真偽は分かりませんが耳にしております」

「その拘束の原因は告発文らしい。そしてそれを教会に出したのはベルガだ」

「ベルガ様ですか。なるほど。だから教会は動き、ルドルフ殿がここに現われたわけですね」


 さすがアムスの懐刀だけあり、これだけの会話で全てを察したようだ。


「分からぬのはベルガの真意じゃ。お前はどう見る」


 アムスの問いにランスは少しだけ首を傾げたが、すぐ前を向いてアムスに向かって答えた。


「シンへの疑いは偽りです。おそらくベルガ様はシンを陥れて、何かを得ようとされているのでしょう。ただ、ベルガ様がご自身でこのような策謀を考えられるとは思えません。誰か後ろで入れ知恵した者がいると考えます」


 ランスの明快な頭脳は、既に事の全容を掴んでいた。ベルガが何を欲しがっているのかは分からぬが、領民に対して陰謀を仕掛けたのは確かだ。シャンハでナッシュのために動いていた頃は、ずいぶんと強引なやり方をしてきたアムスだったが、ここマゴラの領主に任命されてからは、善政を敷き名君であろうとした。ここでベルガの欲望のために、ここまで育てた誇りを失うのはいささか気が引けたが、既にサイは投げられている。


「それで、ベルガの目論見はうまくいくと思うか?」


 まずはそこだ。稚拙なやり方で家名を傷つけるようなら、例え我が子であっても斬らねばならない。


「今頃、シンの仕事場あたりに、告発状に続く第二の証拠を置いている頃でしょう」


 ベルガは武勇の才はあるが、謀略には乏しい。息子の背後にずる賢い影を見るような気がした。


「放置すればどうなる?」

「ベルガ様自ら自分で仕掛けた証拠を持って、再び教会に届けるでしょう。しかし教会はリスクを背負うことを嫌って、偽証を暴くかもしれません」

「そのときはベルガを失うことになるな」


 教会への偽告発は神を欺く行為として、極刑が一般的だ。アムスにとっては辛いところだが、家を守るためにはしかたがないと割り切った。元々はベルガ自身が犯した罪だ。

 ところが、ランスは即座に首を振って、アムスの思惑を否定した。


「旦那様はお忘れですか? ナッシュ様の政敵のエドモン・ラウルを失脚させたときのことを」

「忘れはしない。ジャパニア遠征を強く押したエドモンの立場を悪くするために、まだ成人したばかりのベルガを使って、遠征軍の上陸日程をジャパニア軍に知らせた」

「エドモンはいまだに、ジャパニアへの内通者を疑っております。あの状況で一番疑われる可能性があるのが当家です」

「しかし、証拠は完璧に消しているはずだが」

「生き証人がいるではないですか。ベルガ様です」

「……」


 アムスは絶句した。もしジャパニアとの内通容疑を偽装したのがベルガとなると、エドモンが取り調べに乗り出す可能性がある。拷問されれば、罪に落ちたショックで弱気に成っているベルガは、何もかもしゃべってしまうかもしれない。


「おそらく、メナム様はこのことをご存じないはずです。だから旦那様はシンを無罪にして、ベルガ様を斬ると思っておられる。ですが当家はジャパニアとのつながりを匂わす行為は絶対に避けねばなりません。ましてやベルガ様が捕まるのは危険過ぎます」

「どうしてもシンを有罪にして、流刑地に送らねばならないか……」

「それも可能な限りスピーディにことを運ぶ必要があります」

「しかし、シンが生み出す財は捨てがたい。なんとか刑の執行を免れる手立てはないか?」


 ここにアムスの本音が出た。産業らしい産業のないマゴラが潤う、金の卵を産む雌鶏を手放すのは惜しかった。


「ございません。家の存続がかかっています」


 ランスは即座に答えた。その目には、中途半端はかえってリスクを高めると忠告が記されていた。


「フー」

 ここでアムスは大きなため息をついた。さすがに五十を超えて、こうした不正に手を貸すことは負担が大きい。


「できれば領民には清廉潔白な領主のままでいたかったものだ」

「生きている以上、ままならぬ事は多いものでございます」


 いつもポーカーフェースな執事の顔に、少しだけ同情の色が浮かんだのを見て、アムスは心に鞭打った。


「急がねばならぬということだな」

「左様でございます」


 それだけ答えると、外出の支度をさせるために、ランスはアムスの前から退去した。

 アムスも立ち上がり、衣服を着替え始めた。

 立てかけてある剣を見たとき、才に溢れたシンの利発そうな顔が脳裏を過った。憐憫の情が心に浮かび、大輪の花を咲かせる芽を踏みにじる後ろめたさで、魂が燻った。


「しかたあるまい。家のためだ」


 アムスは乱暴に剣を取って、足早に部屋を出た。

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